〈アナベル視点〉
「宿屋に泊まれないですって?!」
「ここら辺に住んでいる者は皆、王都に避難した様ですね。その為に遠征用のテントを用意しておりますので、今日はそこでお休み下さい」
聖騎士が馬車に現れたかと思うと、そう無慈悲に告げた。
「テントなんかで寝られる訳がないじゃない!」
「王族用です。立派ですし、寝台も簡易ながら用意しています。歴代の聖女様もこうして魔王の封印に赴かれたのですから、アナベル様だけが特別という訳には参りません」
それだけ言うと、聖騎士はさっさと馬車を降りた。
私は怒りの矛先をウィリアム殿下に向ける。
「ウィリアム殿下!少しお話よろしいですか?」
そこで初めて馬車の外に出た私は目の前の光景に少し驚いた。
数人の怪我をした騎士を、聖騎士が治療していた。
残りの数人はテントを設営しており、ウィリアム殿下は地図を前に数人で輪になって頭を捻っている。
その顔には、皆覇気が感じられなかった。
私の声に、ウィリアム殿下が顔を地図から上げる。
「アナベル、どうしたんだい?」
私はウィリアム殿下に近付きながら、
「皆、何があったのです?」
と尋ねた。その瞬間、一斉に皆の顔が強張る。
「何が……って……!?」
ウィリアム殿下の側に居た討伐隊の副隊長が、怒った様に声を上げるが、それをウィリアム殿下は手で制した。
「魔物が多くてね。犠牲者が出た」
「犠牲者?誰か亡くなったのですか?」
私の言葉に周りの空気が一層冷え込んだ気がする。
「いや……。命は助かったよ。聖騎士のお陰でね。出来れば君に助けて欲しかったんだが」
そう言えば、道中何度か馬車の扉を叩く音が聞こえたが、私はそれを全て無視した。
「でも助かったんですよね?ならば問題ないではありませんか」
「な……っ?!」
地図の周りにいた騎士も声を上げたが、私が睨むと直ぐに口を噤んだ。
「アナベル、頼みがあるんだが」
「その前に私のお話を聞いてもらえませんか?」
「……なんだい?」
「私、湯浴みをしたいのです。それにこんなテントでは眠れません。何処かに宿屋はありませんでしょうか?」
ウィリアム殿下は私の言葉に目を丸くした。
「宿屋?そんなものは此処にはないよ」
「いえ、あちらに見える建物は宿屋ですよね?」
「だが、店主は居ない。ここら一帯は魔物の襲撃にあってね。生き延びた者は皆、王都に避難しているんだ」
「なら……あの宿屋を私が買い取りますわ。従業員が居ないのでサービスは受けられませんが、施設は使えますでしょう?」
「アナベル……君って人は……」
「わがままを承知で言っておりますが、私は聖女。こんな扱いは到底納得できません」
「……店主が居ないと言っただろ。買い取りなんて誰と話をするんだ?まさか、今から誰かに王都に戻って訊いて来いと言うんじゃないだろうな?」
副隊長が低く唸る様に言葉を吐き出した。
ウィリアム殿下は、それを軽く諌めると、こう言った。
「僕が店主に後から話を付けるよ。その代わり僕の願いを聞いてくれるかな?」
「なんでしょう」
「こう魔物が多くては、先に進めない。これ以上大切な戦力を失う事も怖いんだ。出来ればこの討伐隊全体に結界を張って貰いたい」
この大所帯に結界?確かに私は聖なる力の中でなら、守りの力が一番強いが、流石に一日中ともなると疲れる事間違いなしだ。
「この隊全体にですか?」
「そうだ。君なら出来るよね?」
出来る事は出来る。しかし、何故私だけがそんな負荷を負わなければならないのか。
「体調が思わしくありませんので……私の馬車と殿下だけなら……」
そう言った私に殿下は悲しげに眉を下げた。
「アナベル……それでは意味がないんだ。これ以上遅れると、魔王が復活してしまうかもしれない。お願いだ、頼むよ」
地図を見ていたのは旅程を確認していたからだろう。なるほど、魔王が封印された場所というのは、まだまだ先の様だ。
魔王に復活されるのは流石に不味い。私は渋々ながら、その提案を受け入れる事にした。
結果から言うと宿屋は使えなかった。魔物の襲撃で、周りから見れば被害が無いように思えたが、中はグチャグチャ。到底休めるどころではない。
私は仕方なく用意されたテントで体を清めて服を着替えた。
全ての支度は聖騎士が行う。女性と知っていても、男装をしている彼女達に体を触られるのは抵抗があったが、ここには侍女もメイドも居ない。
私が嫌そうに顔を顰めると、
「ご自分でなさいますか?」
と夜着を手渡された。
「出来るわけないじゃない」
「……ではお手伝いいたします」
聖騎士の態度が気に入らない。
「貴女達は私の為に生きているのでしょう?」
そう言うと、聖騎士はため息を吐いた。
「そう教えられております。聖女の為に命を捧げろ……と。しかし……心まで貴女に支配されたくはありません」
聖騎士は私の身支度を済ませると、そう言ってさっさとテントを出て行った。