「ま、間に合った……」
私達が洞窟を駆け抜け、外へと出た瞬間だった。
洞窟が音を立てて崩れ、その入り口は完全に塞がってしまった。私達は肩で息をしながら、その様子を無言で眺めていた。
あとほんの少しでも避難が遅れていたらと思うとゾッとする。
ウィリアム様はアナベル様を背から降ろすと、
「アナベル、クラリスの怪我を治してやってくれないか。彼女は僕を庇って怪我を……」
ウィリアム様が私の火傷した左手を見て物凄く辛そうな顔をした。
当の本人である私は怪我の事などすっかり忘れていたが、思い出した途端痛みを感じてしまう。
しかし、アナベル様の口から出た言葉は耳を疑う様なものだった。
「嫌ですわ。私はずっと結界を張っていた為、疲れ果てていますの。それに……魔女の怪我を治すだなんて……聖女としてあるまじき行為です」
「お前!!!」
副隊長を降ろしたロナルド様がアナベル様に詰め寄ろうとするのを、副隊長が慌てて止めていた。
アナベル様はそんなロナルド様を眉を顰め、不機嫌そうな顔で眺めている。
ディグレから降りた聖騎士がそっと私の側に寄ると、ギリギリ私にしか聞こえない声で、
「私が」
と囁くと私の左手に手を翳した。
しかし、彼女の手からは何の力も流れ込んで来ない。彼女は困惑した様に私の顔を見た。
「瀕死の状態だったから……聖なる力を失ってしまったのかもしれないわね。……良いの。この怪我は名誉の負傷だわ」
私は悲しそうに自分の手を見つめる聖騎士の肩に手を置いた。
「悲しまなくて良い。貴女はこれで自由になれる」
彼女はハッとした様に私を見る。私は微笑んで頷いた。
「アナベル……君はもう聖女じゃない」
ウィリアム様は怒りを抑えた声音で静かに言った。
「馬鹿な事を……。それを決めるのは貴方ではありません」
アナベル様は不機嫌そうにそれだけ言うと、私達に背を向け一人山を降りていく。
私達はその背中を呆気にとられて見ている事しか出来なかった。
「とりあえず、僕等も山を降りよう。この山自体も崩れてしまいかねない」
ウィリアム様の言葉に私達は一斉に頷いた。
魔王は倒れ同時に魔物の姿は消えた。封印されていた洞窟は崩れ落ち、もう二度とその場所へは立ち入る事が出来ない。
我が国に……もう聖女は必要ないのかもしれない。
「殿下!!ご無事でしたか!!」
山を降りるとアナベル様を乗せていた馬車の御者が、大きく手を振りながら駆け寄って来た。と、同時に私とロナルド様の姿を見て驚きを隠せない様だ。
「何故……此処にロナルド殿下が?」
御者の言葉に、ウィリアム様も、
「そう言えば!どうして二人はあそこにいたんだ?」
と今更ながらに当然な質問をしてきた。
しかしさすがにこの雰囲気の中『下剋上しに来ました!』などと言えるはずもなく……
「まぁ……それは王都に戻ってから、追々話すよ」
とロナルド様は言葉を濁した。
「で、馬車は?馬は無事か?」
ウィリアム様に御者が答える。
「殿下の言う通り、あそこの岩陰に隠れておりましたんで、何とか。地震の様に地面が揺れるんで馬達も怯えて可哀想でしたが」
「とりあえず……怪我をした者は皆馬車に。クラリス、君もだ」
ウィリアム様にそう言われて、私は俯いた。
ディグレを連れて王都に行く事は出来ない。出来ればそっと魔女の森へ帰ろうと思っていたのだ。
もう今更ウィリアム様と結婚したいなどと考えてもいない。それに私は既に貴族籍を失っているはずだ。王都の何処へ帰れと言うのか。ウォルフォード家の皆に会わせる顔もない。
「いえ、私は……」
森へ帰る。そう言いかけた時、
「ここは森とは反対側だ。森へ帰るにはぐるりと回って行かねばならない。それに……俺はお前を使うだけ使って見て見ぬふりをする様な卑怯者ではない。一度王都へ帰ろう。ディグレも連れて行く。お前の身の潔白は俺が晴らすから」
ロナルド様のその真剣な言葉に私は頷くしかなかった。
しかし……
「嫌よ!!何故私が他の者と馬車に同乗しなければならないの?!」
とアナベル様がウィリアム様の提案に噛み付いた。
「アナベル。なら君が馬に乗るかい?なんせ君は何にもしていないんだから」
ウィリアム様の言葉に、副隊長も聖騎士も御者さえも驚いている。そうか……あの場に居たのは私達だけ。驚くのも無理はない。
「し、失礼な!私はずっと結界を……!」
アナベル様の言葉に副隊長が被せた。
「殿下、我々はもう馬に乗れます。こちらこそ……あの方と同乗するのは願い下げです」
副隊長がアナベル様をチラリと見る。聖騎士も何度も同調するように頷いた。
「なら、クラリスは俺と一緒に馬に乗れ。これで全て解決だろ?兄さん」
ロナルド様の馬は森へ置いてきた。
しかし此処には主を失った馬が二頭。私は洞窟があったであろう場所を見上げた。もちろん、ここからはその場所は見えない。
しかし……途中で命を失った者が居る。それを思うと心が悲鳴を上げていた。全員を助ける事は無理だと分かっていても、やるせない気持ちが私を包み込む。
「では……そうしよう。此処へ来るまでの道のりは長かった。しかしもう魔物は居ない……全てクラリスのお陰だ。」
ウィリアム様に手を取られ、私は少し恥ずかしくなって俯いた。改めてそう言われると面映ゆい。