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ほのボーノ!

 ここは、とある高級イタリア料理の店。週末ともなれば、どの席もたいてい埋まっていている人気店である。

 その中に中年に差し掛かったカップルが食事を取っていた。女性は日本人で男の方はどうやら外国人の夫婦らしい。


「ボクは日本に来て驚いたんだけど・・・・・・」と、イタリア人の夫であるフランコが言いだした。

 彼はイタリア人特有の彫りの深い顔立ちをした男だった。美味しそうにフォークでペンネを串刺しにして、いささか威厳をたくわえた大きな口へと押し込んだ。「日本人はパスタといえばロング・パスタのことだと思っているけどね、ボクの国でパスタと言えばこういうショート・パスタのことを言うんだがね」

 妻の恵子はちょっとフォークを持つ手を止めて、黒目がちの大きな瞳を夫に向けた。「日本人はパスタはロングじゃないと、なんとなく満足しないところがあるのよ」小さなピンクの貝殻のような唇をグミでも噛んでいるかのようにもぐもぐさせている。「それじゃあイタリアではロングパスタはなんて言うの?」

「スパゲティさ」

「なぁんだ」

 フランコは愛妻のグラスにワインを注いだ。イタリア赤ワインの芳醇な香りが恵子の鼻を春の野原を舞う蝶のようにくすぐる。

「ありがとう」

「それに、日本人はスパゲティはじゃないとダメだと思ってないかい?」

「あら、ちがうの?」妻はワイングラスをペンライトみたいにクルクルと回して色味を楽しんでいる。

「人それぞれだよ。おの々家庭の堅さっていうのがあるからね」

「ふうん」妻はワインをひとくち口に含む。「でも、わたしはアルデンテが好きだなぁ・・・・・・」

「あと、日本人はパスタの種類をソースの種類だと勘違いしているふしがある」

「ミートソースとか、ボロネーゼとかカルボナーラとかのことかしら?」

「イタリア人はソースではなくてパスタの種類を選ぶんだ。家庭でもさまざまなパスタが常備されている。このペンネとかファルファーレとかね」フランコはおいしそうにワインをひと息にぐいと流し込む。「それに日本のレストランはパスタを頼むとなぜかパスタしか出てこないのがおかしい」

「だめなの?」

「イタリアじゃあ普通はパンがついて来るものさ。パンがなければグリッシーニというクラッカーかな」フランコは肩をすくめた。「それらがなければ残ったソースをどうやって食べるのか、ここのシェフに教えてもらいたいね」

 フランコは別の皿のロングパスタをフォークで簀巻きみたいにグルグル巻くと、大きな口に放り込んだ。

「うん、旨い!この明太子スパゲッティは日本人の発明した絶品のスパゲッティだと言って過言でない」

「あら、たまには日本人を褒めるのね」

 恵子は食事が終わったらしく、ナプキンで綺麗に口もとを拭っている。

「もちろんだよ。ただし、イタリア料理が日本に間違って伝わっている事実は否めようがないね」

「それって・・・・・・ナポリタンなんてイタリアにはないっておうことかしら?」

 妻がおかしそうに微笑む。

「ははは。それもあるけど、そもそもイタリア人は辛いのが得意じゃないんだよ。それなのにペペロンチーノには赤トウガラシがめっちゃ入っているし、スパゲッティを頼むとタバスコがもれなく着いてくるのもおかしい。それにカルボナーラに生クリームなんてそもそも使わないしね」

「それも日本独自の文化ってことね」

「カルボナーラは卵とチーズ。ペペロンチーノはオリーブオイルと塩だけでいいんだよ」

「まあそれも文化の違いよね」


 フランコは店内を見回す。

「文化の違いって言えばきみの食べ方も変だよ。イタリア人はスパゲッティを食べるときには普通フォークしか使わない。どうして日本人はスプーンなんて添えるのかな?」

「ちょっと上品に見えるからかしらね」

「上品というのか清楚というのか・・・・・・でもね」フランコは身を乗り出して囁いた。「恵子。イタリア料理店における日本人の最大のマナー違反をなんだか知ってるかい?」

「スパゲッティをラーメンみたいに音を立ててすすることかしら?」

 フランコが肩をすくめた。

「このお通夜みたいな静けさ・・・・・・イタリアでは食事中に会話を楽しまないことが最大のマナー違反なんだよ!」

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