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第73話 澄美怜の心身はどこへ






 記憶の欠けた澄美怜すみれを前に言葉を詰まらせる深優人みゆと


「私に何があったのですか? 体以外は……気分が悪いとかは無いので話しなら出来ますし聞けるので教えてもらえますか?」


 深優人は掻いつまんでまず事件の事を話した。それ以外は記憶がどこからどこまで欠落しているのか分かってから話した方がいいと判断した。


 聞けば、日常使う言葉やある程度の感情があり、人間関係などがよく思い出せないという。


「あなたに対して家族の様な暖かさ、そして強く慕っている様な感じがします。でも見たところとても若く、夫ではない様に見えます。 兄妹……いや、それとも違う……もしかして恋人とか、ですか? あなたを見ると何かそのような感情だけが感じられるのです」


 沈痛な面持ちとなる深優人みゆとは、


「あ……う……その……」


「でも何かそれをすごい力で……無理に気持ちを押さえつけてる様でもあるのです」


 深優人みゆとはあまりにやる瀬無く、泣きたくなってうつむいた。どうにも言葉を失くし沈黙が続くと、そこへ医師を伴い一家総出で入室して来た。


澄美怜すみれ!」 「お姉ちゃん!」


 即座に医師による現況報告、手術の予後について説明された。やがて心配そうに見つめる妹・蘭の存在に気付いた澄美怜が、


「あれ、この人どっかで見た様な」


 そう言って首を傾げる。その場に一瞬希望が差す。


「―――あれは?……私?……ですか?」


 打ちひしがれる一家全員。記憶は相当混乱している様だ。


 思わず、お姉ちゃん……と洩らし、言葉を失う蘭。


 ……妹なのですね、と伏し目がちになる澄美怜すみれ


 ところで、と機転を利かせた医師が割り込んで、君、傷は痛む? と確認する。


「それは大丈夫ですが、それよりも下半身が……動かないんです」


 この追い討ちに家族の皆が蒼ざめる。


「先の検査では運動神経は傷付いていなかったようだから、一時的なショック症状かも知れませんね。ま、腰や頭などに打撲が認められるから次回は脳を含め、より精密な検査をしてみましょう」


 家族全員のメンタルを考慮し、医師が悲観的な空気を打ち消す。そしてあまり長い負担は良くないから、と一旦休息させる事になった。



  **



 翌日――――


 更なる精密検査を受け、診断の結果が出る。下半身については、やはり外傷的要因ではなさそうだという。脳についても大きな損傷が見つからない事から、そのダメージから来るものでない可能性が仄めかされた。

 説明を受けた家族達に希望が差し込む。



 それを受け、記憶の回復の為に出来るあれこれを試す事になり、まずは記憶の断片である小さい頃からのアルバムを両親が持参した。


 幼少期からの記録を淡々と眺める澄美怜すみれ。しかしメンタル世界に生きて来たこの娘にとって、外界の記憶にはさしたる反応が無かった。


 そこで、本人が気に入っていた『妹もの』のアニメを提案、やたら見せたがっていたあの頃とはうって変わり、淡々とした様子で視聴する澄美怜すみれ

 妹という自覚のない今は興味も薄く、たまにコメディシーンにクスッとする位であった。


 そこで思い入れの強かったアニメの視聴を提案した深優人みゆと。好きな物で刺激を与えられたら何かしら思い出すのでは? ―――と選んだのは二人の大好きな感動作『V・E・G』だった。


 あの涙腺を崩壊させたシーンらに時折りホロリとする澄美怜すみれ。しかしどことなく他人事のような感じで、


「これはまるで自分と逆ですね。感情以外があって感情を得てゆく話なのですね。

……私には感情が有って他があまり無い……それを得て行かないと……ですね」


「……何か思い出せる事は?」



「え……ええ……何か、言いたくて堪らないのに許されない……それを言うと切なくて泣きたくなる様な……やはり何かを強く追い求めている様な感情しか湧きません」


 余りに思い当たるものが。深優人みゆとは思わず微かに眉根を寄せて顔を伏せる。


 大好きなアニメでも上手くは行かなかった。硬直する空気。そんな苦々しい周囲の心中を察知した澄美怜。逆に僅かに微笑んでこう言った。


「でも記憶が一部なくてもそれって普通です。だって人間てよく忘れるし。ある人との記憶の全てを思い出せなくても、その前後の一部の思い出だけで人は生きてる。

 そのとき相手も自分もそれを許して生きてますよね。だから今、あなたは私を他人ではなく、その澄美怜すみれとして見てくれています。

 だったら私は澄美怜すみれです。記憶喪失前の私だってきっと人間関係の全てを思い出せたわけじゃない。今の私はその時より少し多くの事を忘れてるだけです」


―――その言葉には優しい気遣いと、何か説得力を感じた。その上で深優人みゆとの方を強い眼差しで見つめてこう言った。


「そして私はあなたが好きです。その感情だけは覚えているのです。よっぽど強かったのでしょうか?

 だから以前の私が慕っていたあなたとしてこの関係を継続してくれたら心強いというか……嬉しいです。そしたら私は今後多くを思い出せなかったとしても安心できます」


 そうして作り笑いする澄美怜すみれ


「それに、何か好きな人を改めてもう一度知り合っていくなんて、一度で二度オイシイ、みたいな。……これってオトクですよね」


 ……この重い空気をこの子は変えてくれようとしている。ホントは自分が遣るべきなのに……


 そう逡巡する深優人みゆとは切なくもぎこちない愛想笑いで返した。しかしそれも見抜かれて、


「悲しまないで下さい。あなたも私の全ては覚えておらず、何かしら忘れてるのにあなたはあなたとして私に関わろうとしてます。同じ事だと思いませんか」







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