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第74話 私はこの世に少しだけ残れるのです






「そして私はあなたが好きです。その感情だけは覚えているのです。よっぽど強かったのでしょうか?

 だから以前の私が慕っていたあなたとしてこの関係を継続してくれたら心強いというか……嬉しいです。そしたら私は今後多くを思い出せなかったとしても安心できます」


 そうして作り笑いする澄美怜すみれ


「それに、何か好きな人を改めてもう一度知り合っていくなんて、一度で二度オイシイ、みたいな。……これってオトクですよね」


 この重い空気をこの子は変えてくれようとしている。深優人は切なくもぎこちない愛想笑いで返した。しかしそれも見抜かれて、


「悲しまないで下さい。あなたも私の全ては覚えておらず、何かしら忘れてるのにあなたはあなたとして私に関わろうとしてます。同じ事だと思いませんか」


 遠い目をして、更に続ける澄美怜。


「私にはきっと思い出さない方がいい事でもあるのでしょう。もし私をいたわってくれるのならこの気持ちを受け止めて貰える事がリハビリの何よりも励みになる気がするのです」


 こんな言い方を拒否出来る人間なんて……深優人みゆとは静かに頷くしかなかった。


「あ、そう言えば肝心なこと確認し忘れてました。あなたは私の恋人という事で良かったのでしょうか?」


 息が止まる深優人みゆと。今は厳密に言えば妹ではない。しかし先日も恋人同士にはならないと涙ながらに確認し合った仲だ。でもそれが覆される条件が一つ……



・現在の関係が止むなき理由で見直す必要ある時は、今回の宣言はゼロから見直す



 としていた。


 幾つもの重なった不運。不憫なこの子のために関係を見直す。自分の為に命を賭してくれたこの人こそ真に守って行かねばならない人なのでは? その為の恋人……


 必死に自分の納得がいく答えを探す深優人みゆと

 この先、様々な選択肢を想像した時、百合愛ゆりあはきっとパートナーが自分でなくとも幸せになれるだろうと。心が通じなかったとしても善い人・信じれる人はきっと居るはず。


 ではこの澄美怜すみれはどうだ? ―――現状では自明の理。だが、いつどこまで回復するかも見当もつかない今、簡単に結論を出せる話ではない。慎重に言葉を選ぶ。


「実は俺とキミはずっと仲の良い兄妹だったんだけど、最近血の繋がりのない義兄妹とわかって。そしたらキミから恋人同士になる事を提案され、今の身の回りの関係を色々見直す為に時間の猶予を貰っていた所なんだ」


 そう答えるので精一杯だった。


「そうなのですか。結果的にもし選ばれるとしたら幸いです。このせめて記憶に残った感情だけは折角だから捨てずにいられたら……きっと昔の私はこの世に少しだけ残れるのです 。

 ……そう、この感情を捨てなければ全くの別人にならずに済むのですから」


 確かに知人全てを特定出来なくなって、人からも特定されるものが失くなったら、それは人格的には全く生まれ変わった別人と何ら変わらない。


 深優人みゆとが誰なのか分からなくても澄美怜すみれが彼を好きだと思えれば、それは知っている人という事。 つまり世界にだれ一人知り合いの居ない孤独な存在では無い。

 そしてそんな澄美怜すみれが存在するなら、相対する者は極度の記憶喪失者とやり取りする喪失感とは違う、想いの籠った意思の疎通もあるだろう。


―――全くの別人にならずに済む……


 そうした意味で澄美怜すみれが言ったに違いないと深優人みゆとも心の中で同意した。



 果たしてこの後も記憶は戻らないのだろうか。下手な決断が誰かの人生を台無しにして仕舞いかねない。深優人はもう少しだけ様子をみるしか無い、そう思った。




◆◇◆

 現段階での医師の見解は、次のようだった。


「脇の傷は順調に回復しています。幸い臓器もダメージも少なく安心です。傷もキレイに縫合されたので目立たないでしょう。

 下半身の不随についてはまだ原因は掴めていません。後頭部と腰を強く打っているものの神経は傷ついてないから、もしかするとショックによる記憶喪失と共に脳内で運動の機能の一部が遮断されたのかも知れません。

 そうなら仮性の可能性も有ります。が、今は様子を見るしかないですね。それから、偶々《たまたま》このタイミングで脊髄炎などを起こしてないかも一応調べたのですがウイルス性も含めて所見できるものはありませんでした……」


 結局、治るともこのままともつかぬ状況と、原因が分からない事への不安が残るだけで、月日だけが過ぎていく。


 そうした中、澄美怜すみれはリハビリに奮闘し始めるも好転は見られなかった。


 この状況を受け、不随が続いても生活出来る様に車イスの利用訓練も開始された。



 だが意外にも澄美怜すみれ本人は落胆を一切見せていなかった。諦めずに記憶を取り戻すためのきっかけを彼女なりに探っていたのだ。


「そう言えば、ひとつお願いがあるのです。かつての私を思い出すために日記等がないか部屋を調べてもらえませんか? 人間関係とか、手掛かりが掴めるかも知れません。

 まだしばらく入院生活の様ですし、結構暇なので。あ、でもいつ記憶が戻るか分からないのでプライバシーは守って下さい。それが有っても中身は決して見ないで持って来て下さい」





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