自国から馬車で3日、隣国であるアニマに入ってから4日、なぜがアニマに入ってからは馬車を見つめる人々の眼差しが暖かいです。
(あ、あのおばあさんなぜか涙を流していらっしゃいますね。そこのおじいさんはなぜか拝んでいらっしゃいます。)
獣人は強きものに心惹かれてやまない習性があるといいます。王子であるレオニード様の不在と帰還は人々にとっては特別なものでもあるのかもしれません。
「何か珍しいものでもあるかい?」
甘やかな笑みを向けられて、シェリーは動きを止める。
(そ、その子供を見守るような目をやめてほしい……。心臓が……。)
「あの、通りの方々が馬車を見る目が国のものと違うので、獣人のみなさんは王家への忠誠がどれほど深いのかと感動しておりました。」
「忠誠というよりはファンに近いと思うけどね。」
苦笑いを浮かべるレオニードの言葉にシェリーはきょとんとして小首をかしげる。
「ふぁん……ですか?」
「そう。うちの血統が王座に就いたのは祖父の代からだから私が引き継げたら歴代最長記録になる。その期待もあるんだろうが……。」
(三代続いて過去最長?)
王族というぐらいだから戦争がない限り続くものと思っているシェリーは自分の知らない常識に異世界に迷い込んだ錯覚すら覚える。好奇心の押さえられない瞳が話の続きを期待してレオニードを見上げる。馬車での旅が始まってからというもの、レオニードの膝の上が彼女の定位置になりつつあった。
最初は羞恥と立場の違いになんとか距離を取ろうとしたものの、そのたびに丸い耳がぺたりと伏せられ、しっぽが力なく下がるのを見るとそれも忍びなく、されるがままになっていた。毎朝宿を出るときには結い上げてもらっていた髪も馬車に乗ったとたんに解かれてしまって侍女の努力が申し訳ないのでとうとう結ってもらうことも諦めて淑女としてあるまじきとわかってはいたがそのまま後ろに垂らしていた。
「そうか、人族は血がものをいうからちょっと事情が違うのだったな。」
何か考える素振りをしたものの、レオニードはわかるようにと説明を始める。
「獣人の王は血統で続くのではなくて、一代限りなんだ。現王が40を超えると次期国王の座をかけて国の有力な若者が名乗りを上げてその強さを競う。その中で5人まで候補が絞られて、強さ、知性、番を審議され最もふさわしいものがその座につく。親が王だからと言って子が王になるわけではないのだ。」
なんと斬新な選出方法。確かにその場合だと血統が続かないのも納得というものだ。
「獣人は力のない者についていくことはない。そんなものが頭になれば国が瓦解する。」
「なるほど。番とは奥様のことですよね?それにしても獣人のご婦人は強いと聞きますがお相手の方まで審査対象となれば番のいない方はどうなりますの?」
「一年の審査期間のうちに番を見つけられなければ候補から外される。」
「期待されているということはやはりレオニード様も候補者なのですか?それとも選定はもう終わっているのでしょうか?」
そこまで言ってシェリーはちくりと痛むものに気づく。
(候補者ということは番……奥様か婚約者がいるということだと思うのですが。)
「そうだな。父は今年40になった。掟に従いすでに5人の候補も決まっている。無論私もその一人だ。」
そういわれて、今度ははっきりと胸の奥に重たいものを感じてシェリーは俯く。
「そんな大事な時に国を離れてよかったのですか?それに私などが訪れるのはご迷惑だったのでは……。」
(と、いうかお相手のいる男性の膝に乗ってるというのは異常ですよね……。)
慌てて離れようとするが力強い手としっぽに阻まれてそうもいかない。なによりこの7日で覚えてしまったぬくもりは離れがたいものになってしまったとシェリーは自覚してしまう。
(期待させるだけならやめてほしい……。)
「私としては幸運だったと思うが……。」
何かを言おうとして、レオニードは口を閉ざす。その様子を見ていたシェリーもその様子は気にかかったが言わないことを聞き出すのは抵抗がある。立場的に口にできないことも多いのだろう。と。
王城につき、レオニードにエスコートされ馬車を降りればたくさんの使用人や近衛と思われる獣人に迎えられる。その眼もやはり暖かい。あまりの数に圧倒されて見回すものの、その中に女性の姿は見られなず、安堵していることにシェリーは気づく。
ふと強い視線を感じそちらを見れば見事な毛並みの黒獅子がたたずんでいる。
(見られているけど、威嚇とか殺気は感じない。)
レオニードをちらりと見上げるが、彼はそばの従者に指示を出していて忙しそうで獅子の存在に気づいてないようだ。
(も、もふもふさせてくれないかしら……。)
肉食獣への恐怖より好奇心のほうが先に立つ。そもそも殺気も威圧も感じないところを見ると敵視されていないようなので、こんな貴重なこと早々あるまいと慎重に歩を進める。
(逃げる様子はない。)
はやる気持ちを抑えて黒獅子の手前30センチで視線を合わすようにしゃがみこむ。
「こんにちは。」
突然触って驚かしてはいけないと思いとりあえず挨拶をしてみる。やっぱり逃げる風でもない。だからと言って返事も聞こえない。
(本当に動物ならこんなに知性のある目をしていないだろうし、獣化するとしゃべれないのかしら?)
「素敵な毛並みですね。触っても良いですか?」
思わず笑顔で告げると獅子は片足をそっと前に出す。まるで「良い」と言われてるようで嬉しくなり、掌を一度向けて何も持っていないことを見せてそっと顎の下に手を伸ばし毛を梳くように撫でる。
「柔らかくてふわふわ。可愛い。」
思わず感嘆のため息を漏らす。すると黒獅子はその前脚をシェリーの肩にかけ大きな口を開ける。
「きゃ!」
思わぬ重みに尻もちをつき、意識せずとも声が出てしまった。
べろん
柔らかく温かなそれに頬をなめられてシェリーはくすくすと笑む。
「ふふ。くすぐったいです。」
その顔から逃れるように獅子に抱き着くと、後ろから引かれて体が浮いた。
何事かと思い見やると、レオニードに抱き上げられていた。じっと黒獅子をねめつけると威嚇するように口を開く。
「父上、何をしてるのですか。」
「いやはや、可愛らしくてついね。」
「ついなど軽率に手を出さないでください。」
「ははは。この姿で迎えたのに驚かれるどころか微笑む人間など珍しいからね。」
獅子はそういうと瞬く間に黒髪黒目の中年男性へと姿を変える。
「おちちうえさま……こくおう…へいか?」
目の前の出来事についていけず、状況を確認するようにつぶやくシェリーに国王は「いかにも。」とほほ笑む。
「長旅でさぞ疲れたであろう。今日はゆるりと休んで明日の歓迎パーティにはぜひ顔を出してもらいたい。」
それだけ告げると王は颯爽と踵を返していってしまう。いったいなんだったのかと思いながらぽかんとその背を見つめると、レオニードは袖でシェリーの頬をぬぐった。