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第8話白き令嬢は踊る

レオニード視点


 七日間の旅は本当に短かった。隣国へ向かうときは地獄のように遠く、滞在七日間も一年のようにすら感じた。それなのに、帰りの七日は瞬きですら感じた。


 せっかく誰にも邪魔されずに二人きりだというのに。この甘やかな空間を堪能することに夢中になりすぎた。心の距離を一歩でも近づけるよていだったのに。


 (あと三日ほしかった……。)


 しかしついてしまったのは仕方ない。


 馬車から降りて階を降りるシェリーをエスコートして地面に導いて名残を惜しむように手を離すと従者に荷ほどきの指示を出しながら歩み寄ってきた文官から留守中の報告を受け、ふと何かの気配に気づく。


 (この気配……。)


 短い悲鳴に振り向けばしりもちをつくシェリーと今にも押し倒さんばかりの黒獅子が大きな口を開ける。


 (させるかっ!)


 慌てて手を伸ばすものの時すでに遅し。白くやわらかな頬を舐められていた。


 (俺だってまだなのにっ!!)


 愛しき存在を腕に閉じ込めると、威嚇するように黒獅子を睨むが当の本人は反省の色など全くない。


 (クソ親父―――!)


 飄々と去っていく背中に絶叫したいのを抑えながら、舐められたシェリーの頬を袖で拭う。俺の番に他の雄の跡が残るなんて許せるもんじゃない。




 (頭が痛い。)


 長旅で疲れ、慣れぬ場所で緊張しているであろう彼女を思えば同性の侍女に預けて早く休ませてあげたかった。しかし、親父の動きの速さを考えると油断ならないのだ。


 せっかく見つけたというのに誰かにかっさらわれでもしたらと思うと体の血液が逆流しそうだった。


 客室に案内して侍女を紹介し、彼女が入るのを確認しそっと離れる。まるで物音でも立ててしまったら捕食者に感づかれるような気さえして。


 二週間ぶりの執務室は何も変わっていなかった。


 「揃いも揃って随分暇なようですね。」


 たった一つ。母上以外の家族が揃っている以外は。


 父上をはじめ白髪の兄と赤毛と黒毛の二人の弟もそこにいた。


 「心外だなやっと見つかった番の祝いを言いに来たというのに。」


 「その番に早々に手を出したのは誰ですかね?」


 変わることなく飄々とした態度でグラスを傾ける中年の男にレオニードは苦虫をかんだように呻る。そのやり取りを見ていた赤毛の弟が口笛を鳴らす。


 「四つ子だと番は同じになるんですかね。」


 生真面目な兄の声にレオニードは目を見開く。兄弟たちにまだ番はいない。確かに番が重なることは往々にしてある。しかし、その場合はオス同士で決着をつけるか、メスに選択権がある。肉食系獣人の場合前者だが、それでも番に選んでもらえるかは別の話。


 「誰にも譲らんさ。たとえ兄弟だろうと。」


 不敵な笑みを浮かべてレオニードはつぶやく。


 (当たり前だ。やっと見つけた。それこそ何年も国中を探した。それでも見つからず外交の旅に言い訳を付けては街に繰り出し探し回って、ようやくだ。血を分けた兄弟だろうと絶対に手なんかださせない。もしも害するようなことでもあれば・・・・・・。)


 「レオニードがそんなに執着するなんて本物だな。」


 けらけらと笑って赤毛はグラスを傾けた。黒毛の兄弟にブランデーの入ったグラスを渡されたレオニードは素直に受け取った。それを合図とするように各々グラスを掲げて笑みを浮かべる。


 『愛すべき番に』


 男たちは無言で飲みほした。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 番を伴って帰還する旨は早馬で知らせてあった。王子の番を歓迎したパーティーは王の威信をかけて万全の準備がなされていた。出席者は一様にお祝いムードだ。だからこそレオニードは油断してはならないと思っていた。


 国王選定が始まってすでに10か月が過ぎていた。ほかの候補者は早々に番も含めて審査は終わっている。審査されたものも審査した者も、それを目撃した者も緘口令が敷かれているのでレオニードは審査の内容はわかっていない。一つ言えるのは候補者やその番の祝い事の席で起こっているであろうこと以外は。


 だからこそあえてレオニードは場にそぐわないと思いつつも帯剣した。そんなことにシェリーは気づいた風でもないが。それどころか緊張で会場の空気に押しつぶされるのではないかと心配になる。


 獣人からしてみれば待ち望んだ番はどんなものかと好奇の目で見ているのだが、人間にしてみればそのギラギラした熱線は捕食される錯覚すら覚えるだろうに。どうにか緊張をほぐせないかと声をかける。


 (ずっとそばにいるから。だから、逃げないで。拒まないで。)


 まるで祈るように手を取り、尻尾を絡める。


 会場に入れば早々に重臣たちから挨拶をうける。レオニードへは二言三言会話をしその矛先はシェリーに向けられる。それは彼女の国に関する質問であったり、獣人への感想だったりと様々だが、矢継ぎ早に繰り出される言葉にシェリーはよどみなく答える。わからないことには素直に「勉強不足ですみません。」と返事をし、レオニードどころか重臣に質問で返すなどやってのけた。


 (試されている……。ここで一番まずいのは言葉を詰まらせることだろう。)


 何かあれば助け船を出したいが、それではシェリーは何もできないという印象を与えかねない。しかし、初めて訪れた地で知らないことがあるのは当然だ。問題はそれをどう対処するかを見ているのだろう。求められない限りは口出しできない。


 しかし、シェリーはそんなものはもろともせず会話を繰り出し、重臣をうならせ令嬢の当て擦りすら黙らせた。自国では王太子の婚約者だったことを思えば饒舌戦において心配はいらないようで、むしろその聡明さに舌を巻いた。


 (参った。鈴のような声でこんな姿見せられたら惚れ直さずにいられない。)


 番の頼もしい姿に緩みきった頬で笑みを向けて見守っているとすぐ隣で咳払いが聞こえる。


 (顔がだらしないぞ息子よ。)


 と、言わんばかりの顔がちらちらとこちらを見ている。その視線を受けてレオニードは半歩踏み出した。自分の顔を隠すためじゃない。この美しき番を一匹の獣の目から隠すためだ。どうやら昨日のことを根に持ってるらしい。


 ひとしきり挨拶が済むとファーストダンスを迎える。もちろん今回は主賓のシェリーであることは言うまでもない。その手を絡ませてレオニードは階を降りる。


 (やっと抱きしめられる。)


 正確にはただのダンスだが、昨日離れてからそのぬくもりがないことへの寂しさをこらえられなかった。まるで迷子のように夜中何度も客室の前までふらふらと歩んでは部屋に帰るを繰り返していた。


 (ああ。これが私の番。)


 手放せない。手放せるはずないのだ。もう片時も離れていたくない。いっそこのまま客間などではなく自室の続き間へ連れてさってしまいたい。


 この時間が愛しく切ない。


 (どうか私を選んでほしい。)


 その思いをぶった切るように騒音が響く。


 (きたか。思ったより多いな、さてどうしたものか。)


 これは強さだけではない、「番との呼吸」をみるのだろう。これが獣人同士のカップルならば獣化してしまえば早い。しかしシェリーは人間だ。強靭な顎も鋭い爪もバネの様な足もない。


 (守らねば。)


 そんなレオニードの想いも虚しく、シェリーはするりとその腕から逃れ背中合わせとなる。けしてレオニードの剣の邪魔にならないよう右側には来ないところを見るとこれも王妃教育のたまものかと考えるとあの王太子に感謝すべきか嫉妬すべきか……。


 足払いからの鞭を引き抜く姿に一瞬瞠目する。その艶めかしい白い太ももから目が離せず、次の時は心に誓う。


 (会場にいる男全部殺そう。そうしよう。)


 それはワルツのようだった。ダンスを踊るようにくるくると動き高揚する心を抑えきれない。


 (ああ、一日で何度惚れ直せばいいのだろう。そのうち悶え死ぬかもしれない。)


 そんなことを考えているとふと声がした。


 『レオ!』


 咄嗟のことだ。他意はない。見せつけられた魔法よりも愛しいものが呼ぶ愛称に胸が震えた。呼ばれることがこんなにも衝撃だったことがあるだろうか。もっと聞きたい。もっと、もっと。


 その欲求はあふれ出る水のように、燃え滾る炎のように熱い。


 (私も特別な名で呼びたい。)


 この思いをどう表現したらいいのだろう。腕に閉じ込めるだけでは足りない。そっとその頭に口づければ高らかな宣言が響く。だが今はそれどころじゃない。体の熱を興奮したこの神経をどうやって慰めてやろうか。捕食するような目を向けたとたん柔らかなそれは力なく倒れそうになった。




 慌てて支えればどうやら気を失っているらしい。膝裏に手を差し込み背中を支えて抱きかかえ、そのこめかみにキスをする。


 「ごめん、リィの気持ちを無視してしまった。でも離せないんだ。」


 それは小さなつぶやき。すがるようなその声はそっと空気に溶けた。



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