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第62話 強がりな彼女を守りたい

「いってらっしゃい」

 実はCAのフライトは割とハード。今日から3泊4日。瑠璃に会えるのは4日後かと思えば、俺のフライトが重なる。瑠璃と出会えるのは1週間後。話せば話す程近くなりたいと思った彼女とまた会えない時が続く。


 部屋に一人残ると、非常に味気ない気持ちになる。自分は女好きな訳ではない。ただ親からのプレッシャーで結婚しなければいけないという強迫観念があった。男だらけの生活をして来たのに突然モテて戸惑った。見た目でしか選べないくらい免疫のない自分。痛い目に遭いながらも、自分自身も問題を抱えた面倒な男だと感じた。しかし、そんな俺から見ても面倒な女、森本瑠璃。二重人格を実際に見たとしか言いようがない。甘えるように俺を虜にした彼女がいたかと思えば、そっけなく凛とした近寄り難い彼女がいる。混乱する程に森本瑠璃のことしか考えられなくなる。


 凛として芯の強い彼女に惹かれた。実家の事業を継がなければいけない圧力。


 やりたい事とやらなければならない事の間で揺らぐ自分。

そんな中で周囲の言葉などまるで聞こえないように淡々とやるべき事をこなす彼女に惚れる以上に尊敬した。


 それなのに、突然、ある夜に甘えたように縋り付いてくる森本瑠璃。

 元から気になっていたけれど近寄り難かった瑠璃が別人のように寄り掛かってくる。彼女の自分を求めてくれというような視線に俺の理性は完全に崩壊。

俺は初めて理性を失って獣のように彼女を求めた。あの夜の森本瑠璃は俺の夢だったのかというくらい彼女のガードが硬い。



 モヤモヤする気持ちを振り払うように、俺は出掛けることにした。

マンションの外に出ると瑠璃が初老の女性に腕を引っ張られている。


「貴方は本当にどれだけ私を悩ませれば気が済むの! 結婚前に男と住むなんてふしだらでお父様も驚いていたわ。そもそも、結納まで済ませたのに婚約破棄だなんて大恥よ!」


「お母様、傑は浮気をしようとしてたのよ。裏切るような男と結婚できないわ」

「くだらない。浮気なんてどうでも良いじゃない。もっと、自分がどう見られてるかを気にしなさい。お父様は常に周囲を気にしなければいけないお立場なの。お父様に恥をかかせないで!」


 おそらく一緒にいるのは瑠璃の母親。

 彼女は瑠璃の顔を全く見ようとしないで激昂している。

 瑠璃は今にも泣きそうなのを唇を噛んで我慢している。おそらく母親を尊重したいのと、自分の気持ちを大切にしたい気持ちの狭間で苦しんでいる。


「お母様、また日を改めて話しましょう。私、今から仕事なの」

「仕事? 誰でもできるような仕事でしょ。お父様は代わりのきかない仕事をしてるの」

 瑠璃は彼女の母親の言葉に目を潤ませた。


「代わりのきかない仕事です。彼女の仕事も」

 俺は気がつけば瑠璃と彼女の母親の間に割り込んでいた。


「あ、貴方は誰?」

「一樹さん⋯⋯」

 信じられない事に瑠璃がポロポロと涙を溢し出した。普段、決して泣かないような強い彼女の涙。心を揺さぶられる。俺は思わず彼女を引き寄せた。ふわっと香る金木犀のような上品な香り。凛としたところがあるのに、どこか甘く優しい。本当に彼女みたいだ。



「CAは1ヶ月半、訓練所で保安要員としての訓練を行います。訓練中に辞めてしまうに人間もいる程に厳しい訓練です。そして、飛行機はそれぞれの機種資格がないと乗務できません。今日、彼女が空港に行かないと飛行機は飛びません」

 実際は瑠璃が行かなくても、空港にはもしもの時の『スタンバイ』のCAが存在する。しかし、今はそんな事はどうでも良い。娘が7年懸命にやって来た仕事をバカにする母親が許せない。俺の知る限り森本瑠璃は誰よりも自分の仕事の責務に忠実で懸命だった。


「貴方は誰だと聞いてるの? 私の主人は帝東大学名誉教授、森本正義よ」

「申し遅れましたTKL航空の園田一樹と申します」


 森本瑠璃の父親は有名な教授だったようだ。メディアで拝見した事があるが、物腰の柔らかそうな教授だった。


「あなたが瑠璃の同棲相手? 結婚前に女性と一緒に暮らすなんてどんな教育を受けてるのかしら?」

「⋯⋯お母様、何様のつもりなの?」

 森本瑠璃の様子がおかしい。

 小刻みに震えながら何かに耐えている。


「園田一樹さんはパイロット? それとも航空会社勤務の総合職か整備士? まあ、何をしている方でも宜しいけれど瑠璃をたぶらかさないでくださる?」

 森本瑠璃の母親。

 一目見ただけで分かる気位の高さ。お茶会や卒入学式でもないのに格を見せつけるかのように仕立ての良い着物を着て現れる女性。人を見下したような目つきはここ数年で身についたものではない。


「ふざけないで! どんな仕事も代えなんて効かない仕事よ。社会経験もないお母様が偉そうに語らないで。パイロットは専門的な知識がないとできないの。お母様の仕事は何? お父様の手下? 娘が殴られ蹴られても傍観しているだけの傍観者?」


 瑠璃の言葉に俺は自分が大きな勘違いをしていたことに気がついた。俺は瑠璃の親を自分と同じような過干渉な毒親だと思っていた。しかし、俺は親に殴られたことも蹴られたこともない。俺がパイロットになりたいと言えば、親は航空大学校に行かせてくれた。



「いい加減にしなさい。瑠璃、貴方が叩かないと分からない程の知能も持っていないからじゃない」


 森本瑠璃の母の瑠璃を見る目は母親が子を見る目じゃない。まるで家畜を見るような目。



 俺が瑠璃を庇おうとして口を開こうとした時だった。


「じゃあ、家族の縁を切るわ。もう、うんざりなの。どれだけ社会性がないのよ。恥ずかしいからもう関わらないで。お母様、今一度自分が崇めている夫を見てみたら。腹が立ったら暴力を振る男こそ知能が足りないんじゃない?」


 瑠璃の瞳の涙は引っ込んでいた。おそらく気合いで引っ込めたのだろう。彼女は強い人じゃない。強くあろうとする非常に繊細な人だ。俺はあの夜以上に彼女を守ってあげたい衝動に駆られていた。



「瑠璃さんのお母様。瑠璃さんは俺が幸せにします。だから、どうぞご心配なく彼女のことはお忘れください」

「なっ、何言って⋯⋯」

 俺は瑠璃の手を引いてそのまま駐車場まで連れて行き、自分の車に押し込んだ。

「空港まで送るよ」

「大丈夫です。電車で行きます」

「ダメ、そんな抱きしめたくような泣き顔を他の誰にも見せたくない」

「私、泣いてません!」

 強がる瑠璃を堪らなく守りたいと思った。弱さを見せるのが下手で本当に不器用。車を発進させて、チラリと助手席を見ると瑠璃が目を瞑って幸せそうにしていた。


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