経営に関わるようになって半年が経った。
今日は臨時の経営会議。園田社長と園田リゾートホテルズ東京の総支配人である椎名亨の3人で東京限定のプランについて相談している。
「『ゼロ距離ハネムーンプラン』好調ですね。東京は共働き家庭が多いのと、ハネムーンだけでなく恋人のサプライズに使われているのが要因かと思います。瑠璃さんは目の付け所が良いですね」
園田社長が私に微笑み掛ける。
「ホテル内のエステサロンの稼働率が70%にまで上がりましたからね。カップルエステとは需要があるのですね。私はエステなど受けた事がないので、分かりませんでした」
園田リゾートホテルズ東京の宿泊稼働率は80%にまで上がっているので、椎名亨の機嫌が良い。要因は遠方の客ではなく東京都内及び隣県の客のリピーターを取り込めたことだ。
私もルリさんと入れ替わり意外とエステ需要があることに気がついた。私の好むところではなかったが、世の中には紙パンツ姿のオイルマッサージを好む人間もいる。個室を利用しカップルで並んでエステを提案したら、思いの外反響があった。メンズエステというものが存在するだけあって、男もエステに興味があったらしい。
「この間、瑠璃さんが提案してくれた『女子会プラン』も好評ですね。アフタヌーンティーが部屋で楽しめるのが嬉しかったとアンケートが出てますよ」
園田社長がアンケート結果を見せてくる。このプランが思いついたのも並行世界のルリさんと会話したお陰。私はルリさんと槇原真智子のような、一緒に暮らせるレベルの親友はいない。しかし、そんな恋人のように濃密な関係の友人がいたら、ホテルでお籠もりして語り合うプランの需要があると思った。
「ありがとうございます。今日は、『産後ケアプラン』について提案したいと思ってます」
私が差し出した資料を椎名亨が興味深そうに見ている
「レストランの個室にベビーベッドを置いてフランス料理のフルコースや、個室でのエステですか」
「近隣の山崎産婦人科と提携してサービスを考えています」
山崎産婦人科は園田リゾートホテルズ東京都徒歩圏。
「赤ちゃんが泣いている中、ゆっくり食事ができますかね? 実は一樹が本当に泣き止まない子で、小さい時は外食は全くできなかったんです」
園田社長が肩をすくめながら言った言葉に私は目を瞬く。一樹さんの赤ちゃん時代が聞けて微笑ましくなった。私は彼の涙を見た事ないが、彼も赤ちゃん時代は泣き虫だったようだ。確かに私は散々機内で泣き止まない赤ちゃんを見てきた。機内で耳抜きができないから泣き止まないと思っていたが、赤ちゃんとは寝るより泣くのが通常運転なのかもしれない。
「それに関してですが、本当はホテル内に託児所があれば便利だと思っています。クルーズ船ではディナーの時など船内の託児に預けるお客様が多いそうです」
私の言葉に椎名亨が反応する
「託児所! それは良いですね。瑠璃さんにお子さんが産まれた際も、ホテル内の託児所に預けられる!」
「えっ?」
私は思ってもない言動に首を傾げる。
園田社長が椎名亨に向かい指でバッテンマークを作る。
「すみません。セクハラでした」
「いえ、大丈夫です」
仕事に没頭しすぎていて、全く頭から抜け落ちていた。でも、私と一樹さんは一緒に夜を過ごす時には子供ができるようなことをしている。
(一樹さんと私の子供⋯⋯)
経営会議が終わり、家族計画について考えていると義母が扉の前で紙袋を持って待っていた。義母はこれからお茶会に行くのか無地の淡い着物を着ている。
「瑠璃さん、お疲れ様。これ、差し入れよ」
「お気遣いありがとうございます。今日のお着物素敵ですね」
「ふふっ、これからお茶会なの」
私と一樹さんの実家はかなり違う。
私の母はいつも父の顔色を窺っていて、家は教育にはお金をかけるが他は節約。一樹さんの家は義母の力が強い。そして、義母は茶道や華道、日本舞踊を嗜み、趣味は歌舞伎鑑賞。悠々自適な生活を楽しめる心の余裕のある方だ。
優しい義母の気遣いに感謝して、私は紙袋の中を見た。
(んっ? サプリメント?)
「葉酸よ。妊娠を計画する1ヶ月前から摂取しておくと、赤ちゃんの神経管閉鎖障害の予防になるんですって」
「妊娠ですか⋯⋯」
義母は園田リゾートホテルズの跡取りの誕生を期待しているのだろう。義兄は結婚してアメリカで暮らしているがDINKS。子供を作らず夫婦の生活を楽しむ主義らしい。
「考えてはいるのよね」
「はい、まぁ。でも、子供は授かりものですし」
戸惑っている私を他所に義母が続ける。
「男の子が欲しいとか、女の子が欲しいとかあるの?」
「特には⋯⋯」
「パイロットの子は女の子が生まれやすいっていう都市伝説もあるから、女の子かしら。お揃いのエプロンを付けて料理をしたりも楽しそうね」
義母が夢を膨らませている。子供は避妊しなければ、すぐできるものだと思っていた。でも、実際、今、子供が欲しいかと言われれば首を縦に振れない。私は実家と絶縁しているので、子育てで実家を頼れない。そして、一樹さんもパイロットという仕事柄、毎日の保育園の送迎など難しい。
(地域のサポートを借りるか、目の前の多趣味な義母の助けを借りるか)
「⋯⋯そうですね。葉酸、ありがとうございます」
私は自分が子供を育てるイメージが全く湧かなかった。私に子供ができた時に今楽しくなってきた仕事を休む選択肢が一番現実的。
(仕事、休みたくない⋯⋯)
家に帰宅して、急に一樹さんの声が聞きたくなる。今日は早めに家に戻ったので、まだ18時だ。一樹さんの予定を見ると今日の乗務は終わっている。
私は徐にバッグからスマホを取り出し、一樹さんに電話を掛けた。
「もしもし、一樹さん?」
『瑠璃? 電話くれるなんて嬉しい』
一樹さんの言葉に私から電話した事がないことに気が付く。なんだか電波が悪い上に後ろが騒がしい。