『園田機長、ボーディングスクール時代の話もっと聞きたーい!』
後ろから若い女の声がする。
「⋯⋯一樹さん、今、居酒屋か何か?」
義母からの子供のプレッシャー、中々会えない夫に電話を掛けたらこの様。
『CAの子たちからカツオのたたきが食べたいってせがまれちゃって』
一樹さんは今日は高知ステイだ。
私もCA時代、高知で機長にお食事に連れて行ってもらったことがある。CAたちのオネダリで連れて行って貰ったそこそこ良いお店。機長と副機長とCAは10人、会計は10万円を超えていたが、当たり前のように機長の奢り。その時の機長と副機長は既婚で、CAは全員独身。CAは既婚の男2人をチヤホヤ。会計は痛いがキャバクラに行くよりは安い。乗務12時間前の飲酒は禁じられているので、当然一次会で解散する。その後、2人だけの2次会なども存在しない。だから、浮気を疑ったりするような会ではない。
私は自分の夫が知らぬところで、若い女性に持て囃され奢っていたら嫌だなと冷めた目で見ていた。私は一樹さんがCAたちと食事に行った話は聞いた事がない。もしかしたら、私との結婚生活に息が詰まり、チヤホヤされに行ったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、気分が悪くなってきた。
『瑠璃? 聞こえてる? 電波悪いな』
私が黙りこくっているのを疑問に思ったのか、一樹さんが尋ねてくる。
『園田機長、奥さんと電話してるの? 園田機長って職場結婚ですよね。今まで何人くらいのCAと付き合ったんですか?』
私は電話先で一樹さんに絡んでいるだろう若い女の声を聞いて思わず電話を切った。
その後、何度も一樹さんから電話が掛かっているのが分かったけれども、私はスマホをバッグに突っ込み資料作りをすることにした。
男の人は分からない。
冴島傑も私の前では品行方正だったが、ラブホで浮気しようとしていた。おそらく初犯ではない。
(一樹さんも、同じか⋯⋯)
結局、雑念を追い払うように徹夜で資料作りをしてしまった。そのままホテルに行き、とにかく仕事に没頭する。真咲隼人の言う通りかもしれない。人と関わるより仕事をしている方が楽。人は裏切るけれど、仕事は裏切らない。
一日一心不乱に仕事をして、帰宅する。
美味しそうな匂いが部屋からして、一樹さんが今日は帰ってくる日だという事を思い出した。
(今、料理中? 会いたくないな)
私はダイニングに行かず、書斎に直行する。書斎の扉をノックする音と共に一樹さんが顔を出した。
「おかえり、瑠璃。昨日のことだけど⋯⋯」
「CAの子たちと飲んでたんですよね。分かってます」
私の声の冷ややかさに気がついたのか、一樹さんが焦ったような顔になった。
「中々、断り切れなくて。行きたくなかったんだけど」
「行きたくないのに、奢ってあげなければいけないなんて大変ですね」
節約体質の私と一樹さんは違う。
独身時代の彼はお酒が飲みたくなるとBARに行っていたが、無駄遣いだと私は宅飲みに変更させた。
彼は人に奢るということにも、あまり抵抗がなさそうだ。結婚して家計からお金を支出していると他の女性に奢って欲しくない。
「もう、行かないよ。瑠璃が嫌なら絶対に断る」
「別に良いですよ。私といると息が詰まるでしょうし、若い女の子たちにチヤホヤされて良い息抜きになるでしょ」
かなり棘のある言い方をしてしまった。私は一樹さんが若い女の子にキャッキャ言われるのが苦手だと知っている。それでも、私の知らない一樹さんがいるかもしれないと何処かで疑っている。10年付き合った男の本性も見抜けなかった事は私の中でトラウマになっている。私はタクシーの運転手が迂回してラブホ街を通ってくれなかったら、私はとんでもない浮気男と結婚していた。傑に言いように利用され、裏で笑われていただろう。
「瑠璃といるのが1番楽しいよ。ご飯、できたし一緒に食べよう。ちゃんと話そう」
一樹さんが椅子に座る私の肩に手をかけてこようとするのを、避けてしまった。私といるのが一番楽しいなんて人間がいるとは思えなかった。男の人はチヤホヤされるのが好きだと分かっていても、私には上手くできない。
「後で食べるので置いておいてください。今、やりたい急ぎの仕事があるんです」
「瑠璃!」
急に両肩を掴まれて、大きい声を出されてビク付いてしまった。父に暴力を振られた記憶が蘇り体が震えだす。心は忘れていても身体が恐怖を覚えている。一樹さんが暴力を振るような人ではないと信じているが、今は彼と一緒にいたくない。
「一樹さん、取り決めをしましょう。不貞行為や、暴力があったら即離婚です。私は話し合いや再構築はしません」
私の言葉に一樹さんが心底驚いたように目を見開く。人を裏切る人も暴力を売る振るう人間は変わらない。私はそんな人間とは関わりたくない。
「不貞行為や暴力なんて絶対しないよ。離婚なんて、どうしてそんな話になるの?」
一樹さんの私の肩を掴む手が強くなる。私は彼が暴力など振らないと分かっているのに、体の震えが止められない。父に暴力を振られた記憶が蘇る。私はずっと母は父と別れれば良いと思っていた。
「この世に絶対なんて存在しません。それから、この1年は子供を作らないようにしましょう。結婚生活がうまく行かなくて離婚となったら子供も可哀想ですから」
「瑠璃、本当にどうしちゃったんだ」
一樹さんが悲痛な表情を浮かべている。彼の混乱は理解できる。私たちは会えない時間が長いだけあり、2人でいる時間はラブラブだった。
私はもう傷つくのが怖い。父親の暴力も頻繁にフラッシュバックする。体が痛いのも心が痛いのも嫌。そんな目に遭うくらいなら1人で生きて行く。
「もう、部屋を出てってくださいますか? 今は一樹さんと一緒にいたくないんです」
「分かった。瑠璃が話をしてくれるようになるまで、待ってるよ」
一樹さんは静かに部屋を出ていった。