結局、また徹夜で資料作りをしてしまった。
今日は本当は一樹さんも私もお休みでデートしようという事になっていた日。一樹さんは寝室で寝ているようだ。私は冷蔵庫に入っている一樹さんの作ってくれた料理を食べ、シャワーを浴び、着替えて仕事に向かった。
ホテルに現れた私を見て椎名亨が目を丸くする。
「瑠璃さん、今日はお休みでは?」
「はい。そうなんですけれど、早めに総支配人に提案したいプランがあって来ました。資料だけ渡したら帰ります」
「瑠璃さんは本当に仕事熱心ですね」
私はカバンから昨晩作った資料を出す。一瞬見えたスマホは充電をしていなかったせいか、電源が落ちていた。
「園田リゾートホテルズのカフェで『親子パティシエ教室』を開いてみたらと思うんですが」
パティシエ教室の案は義母のお揃いのエプロンで子供と料理という妄想から思い浮かんだ。結局、ホテルの1番の顧客は義母のような娯楽を楽しむ余裕のある層だ。
「凄いタイムリーです。今、うちのパティシエの澤村と打ち合わせがあるので一緒に参りましょう」
園田リゾートホテルズには、ストリングスカフェ銀座の姉妹店が入っている。
パティシエの澤村さんは物腰は柔らかだが職人っぽさを感じさせるこだわりのある方だと聞いていた。
「初めまして、園田瑠璃です」
「噂のシゴデキな瑠璃さんですね。お会いできて光栄です」
(シゴデキ?)
澤村さんは私の親とあまり変わらない年齢だが、若者言葉も知っているようだ。スイーツは流行もあるし、若い人の感性を持っている方なのかもしれない。
開店前のカフェで、私と澤村さんと椎名亨で打ち合わせを始める。
「楽しそうですね。子供の頃からパティシエという仕事に興味を持ってもらう経験にもなりそうですし」
お仕事に興味を持って貰うという澤村さんの言葉に、確かに航空会社もCAやパイロットの体験を開催していることがあった事を思い出す。
「お仕事体験的な感じでできますか? それならば、対象年齢ごとに作るスイーツを分けた方が良いかもしれませんね。私は小学生以下の子を推定していましたが、パティシエになりたい中高生の需要もありそうです」
結局、議論は加熱し、中高生用の『パティシエ体験』と小学生以下の子を多少とした『親子パティシエ教室』の2つのプランを期間限定で開催する運びとなった。
「すみません。私の提案が先になってしまいましたが、本日の打ち合わせ予定の話は何だったのでしょうか?」
私の言葉に澤村さんと椎名亨は困ったような顔で見合わせた。
「実はバレンタインフェアで出す。カクテルの事なんです。1週間後から開催されますが、ストリングスカフェ銀座でも人気のチョコレートカクテルを出す予定でした」
「この直前に予定が変わったんですか?」
「はい、実はストリングスカフェ銀座の方からチョコレートカクテルだけでなく、他の新作のカクテルからも選べるようにして欲しいというお話が来まして」
私は澤村さんの話の問題点が分からなかった。あと1週間あるのだから、他の新作カクテルを追加すれば良い話。ストリングスカフェ銀座も自分たちの新作カクテルを宣伝したいのだろう。
「澤村さんはチョコレートカクテルに合わせて、構想3ヶ月で今回のバレンタインフェアのケーキを作りました。何度も作り直し、チョコレート尽くしでも飽きない爽やかなケーキになっています」
私の反応を見て椎名亨がフォローをしてくる。
(なるほど⋯⋯)
「こちらが、予定通りにチョコレートカクテルだけで行きますと言えない訳があるんですか?」
「はい。実はこのストリングスカフェ銀座の店長をしているのが、このカフェのオーナーの息子なんです。その息子さんが今カクテル開発にハマっているらしく、オーナーからは息子さんのいう通りにするよう指示されています」
澤村さんの顔が険しい。
パティシエの仕事を甘く見られたようで腹が立っているのだろう。
私はどうやらかなりストリングスカフェ銀座に縁があるようだ。並行世界で店長の柏木さんとは話した。若くして店長とは凄いと思っていたが、オーナーの息子だったらしい。彼は別にこだわりが強そうでもなさそうだし、話しやすかったから私が説得できる。
「私がストリングスカフェ銀座に行って店長を説得してきます。今なら開店前ですよね」
私は久しぶりのストリングスカフェ銀座に赴く事になった。
ストリングスカフェ銀座の前まで来ると、まだ開店前で扉は閉まっているがガラス越しに柏木店長の姿が見える。
並行世界で大河原麗香と戦い、こちらの世界では冴島傑と戦った決戦の場。懐かしい気持ちになりながら眺めていると、私の方に柏木店長が近づいてきた。
若い店長で祖母がフランス人の柏木礼司⋯⋯これは、並行世界で得た情報。
「何か御用ですか?」
「園田瑠璃と申します。園田リゾートホテルズのバレンタインフェアのカクテルの件でお話しがあって来ました」
「瑠璃さん! お会いしたかったです。テレビで拝見して美人な方だなと思ってました」
私をカフェの中に招き入れる柏木店長は人懐こい感じだ。喋る時の顔も近い。ルリさんにここのバイトを紹介してしまったが、大丈夫か心配になる。