「孫が待ち遠しいのは分かるが、そんなにプレッシャーを掛けるのは瑠璃さんが可哀想だよ」
園田社長の言葉に義母が私をチラリと見る。
「すみません。子供については一樹さんとも相談しているんですが、今は2人とも仕事に集中したいと思ってまして⋯⋯」
「産んだら、何とかなるものよ。私も手伝うし」
義母は目を輝かせる。
「ありがとうございます。お義母様。では、失礼します」
「待って、瑠璃さん! これ、基礎体温計なんだけど、是非使って」
小さな紙袋を渡され中には体温計と手紙のようなものが入っている。
「瑠璃さん、気にしないで良いからね。では、午後からの経営会議宜しくお願いしますね」
「はい。園田社長、交流会では私を庇って頂きありがとうございました」
「いえいえ。お昼にカフェの打ち合わせも入ってるのに、交流会の参加をお願いして悪かったね」
足早に去っていく園田社長に頭を下げる。
交流会の参加は総支配人の椎名亨から頼まれたが、園田社長の指示だったようだ。
私はホテル内にあるストリングスカフェの姉妹店で、澤村さんと打ち合わせする。
「瑠璃さん、ストリングスカフェの柏木店長への交渉ありがとうございます。お陰で予定通りバレンタインフェアが行えそうです」
「私は特に何もしてません。でも、澤村さんの憂いが消えたのであれば嬉しいです」
私の言葉になぜか澤村さんが頬を染める。
「やはり綺麗な女性の前では男はイエスマンになるのですね」
私は彼の物言いに不快感を感じた。
私は柏木店長としっかりと交渉したはずだ。
女ばかりのCAで勤務していた時のモヤモヤがある。
言い返したい気持ちを私は必死に封印した。
ここで、私自身がセクハラだとか、私の交渉の結果だと発言するのは悪手。
私はそっと目を閉じた。
ルリさんならどう言うだろう。
謙虚に見えながら、大金を使わせて悪気ない無垢な姿。
非難する方がケチくさく、器が小さいと思わせる無自覚な奔放さ。
澤村さんもバブル世代の人、セクハラ事案に敏感な今の時代には追いついていない。
「では、これからは私の言うことを聞いてもらえますか?」
正直、自分で言っていて意味が分からない。それでも、女を利用していると言われてムカつくから、無自覚の「女」を出して相手を倒してみた。
私の言葉に澤村さんが胸を掻きむしる。
「はぁはぁ、瑠璃さんの奴隷になります。貴方の為のデザートをいつか作りたい」
職人だと思ったパティシエ澤村は予想外の男だった。
「宜しくお願いします。 バレンタインフェア、成功させましょうね」
私が差し出した手を両手で握りしめる澤村。
私は焦ってその手を振り払い、ホテル内のカフェを出た。
すると突然誰かに体を抱きしめられる。私は慌てて対象を振り払った。
向き合った男は柏木礼司。
ストリングスカェ銀座の店長であり、眠ってしまった私をお持ち帰りした相手。
「柏木さん?」
「瑠璃さんって小悪魔ですね。サバサバしてそうで急に女を見せられたら男はたまりませんよ。メディアでは堂々としているから巷では瑠璃様って呼ばれてるみたいですけどね。何だか、見る度違う姿を見せて来られて惹かれてしまいます」
「柏木さん。私は既婚者です。軽い感じで接してくるのはやめて下さい。今日は澤村さんに会いに来たんですよね」
「違います。僕は瑠璃さんに会いに来ました。そろそろ、離婚が成立して貴方の隣が空いたんじゃと思いまして」
柏木さんが私に手を伸ばしてくるので、私はさらりと手をのけた。
「あの夜、僕の部屋で何があったか聞かないんですか?」
「私が寝不足で寝てただけですよね。どうして、そんな含みを持たせるような事言うんですか?」
私は柏木さんの視線が私の斜め後ろを見ているのを気がつく。
(何を見てるの?)
「瑠璃さん? その方は一体どなた?」
そこにいたのは一樹の母親。
私に先ほど基礎体温計と手紙をくれた義母だった。