「瑠璃さん? その方は誰? あの夜って? 離婚?」
困惑した表情をする義母に私は言葉が出ない。
私が柏木さんの部屋で朝を迎えたのは事実。
柏木さんが企みが成功したように、ニヤリと笑った。
初対面では好青年に感じた彼が思ったよりも曲者。
ルリさんの事が心配になったが、今は自分の心配。
私の状況もあまり良いとは言えない。
腕を引かれ柏木さんが耳元で囁く。
「僕、狙った獲物は逃した事がないんです。何だか必死に瑠璃さんを迎えに来た旦那さんを見たら奪いたくなっちゃった」
「!!!」
彼が私を好きなようには見えない。いわゆる人から盗むことに喜びを感じる人なのだろう。
「瑠璃さん、では僕はここで失礼します。離婚が成立したら、また改めて口説かせて下さいね」
とんでもない爆弾を落として柏木さんは笑顔で、ひらひら手を振り去ろうとした。
義母のショックを受けた表情、柏木さんの飄々とした姿に呆然としたのも一瞬。
私は一樹が私が浮気をしたかもしれないと思いながらも、私を守りたいと言ってくれたのを思い出した。
(一樹を失うわけには行かないのよ)
「柏木店長、お待ちください」
敢えて低い声を出した私に彼が足を止め振り向く。
「私が夫と離婚する確率は0パーセントです。そして、今度、私を口説いてきたらストーカーとして通報します」
「ストーカー? 何言って?」
彼は軽い気持ちで粉をかけてきただけ。でも、一樹との信頼関係を守る為なら眼前の男の尊厳などズタズタにしてやる。
ルリさんの真似事をして円滑に事を進めようとしたが、私は本当は思った事はストレートに伝える若干空気の読めない女。
「二徹した後だったので、打ち合わせ中倒れたのは私の失態です。でも、家に連れ帰るのは論外ですよ。気を聞かしたつもりですか? それとも私とあわよくばと思いましたか?」
「それは、当然あわよくばを期待しましたよ」
柏木礼司はこの程度では怯まなかった。のらりくらりした軽めのイケメン。こう言った男が好きな女はいるが、私は大嫌いだ。
「そうですか、故意に意識のない私を連れ去ったのでしたら誘拐罪ですね。警察に突き出されたくなかったら、今後は控えて下さい」
「警察って、そんな物騒な」
彼が私に伸ばして来た手を引っ叩く。
「私に触れて良い男は夫だけです。カクテルの件については譲歩して頂いた事を御礼申し上げます。しかし、今後、私に私的に接触はおやめください」
「そんな堅苦しく拒否しなくても、適度に楽しまないかって言っているだけなのに」
「拒否します。それに、柏木さん私の事勘違いしてますよ。私の辞書に適度に楽しむなんて言葉はありません。そんな私と一緒にいるのが一番楽しいと言ってくれるのが夫です」
「僕は瑠璃さんと一緒にいて楽しいけどな」
なかなか引かない柏木礼司。
男というのはなぜこうも粘着質なのだろう。
おそらく、引き下がるのはプライドが許さないだけで私を好きな訳ではない。
傑も別れると言ってからがしつこかった。
「離婚という選択肢をなくして欲しい」とまで朝帰りの妻に言った一樹の執着だけは愛おしい。
そして、一樹が私を好きな気持ちは、なぜか私に深く伝わってくる。
彼の心を最初に捉えたのはルリさんだけれど、彼は間違いなく私を愛おしく思ってくれている。
両親からも愛を感じた事がない私が唯一感じた愛。
生意気で強く見られる私を初めて守ってあげたいと言ってくれた人。
「そうですか。でも、私は全く柏木さんといて楽しくありません。ビジネス上の付き合いだけにして下さい。私の世界に男は夫だけです」
「⋯⋯全く楽しくない? 清楚で優しそうなのに、そんなキツイとモテませんよ」
「夫にだけ好かれたいので結構です。それでは、お気をつけてお帰りください」
私は視線に入った椎名亨に目配せをする。すると彼が柏木さんを外まで誘導した。
拍手の音が振り向くと、義母が目を輝かせている。
「凄い! 瑠璃さん、もう東京の勤続30年の総支配人をアゴで使ってるのね」
「えっ?」
私は義母の言葉に固まってしまった。
「お父さんがね。ゆくゆくは瑠璃さんに園田リゾートホテルズを任せたいって言ってたのよ。理由がわかったわ。貫禄が違うもの、堂々としてて本当にかっこいい」
「任せたい? いや、貫禄だなんて、私はまだまだ若輩者で⋯⋯」
確かに経営会議には出させてもらっているが、私はこのような伝統ある大きな組織を背負って立てる器ではない。
「それに、手紙にも書いたと思うけど、私、貴方に本当に感謝してるの。一樹と結婚してくれてありがとう、瑠璃さん」
紙袋には確かにまだ読んでいないが、手紙が入っていた。
手紙を貰うなんていつぶりだろうか。
「それは、こちらこそです。お母様こそ、一樹さんをこの世に生み落としてくれてありがとうございます」
園田一樹と出会えて私は初めて愛され愛することを知った。
「なんて、素敵な事を言ってくれるのかしら? うちのお嫁さんって本当に最高ね。ますます、孫が楽しみになって来たわ。きっと、飛行機が好きなシゴデキな女の子が生まれそうね」
「ま、孫⋯⋯」
一樹には兄がいるが兄一家は子供のいない人生を選択しているらしい。
そのせいもあり、子作りの圧が強いのは仕方ないのかもしれない。