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第89話 義母からの手紙

午後の経営会議の前に、休憩室でサンドイッチを頬張る。

義母が渡してくれた紙袋の中の手紙の文字を辿るとなぜか涙が溢れた。


そして、ここに綴られている内容は感動を誘おうと書いたことではない。



『瑠璃さん、お仕事毎日お疲れ様。面と向かって言うのは照れ臭くて手紙を書きました。

瑠璃さんと出会う前、男の子2人産んだのにホテルの後継になってくれなくて私は子育てに失敗したと自分を責めてました。

瑠璃さんが一樹を自慢の息子と言ってくれた時の感動は忘れられません。


夫から赤字だったホテルを建て直した瑠璃さんの手腕を聞きました。

周りから期待されても大変だろうけれど、しっかり休んでくださいね。


一樹と結婚してくれてありがとう。心から感謝してます。


追伸、ホテルが赤字だったことは一樹には秘密にして下さい。息子に甘い母親ですみません』


 てっきり、孫が早く欲しいという催促の手紙かと思っていたら、そこに綴れていたのは私への感謝と称賛。


 いつも親にダメなところばかりを叩かれてきたせいか、周囲から褒められても親に認められなければ無意味と思っていた。

 こんな風に優しい言葉を義理の母親から、かけて貰えるとは思ってもみなかった。


 私は今日の経営会議で出そうか迷っていた資料をもう一度確認する。

『ホテルの託児所併設について』

 今日の経営対策会議の議題はインバウンド需要について。

私はそれについての提案も用意しているが、反発がありそうで今日の会議はその議題で終始するかもしれない。


 自分の家庭が家族に憧れを抱かせるような家ではなかった。

それ故に、子供の事を言われてもイマイチピンと来なかったとも言える。


 一樹の子、園田家の子を産みたい。


 今、心からそう思える。


 午前中一悶着あった場で、経営会議が始まる。


「インバウンドで、このところ客室の稼働率が97%を超えています。宿泊料金に関してですが、最低価格をもっと釣り上げても良いかと思います」

 椎名亨の言葉に拍手が巻き起こる。


 園田リゾートホテルズは宿泊料金は変動性をとっていて、最近ではスタンダードツインが1室4万円で大体はけていた。

それは、周辺の同等ホテルから比べると割安だからだ。

価格合わせの談合の場を見た後、お昼休みに少し調べていたが他の周辺ホテルは1室5万円に揃えている。

つまり、あの交流会の場に参加した人間はうちにも足並みをそろえろと暗に言ってきていたのだ。

(そんな場に私を活かせたってこと? 尖ってるから?)


 チラリと園田社長を見るとにっこりとした微笑みを向けられた。


 私はそっと手を挙げると、周りが一斉に私を見た。

私は用意した資料を皆に配る。皆の視線には期待が混じっていた。

今まで、運よく私の企画は成功してきたが、今回は失敗するかもしれない。

(そもそも、賛同が得られるかどうかも⋯⋯)


 今、ホテル業界はノリノリだ。東京のホテルの値上がりなどマシな方。京都、広島の宮島など外国人が好む旅行先は宿泊料金が4倍にもなっていたりする。


「日本人限定フロアー? 正気ですか瑠璃さん」

「二重価格? 批判が出ませんかね?」

「大浴場の有料化? それはないでしょ。うちの売りなのに⋯⋯」

 周囲が騒ぎ始めたので、私は順を追って説明することにした。


「皆様、今回の企画は失敗するかもせれません。でも、私は今のままでは日本人のお客様が離れてしまうと思うんです。お客様というのは1度離れたら戻ってきません」


 離れたお客様は戻って来ないというのは、私が航空会社に勤務していて感じていたこと。

多頻度と呼ばれる2日に1回は飛行機に乗るお客様はお気に入りの航空会社のマイルを貯めて常に同じ会社の飛行機に乗る。

ある時、他社の多頻度のお客様だったと言うお客様が、ウチに推し変したと言って来た事があった。


いつも乗る航空会社で、いつもはあったはずの挨拶がなかったとらしい。

 しかもその日はお客様の誕生日で、昨年はカードまでくれたのに無視されたと言っていた。

多頻度のお客様はCAが把握できるようになっている。大体、非常口座席の足元の広い席を選ばれる事が多い。

そう言ったお客様には、特別に挨拶に伺う事はマニュアルには載ってないが殆どのCAがやってる事。


 そしてバースデーカードもマニュアルにはない。

全てはCAの判断で行っている事だが、前はあったのに今回はなかったはネガティブ評価に繋がる。

サービスにおいて必要なのは、期待したものを期待通りに提供すること。


「瑠璃さんの意見は理解できます。実際、日本人のお客様の利用は減っていますし、クレームも増えてはいます」

「その通りです。クレームが一番多いのが大浴場の使い方ですね。浴室で食べ物を食べていた、大声で話をしている方がいたのに清掃の人が注意もしないなどと言うクレームです」

 園田社長の言葉に私は頷きながら、資料を捲るように促した。


 大浴場に慣れた日本人と異なり、他国の人は浴場の使い方を知らない。

絵や図を駆使し使い方を指示したが無駄だった。


「大浴場は園田リゾートホテルズの会員様は無料で提供します。そして、二重価格というと驚かれるかもしれませんが、こちらもホテル会員の方への割引価格と思ってください」

園田リゾートホテルズの特徴を生かした二重価格。園田リゾートホテルズは海外に2店あるが、元は国内中心。そして、その名残かホテル会員は日本国内に住所がないとなれない。

 その特性を活かし、リピーターになってくれる日本会員の心を離さないのが私の提案だ。




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