槇原真智子⋯⋯高校卒業後から一度も会っていない並行世界の研究者で、もう一つの世界でルリさんの親友になった人。
私が園田リゾートホテルズの社長になって、美香や佳奈からも結婚式以来の連絡があった。2人に社長に就任した事は伝えてないが、敏腕女社長としてメディアに取り上げられたので耳にしたのだろう。私に金回りの良い男を紹介して欲しいという美香。自分の夫が起業して園田リゾートホテルズと仕事をしたいというお願いをしてくる佳奈。
結婚式に私に嫌がらせしたのを2人は忘れてしまったようだ。長い付き合いの2人だから、あの出来事だけだったら私は2人を許せたかもしれない。
やはり、ルリさんから2人がもう1つの世界で窮地の時に無視したという話を聞いたことが私の中で引っ掛かっている。並行世界の別人とは分かっていても、大元は同じ。女の友情とはハムより薄いと言うのは本当のようだ。自分の都合の良い時だけ擦り寄ってくる2人と会う気はなかった。あの2人とは小学校から大学まで16年近くつるんできたけれど、友情の深さと年月の長さは比例しない。
槇原真智子については別だ。
私は彼女のことを変わり者として長年避けてしまった。
彼女がクラスで浮いて孤独な学生生活を送っていたのは見ていたが、なんとも思わなかった。
そんな彼女と私が大親友になる世界線があるなんて信じられない。彼女とちゃんと話してみたいという興味と、並行世界のルリさんの情報を持っていたら知りたいという気持ち。正直、1日24時間では足りないくらい忙しいが、須藤聖也を成敗する事と同じくらい槇原真智子と会いたいという欲求は抑えられなかった。
秘書に連れられて入ってきた槇原真智子は、高校の時と変わらない黒髪ショートに化粧っ気がなかった。如何にも研究者という印象だ。
「森本さん、久しぶりね」
気まずそうに私に話しかけてきた槇原真智子を見て秘書を下げた。
(折り入った話が聞けそうね⋯⋯)
私と彼女は小学校2年生以来会話という会話をしていない。でも、槇原真智子はもう一人の私にとっては救世主。
「槇原さん。パラレル研究所でお勤めらしいけれど、本日はビジネス的な相談かしら」
「まあ、ビジネス的と言えばそうだけれど⋯⋯」
応接ルームの赤いソファーに向かい合って座る私と彼女。
ルリさんなら彼女の隣に座り、自分のアレやコレを語って相談するのだろう。
「並行世界⋯⋯小学校2年生の時から興味があったことを仕事にするなんて凄いわね」
「あの時の会話覚えてくれてたんだ」
槇原真智子の囁きに私は戸惑った。
私と彼女の間に会話など成り立っていなかった。
聞き上手のルリさんだったら、興味深く彼女の話を聞いたのだろう。私は彼女のマシンガントークを心ここにあらずで聞き流していた。ルリさんなら彼女の興味を自分のことのように考え、夢いっぱいに想像する。
私とルリさんが同じような環境で全く違う性格になった原因はおそらく父の虐待。
自分が子を持った今。私は本当の意味で親を客観的に見れるようになった。ルリさんと出会っていなかったら、私も父のように自分の子を思い通りに動かそうとする人間になっていた。
人の話を聞かず自分の主張を通そうとする父。時には暴力を振られることもあった。そんな時に、自分はそうはならないと誓ったのがルリさん。ひたすらに心を無にして嵐が過ぎ去るのを待ったのが私。
私が槇原真智子に共感していたら、私たちはかけがえのない親友になれていたのかもしれない。
「研究所への寄付は私も考えているわ」
パラレル研究所への寄付は税金対策や科学への興味を周囲に指し示す意味でも効果的。
「そんなお願いに来たんじゃないの。私は並行世界に移動した森本さんにこの事業を推薦して欲しくて来たの」
並行世界の存在を認めさせ、入れ替わりなどをエンターテーメントのように繰り広げる計画。
ルリさんの使っていた薬には無限の可能性がある。
「反対よ。あの薬は流通させるべきではないし、並行世界の存在も一般的に公開すべきではない。どれだけのリスクを孕んでいると思っているの? 並行世界で犯罪を犯したら誰が裁く? もう一人の自分と出会う事で受ける衝撃⋯⋯それは人それぞれよ」
「はぁ⋯⋯やっぱり厳しいわね。森本瑠璃。確かにあなたは、あちらの世界のモリモトルリとは別人のようだわ。あちらの世界のモリモトルリなら、私の提案を一晩は考えてくれるはずだもの」
私は槇原真智子の言葉に目を見開いた。
「ルリさんと会ったの?」
「直接は会っていないわ。でも知っての通り、あちらの世界の私と彼女はなんでも話せる仲なの。あちらの世界のモリモトルリは真咲隼人と結婚してパリで子供4人に囲まれて幸せに過ごしているわ」
「5年で子供4人?」
思わず大きな声が出てしまった。
あれから5年しか経っていないのに4人も子供を産ませられている。結局、ルリさんは真咲隼人と別れられていない。でも、5年の内に子供を4人も産ませられているのは彼女を縛り付ける為の多産DV。
(真咲隼人ならやりかねない⋯⋯)
「森本さんって相変わらず自分の物差しでしか人を測らないのね」
「それってどういう意味?」
「あちらのモリモトルリさんは幸せに過ごしてるわ。彼女の希望でフランスに移住して、真咲社長は本社まで移した。彼はルリさんをとても大切にしている」
「愛を知ってる方の真咲隼人ね」
私はこちらの世界のサイボーグの真咲隼人を思い出していた。
「真咲隼人はすっかり子煩悩なパパよ。ルリさんも下の子は予想外に3つ子で育児に苦戦したみたいだけれど、今はご夫人たちと慈善活動に励んでるらしいわ」
ルリさんがボランティア活動をする余裕が出来た事にホッとする。彼女は5年前は精神的に限界だった。真咲隼人はいけすかない男だけれど、彼女に対する気持ちだけは本気だったのは私にも分かった。
「私の今の生活はルリさんとの出会いの影響があったから手に入れられたものだとは認める。だけれども、この薬は絶対に流通させてはいけない。確かに有用性はある。免許制にして厳しい制限の中での使用。科学の発展などの目的での交流。それ以外はダメよ」
槇原真智子のような研究目的であれば問題はない。でも、私も入れ替わったことで喜ばしい面もあったが、一生抱える黒い霞を飲み込んだような感覚がある。私の愛する夫を一晩で虜にしたのは私ではない。その消えない事実は、ふとした瞬間に私の心に冷たい風を吹かす。