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第101話 彼の言った通り

「瑠璃社長、今日は学者の森本正義の講演会ですね」


椎名亨から言われた言葉に思わず首を傾げる。


 学者の森本正義は私の父親。

29歳まで私の世界の中心にいた人。


 彼に認められるように動き、尽くした。それなのに、今の私は彼の名前を見てもお客様の1人としか捉えていなかった。正直、今は彼に認められようが、一生存在を無視されようが心底どうでも良い。

 真咲隼人が、高みまで登れば父親に復讐できると言っていたのを思い出す。背筋が凍る程に彼のいう通り。私が高みまで登ったかは別として、父親と全く違う世界でがむしゃらに頑張って来た。

 すると、私を支配していた父親の存在は、私の中で取るに足らないものに変わっていた。


「椎名さん、対応お願いしますね」

「公私混同しない瑠璃社長は流石ですね」

 私に反発していた椎名亨は今は私に心酔している。

 元々、純粋な人なのか園田社長の志に心酔してた彼の崇める相手が私に変わっただけ。


「今日はVIPがたて込んでますから」

 喜んで良いのか円安の影響かインバウンド需要が高まっている。そして海外からのVIPお客様は日本特有の繊細なサービスを求め園田リゾートホテルズを選ぶようになっていた。



「指揮者のピエール・ブランシャールは瑠璃さんご指名ですからね」

「ふふっ、そうですね」

 フランスの有名指揮者ピエール・ブランシャールが今日来日して宿泊する。


 ピエール・ブランシャールのVIP対応を終えた後、私は思わぬ現場に遭遇した。5年ぶりに見る私の両親。


 椎名亨が私の両親に挨拶している。


「瑠璃社長は100年に1人、いや、1000人に1人現れるかの逸材です。うちのホテルも瑠璃社長がいなければ潰れていました」


「そうなんですね。愚娘がお役に立っているのならば幸いです」


 椎名亨が私を過剰な程に褒めているのはリップサービス。彼はアメリカ留学の経験があるからか、相手を褒めるのが上手だ。私の父親は極めて日本的な性分なので、謙虚で謙遜する事に美学を持っている。明らかに慣れない場面に戸惑っている父を見て呆れてしまった。父は家では王様、自分のテリトリーでは先生。でも、一歩外に出ると、臨機応変な対応さえできない社会性のない大人。


「愚娘なんて謙遜を! 瑠璃社長は何をやっても成功される人だと思います。たぶん、学者になってもお父様を超えていくんじゃないですか?」


 無自覚に父の地雷を踏む椎名亨。彼は悪気がない。父の娘である私をアメリカ式に褒めただけ。娘の私を褒めることで、父が喜ぶと思っている。子の成功を素直に喜ばない親が存在するとは思ってもないのだろう。


 私の両親の顔は強張っていた。

 彼らの価値観では学者が世界の頂点。私がいくら他の世界で活躍しようとも、馬鹿にしていたはずだ。でも、世界には色々な価値観が存在する。

 それを目の当たりにした2人は固まるしかない。母が不安そうに父が苛立ちを抑える顔色を窺っている。


「それはないと思います。瑠璃は耐えしょうのない子ですし⋯⋯研究者は我慢強さが必要ですから」

 母が父を必死にフォローする。外に出てみると母の視野の狭さには呆れる。

彼女は有名学者である父さえ崇めていれば良いと思っている。


「いえいえ、瑠璃社長程、意志の強い方はなかなかいません。、瑠璃社長は今や誰もが憧れる女性ですよ。 子育ても仕事も両立して成功している、娘の真奈ちゃんも可愛い! うちのホテルじゃ生まれた時から見ているせいか、真奈ちゃんは園田リゾートホテルズのアイドルです!」


 数々の顧客を相手にしているせいもあり、椎名亨は本当にヨイショが上手い。そして、今、そのヨイショが完全に私の両親の地雷を踏んでいる。私は両親に真奈を合わせていない。


 そろそろ社長室に戻ろうかと思ったところで、秘書から声を掛けられる。


「瑠璃社長、シンガポールの総支店長からオンライン電話が来ているのですが」

「今、行くわ」


 私の声に反応したように両親の視線を感じた。私を力で支配した2人。


 子供の私はどこにも行けず、ひたすら従うしかなかった。

 でも、今は彼ら存在が本当にどうでも良い。

 背中に両親の視線を感じながら、私はオンライン会議の場に急いだ。

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