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第119話 奇跡を起こした勇気

夏休み、私は家族でシンガポール旅行に来ていた。

シンガポールに来るのは人生で2度目。

一度目は航空会社に就職してから、同期と一緒に来た。


TKL航空は空席があれば国内は無料で搭乗できる。

それから国際線に関しても格安で乗れる。


せっかくだから、海外旅行に行こうと同期に誘われたが親からの許可はなかなか得られなかった。

そこで私は世界一の航空会社とも言われるシンガポール航空の研究旅行に行きたいと父に打診をした。

研究者である父は娯楽を許さず、研究なら認めてくれる。


そんな風に社会人になってまで親の許可を取ってる自分が嫌だった。

あの親から解放されるには縁を切るしかないなんて思っても見なかった。

そんな究極の選択肢が出てきたのは、間違いなくルリさんと出会ったからだ。

(精神がボロボロになった娘を捨てるとか⋯⋯本当にないわ)


「CAさんみんな美人だね」

隣に座っている真奈の言葉に私は周りを見渡した。

シンガポール航空、通称SQ。

民族衣装のような制服は少しでも体型が崩れたら着れないだろう。

メイクはTKL航空の時も訓練中にレッスンがあったが、そこまでシビアな色指定などはない。

しかし、ここの航空会社は違う。


「勉強になるわ」

私は思わず呟いた。

仕事にかまけているとルックスに気を配れなくなっていたが、見た目は重要だ。

まだ特にサービスは受けていないのに、美しくきっちりと手入れされたCAは一流のサービスを提供するだろうと分かる。


「ママ、お仕事はなしだよ」

まだ2歳なのに、私を牽制してくる翼。

私が家でも仕事ばかりしているのを注意されている気分だ。


もっと子供たちと時間を過ごさないといけないと反省する。


シンガポールに到着すると、私が前に来た15年前とは全く違う風景が広がっていた。

高級ホテルが立ち並ぶ、美しい光景。


以前来た時も、ゴミを捨てると罰金があるなど街並みの美しさには気を遣っていた国だ。

でも、何もかもあの時の10倍くらいの値段になっている。


「瑠璃は前にシンガポールに来たことがあるんだっけ」

「うん、その頃はマーライオンとセントーサ島しかなかったんだけどね」

「随分変わったんだな」

「でも、あの時からシンガポールは観光業で成功すると思ってたわ」


当時、セントーサ島に渡るロープーウェイに乗った時、スタッフからもう一度来てくれるなら片道を無料にすると言われた。

そういった声掛けを明るくして、観光業を盛り立てようという意識が国民に浸透していた国。

成功しない訳がない。


「お母様、お仕事はなしよ」

今度は真奈から注意を受ける。

いつの間にか小学生になってしまった彼女。

彼女に勉強を強いる事はないが、彼女を遊びに連れて行ってあげる事もない。

もう少し、しっかり子供たちと関わっていかないと後悔する気がする。


私たちはタクシーで園田リゾートホテルズシンガポールにチェックインした。

広々としたロビー。

南国のアロマの香りが鼻腔を擽る。


整えられた観葉植物に、咲き誇る南国の色とりどりの花。

私たちを待ち構えていたように、スタッフたちが並んでいる。


私に挨拶をしてくるシンガポールの総支店長は、仕事の話をしそうな勢いだ。

おそらく私がここを訪れるのを視察だと思っているのだろう。


「今日はプライベートで来てますので」

私の言葉に真奈と翼が顔を見合わせてガッツポーズをするのが分かった。

ここまで必死に頑張ってきたつもりだが、子育てに関しては落第点。

我が人生に一点の悔いありだ。


用意されたスイートルームは完璧。

VIPへのサービスの際のシャンパンとフルーツも置いてあるが、これは余計。

私ならば、子連れということでお菓子とジュースに変更する。

私はいくつもある部屋を思わず念入りにチェックしていた。


そんな私の様子を見た一樹が口を開く。

「瑠璃、俺が子供たち見てるから、仕事の話をしてきて良いよ」

当たり前のように私を気遣ってくる一樹に反省しかない。

「今日は、家族旅行で来てるのよ。仕事のことは忘れたわ」

私の言葉に一樹が目を見開いて驚いている。


「瑠璃の記憶喪失はちょっと怖いぞ。久しぶりに魔性のルリが出てくるか?」

私のおでこに手を当てながら、的外れな事を口走る一樹。

10年経っても、ルリさんとの思い出を彼が持ち続けているのが悔しい。


「出てきません。私には私しか出来ない事をするから」

ルリさんは7人の子育てをしながら、女を忘れず夫をメロメロにし続ける超人かもしれない。

私と彼女は生まれてきた時のスペックは同じでも違う人生を生きている。


私は彼女と違って貧乏臭いところも、生真面目でつまらないところもある。

でも、真面目で何が悪い。経済観念だってしっかりしていて良いはずだ。


住み込みのメイドを雇う金銭的余裕があっても、雇いたくない。

他人が自分の生活領域に入ってくるのは好きではない。


「瑠璃はいつだって自分にしか出来ない事をしてるよ」

私の頭を撫でてくれる愛する夫と結ばれたのはルリさんのお陰。

彼女は壊れた心を抱えながら、勇気を持って新しい世界に飛び込んだ。

そんな奇跡を起こした勇気に感謝する。


「私の本気はもっと凄いわよ。まずは何処に遊びに行きたい!」

だから、私も勇気を出す。

幸せな家族の形は想像でしか分からない。

正直、子供と関わるより仕事をしている方が私には簡単だ。


でも、まだ私を求めてくれている2人の子と夫がいる。

彼らを私の精一杯で幸せにする。

「「プール!」」

子供たちが声を揃えてアピールしてきた場所は私にとって難所。

(ムダ毛処理はした⋯⋯しかし⋯⋯体型は)


体型は明るいところで見られるには、やや恥ずかしい。

20代の頃とは違う。

(経産婦だしな)

「もっと、シンガポールでしか来られないところに」と言おうとした口をつぐむ。

一樹が既に浮き輪を膨らましていた。


「よし、プールに行こう!」

私は帰ったら美容に気を遣うことを決意しながら、愛する家族とプールに向かった。

(ルリさん! 私は幸せ! あなたも幸せにね!)

特別な出会いに感謝しながら、この家族との出会いの幸福を噛み締めた。




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