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第三章 生殺与奪のラプソディア

第1話

 薄暗い地下室で、空気を切り裂く音が鳴り響く。

陽の光も通らない暗闇に、ぽつりぽつりと小さなろうそくの明かりだけが、優しく……そして何処か怪しげに揺れる。


「どうしてっ!お前等は俺の思う通りに動かないんだ!」


 老齢の男性の手に握られている鋭いトゲの生えた鞭が空気を切り裂き、美しい水色の瞳と髪を持つ少年の肌を傷つけていく。

目を覆いたくなる程の痛々しい姿でありながらも、苦悶の声を出すこともなく痛みに耐え、何かを守るように必死に抱きしめている。


「……汚れた血が混じっているくせに、どうして我らのように清く青い血が流れた我が子よりもっ!容姿が整いっ!頭の出来が良いのだ!」

「お願いです、お父様……もうやめて──」

「何がお父様だっ!たまたま俺が見つけて慈悲をくれてやっただけで、双子なんて作って屋敷の前に捨てて行きやがって!おまえ等なんて、血の繋がりさえなければ今すぐ追い出してやりたいくらいだ!」


 少年が鞭に打たれるのに耐え切れなくなったのか、抱きしめ守られている少女が、か細い声で父と呼ばれた老齢の男性に問い掛ける。

けれど、返って来るのは更なる怒りの感情で──


「ハァ、ハァ……今日はこれで勘弁してやる、いいか?俺に鞭を振るわれた事を誰にも言うんじゃないぞ?汚れた平民の血が半分入っているとはいえ、おまえ等は貴族の子だからな、口外したらどうなるか分かっているだろう?」

「……分かっています」

「その物分かりが良いところが癪に障る……が、今日はこれで許してやる、もうすぐ学園が始まるからな、傷が目立たないようにしておけよ?」

「はい……お父様」


 鞭を乱暴に投げ捨てると、乱暴に扉を開けて父と呼ばれた老齢の男性が部屋から出て行く。

その姿を何も言わずに二人が見送った後、緊張の糸が解けたのか、少年が強く抱きしめていた少女を解放すると力なく床に崩れ落ちる。


「お、お兄ちゃん!」

「……ツィオーネ、大丈夫かい?」

「うん、ぼくは大丈夫だけど、ネーヴェお兄ちゃん、傷が……」


 床に血溜まりが溜まっていくけれど、ネーヴェと呼ばれた少年は痛がる素振りも見せずにゆっくりと立ちあがると、錆びつき軋む椅子に腰かける。


「……お父様が言っていたろ?傷が目立たないようにしないと、ツィオーネ、治療をお願い出来る?」

「出来るけど、ぼくはもうやだよ……ねぇ、学園の卒業を待たなくていいから、ここからもう逃げよう?」

「俺も出来るならそうしたいさ、だけど……庶子である俺達が出ていって、どうすればいいんだい?何者でもない俺達では、生きる場所を選ぶ権利が無いよ」

「分かってる、でも……あっ」

「庶子である俺達が生きる為には、まずは学園を卒業して地位を確立しないと……」


 裂けてボロボロになった血まみれの衣服を脱がし、消毒液変わりの強いお酒と傷口に塗ろうとしたツィオーネをネーヴェが優しく抱きしめる。


「大丈夫、今は辛いけれど学園に行きさえすれば、寮に入れるからこの屋敷を出れるから、体罰に恐れなくて良くなるよ」

「……でも、お兄ちゃん」

「何よりもあそこは貴族の血を継いでさえいれば、嫡子と庶子とか関係なく平等らしいから、ツィオーネに辛い思いはもうさせないよ」


 ……アリステア家の主人が、平民でありながらも並外れて美しい容姿を持っていた使用人との間に産まれた庶子、兄【ネーヴェ・ヴェイン・アリステア】と妹の【ツィオーネ・ユーステス・アリステア】。

不幸な事に、嫡子よりも優れた知性に、幼くとも男女問わず惹きつける完成された容姿。

貴族至上主義である父の怒りを買うには充分で、理不尽な理由で体罰を受け続けていた。


「でも……」

「大丈夫、ツィオーネの事は俺が絶対に守るから……それで、学園を出たらアリステア家を去って二人で幸せに暮らそう」

「……うん」

「幸いなことに庶子ではあるけれど、俺達は侯爵家の子だ……教育を受けさえすれば、仕事には困らない……は、ず」

「おにい……さ、ま?」


 優しく抱きしめていた腕が解かれると、全身の力が抜け脱力して動かなくなる。

ネーヴェの異変に気付いたツィオーネが、宝石のように美しい赤い瞳を大きく見開く。


「お兄様?ネーヴェお兄様!?」


 手に持っていたお酒と包帯を床に置くと、気を失ったネーヴェの体を抱きしめる。

自身が血で汚れる事すらいとわずに、眼に涙を浮かべながら強く、そして誰よりも愛おしそうに……


「ネーヴェ、あなたがぼくを守ってくれるように、ぼくもあなたを守り助けるから……だから、学園に入ったら誰にもお兄様を傷付けさせないからっ!」


 暫くネーヴェを抱きしめながら涙を流した後、衣服を血で赤く染め愛おし気な表情を浮かべながら離れ、彼の背後に回ると床に置いたお酒を手に取り慣れた手つきで傷口を濡らす。

決して清潔とは言えないが、薄汚れた包帯を巻くとそっと傷口に頬を寄せ、優しく手で背中に触れる。


「ネーヴェ、私の愛しいお兄様……あなたさえいれば、ぼくは何もいらない」


 愛おし気にそう呟き、静かに眼を閉じる。

歪な関係であれど、決して離れずに肩を寄せあう二人は、学園が始まるまでの間……これから来るであろう明るい未来を夢見て、胸に淡い希望の光を灯した。

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