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第44話 温泉宿の邂逅

 三人を残して先に部屋に戻ったオレがふすまを開けると、なぜだかそこに先客がいた。

 女だ。


 見た目の年齢はオレとそう変わらない二十代後半。

 艶々つやつやの黒髪ロングに美しい切れ長の目。細くスッキリとした眉。通った鼻筋。細い唇。ちょっとキツ目の印象を与えるが、いやいや、結構な美人だ。


 胸はフィオナより大きく、ウェストはリーサより引き締まっている。

 まるで漫画のキャラクター。リアルなんちゃらだな。


 だがその雰囲気と凄まじい陰の気から、正体は丸わかりだ。

 魔族。しかもここまで濃い気を発しているとなると、間違いなく七霊帝しちれいていレベルだろう。


 なのに何でコイツは……よりにもよってこの旅館の女性用浴衣を着ているんだ? ご丁寧に羽織まで羽織っているし。

 そんなオレの困惑をまるで気にせず、女は平然とオレに挨拶してきた。


「おはよう、勇者フジガヤ。朝の挨拶に来たら部屋が空っぽなんだもの。そう。全員そろって朝風呂に行ってきたのね。仲が良いこと。あ、お茶れるけど飲む?」

「あぁ……じゃあ……いただくよ」


 オレは部屋備えつけの木目調の座卓を挟んで、美女の向かい側に座った。


 風呂にはタオル一枚しか持っていかなかったから、当然、愛剣・シルバーファングは美女の後ろだ。

 つまり、今のオレは上級魔族を前に丸腰ということになる。まいったな。


 コポコポコポ……。


 浴衣姿の美女がオレにお茶を淹れてくれる。

 ユリーシャのような僧侶でないオレには、湯飲みを見ただけでは毒が入っているかは分からない。

 もし致死毒でも入っていたら? 三人娘を待たずにこれを飲んでもいいのか?

 だが、そんなオレの葛藤などお見通しとでも言わんばかりに美女が笑う。


「毒なんか入っていないわよ。そんなケチなことしないわ。ほら」


 美女が自分用の湯飲みを口にする。が、あっという間に湯飲みから口を離す。


「あちちちち! そういえば私、猫舌だったわ。ふぅ」

「何をやりたいんだ、お前は!」


 オレのツッコミを平然と受け流した美女は、自分の湯飲みをゆっくりと机に置くと、真正面からオレを見つめた。

 吸い込まれそうなほど魅惑的な瞳だ。

 くそっ、魔族だってのに!


「まずは自己紹介をしましょう。私は色欲帝しきよくてい・ルクシャーナ=デルタ。魔王七霊帝の一人よ」

「……だろうね」

「あら、驚かないのね」

「そりゃこんだけ陰の気がプンプンしてりゃあな。んで? 用件は? まさかここでおっぱじめようってんじゃあるまい?」

「そうね。こう見えて私、この街によく訪れるのよ、温泉が好きだから。この街が破壊されるなんて耐えられないわ」


 ルクシャーナが両手を広げて大げさに嘆いてみせる。

 ホント、何のつもりなんだ、コイツは。


「……温泉が好きな魔族なんて初めて聞いたぜ。信じていいかどうかは分からんがな」


 その時だ。


 ガラっ。

 部屋の襖が勢いよく開いた。

 笑いながら部屋の中に入ってきた三人娘の目がルクシャーナに向けられる。

 途端にさっきまでの笑顔が消え、三人に緊張がみなぎる。


「何で魔族がこんなところに!?」

「旦那さま、大丈夫!?」

「センセ、下がって!!」


 勇ましくも、三人娘が揃いの赤い浴衣姿で部屋に飛び込んでくる。

 だが当然のことながら三人とも素手だ。


 武器か何かのように、色違いの巾着きんちゃくをルクシャーナに向けているが、中に入っているのはせいぜい替えの下着や化粧品類だけだろう。

 だって三人の武器である剣、杖、錫杖しゃくじょうはオレの剣と一緒に部屋の隅に堂々と立てかけてあるもんな。


 そんなの、ルクシャーナは部屋に入った瞬間に分かっていただろうよ。

 見ろ、ルクシャーナが鼻で笑うような表情で三人娘を見ていやがる。


 座卓につくオレと色欲帝・ルクシャーナ。そして部屋の入り口近くで臨戦態勢を取る三人娘――リーサ、フィオナ、ユリーシャ。


 ルクシャーナはここで戦端を切るのを望んではいないようだが、それを信じていいのか?

 どちらにしても、七霊帝の一人なら、一瞬でこの宿を壊滅させることだって可能だろう。

 そんなことになったらどれだけの犠牲者が出ることか。

 さぁてどうしたものか。


 だが、そんなオレの戸惑いをまるで意にも介さず、ルクシャーナはその場にすっくと立つと、部屋の入り口まで移動した。

 警戒している三人娘の脇を余裕の表情で通り過ぎると、不意にルクシャーナは振り返った。


「ごめんなさい、そろそろ時間だわ。話はまた後ほど改めてすることとしましょう。じゃあね、勇者フジガヤ」

「お、おう。またな……」


 ルクシャーナがいなくなると同時に三人娘がその場でへたり込む。

 陰の気に当てられたのだろう。消耗が激しい。


「だ、大丈夫だった? 旦那さま」

「おう。お前らもよく耐えたな」

「気が気じゃなかったんだからね、テッペー」

「心配かけたな、フィオナ」

「ドっと疲れちゃった。栄養補給しないと動けないよぉ」

「栄養補給? ヤバい、すっかり忘れてた! 朝食バイキングがスタートしている時間だ。ちょうど良かった。朝からしっかりご飯を食べて、体力を回復しよう。行くぞ!」


 ◇◆◇◆◇


 出遅れてしまったのか、グッタリしている三人娘を連れて大食堂に入ったオレたちを待っていたのは、すでに食事を始めている大勢の宿泊客と、料理をてんこ盛りにしたお皿をトレイに乗せてシレっとオレたちの前を通り過ぎて行くルクシャーナだった。


「お前、何でここにいるんだ!!」


 ビックリして大声を上げたオレの傍にスっと寄って来たルクシャーナが、右手の人差し指で『静かに』とジェスチャーをしつつささやいた。


「何でって、宿泊客だからよ。あなたたちはもう一泊? 私はご飯食べたらチェックアウトするけど、ゆっくりしていくといいわ。大浴場は男女一日交替になるから、今夜は昨夜とは違うお風呂を楽しめるわよ」

「お、おおぅ、情報助かる。いや、そうじゃなくって!」


 ルクシャーナの顔が一瞬真顔になる。


「そこの港で船をチャータなさい。行き先はタルパ島。活火山があって普段は人の立ち入りを禁止しているんだけど、勇者だと言ったら渡してもらえるでしょうよ。タルパ島まではここの港からなら船で四、五時間ってとこね。いつきてもいいわよ? そこで待っているから。でも折角だからくるならこの街を堪能してからにすることね。あぁ、それと……」

「何だ?」


 決闘の申し込みだ。

 オレも浴衣にトレイを持った間抜けな姿ではあるが、顔だけでも真剣な表情になる。


「ガッソっていうこの辺で獲れる魚があるんだけど、これは焼いても生でも美味しいわ。肝が入ったすまし汁はこのホテルでしか食べられない逸品なんだけど、人気があるから一時間でなくなるの。是非この機を逃さず食べておくことね」


 ルクシャーナは言うだけ言うと、浴衣姿のまま余裕の笑みで去って行った。

 ……行き先は、奥の方のテーブルだが。


「センセ……」

「あぁ」

「ガッソ四人前、確保してくる!」

「頼んだ!」


 こうしてオレたちは、朝食バイキングを存分に堪能したのであった。


 ◇◆◇◆◇


 結論から言うと、オレたちがこのタイミングでタルパ島に行くことはなかった。

 ルクシャーナの誘いをガン無視したのだ。

 だって、いつでもいいって言ってたしさ。

 それに、温泉入った直後にルクシャーナと戦うってのが何だか躊躇ためらわれてな。だって妙に人間臭いじゃん、アイツ。だからかな、先延ばしにしちまったのは。


 とは言うもののだ。

 もちろん理由はそれだけじゃない。


「おまえ、ホントどういうつもりなんだ?」


 オレはずんだに乗りながら、胸のガイコツキーホルダーを軽く揺らした。

 そう。最終的にタルパ島行きキャンセルを決断させたのはコイツだ。


 港町エストワールで二泊三日の温泉旅行を楽しんだオレたちがいざタルパ島に向かおうとした時、このガイコツがオーバル行きを指示しやがった。

 見間違いかと思ったが、オレは思い留まった。コイツが今まで間違った指示をしたことなど一度もなかったからだ。

 何かがあるんだ、この行き先変更には。


 そうして休暇を堪能してお肌がツヤツヤになったオレたちは、二日後、オーバル王国最初の町、ワークレイに到着したのであった。

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