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第64話 追憶

 パッシィィィィン!!


 思っていた以上にパワーが乗っていたようで、オレはよろけて、その場で尻もちをついた。

 サックスのニットに花柄のフレアスカートを履いた女子大生が、オレの左頬を思いっきりビンタしたのだ。


 見上げると、彼女が泣いている。

 いやいや、精神的にはどうだか知らないが、物理的には叩かれたこっちの方が泣きたいっての。


「さよなら!」


 オレをキっと睨みつけた彼女は、そうひと言だけ言うと、颯爽さっそうと去って行った。


「……痛ぇ」


 それを皮切りに、結構な数のギャラリーが三々五々散っていく。

 何せ大学のキャンパス内での揉めごとだもんで、人が集まりやすいんだよ。全く、とんだ災難だよ。

 だが、一人だけその場に残った者がいた。


 オレと同じ百八十センチの高身長に、眼鏡をかけた痩せぎす体型。

 よくよく見ると整った顔立ちではあるんだが、どうにも神経質そうな性格が災いして彼女の一人もできたことのないコイツは、久我光寿くがみつとしという。


 教育学部のオレと法学部の久我とで、学部こそ違うが、同じ高校出身だったせいかいまだに何くれと世話を焼きやがる。

 お前が生徒会長だったのは高校のときの話だ。大学に入ってまでオレの面倒をみようだなんてするな、アホタレが。


「浜崎さん、泣いていたじゃないか。またやり捨てか、藤ヶ谷ふじがや

「捨てるも何も、特定の彼女を作る気はないって付き合う前にちゃんと言ったんだ。それでもいいって言ってオレの傍にいたのは彼女の方だ。なのに他の子とホテル行ったくらいで勝手にキレてさ。わけわかんねぇよ」

「相手の気持ちになって考えろよ。同時進行なんて最低だぞ。いい加減一人に絞って誠実な付き合いをしろよ。昔からずっとお前を見てきたが、いつも最後はコレじゃないか。なぜ経験が生きない」

「たかが四、五年程度の付き合いで保護者面するな!」


 オレは説教臭い久我がウザったくなって、地面にあぐらをかいたまま睨みつけた。

 久我が一瞬、複雑そうな顔をして何かを言おうとするが、止めてため息をつく。

 そのため息にイラっときたオレは言い返した。


「言っておくが、今までに何人もの女の子と付き合ったが、一人の例外もなく性行為用のガールフレンドさ。彼女じゃない。それでもいいって皆寄ってくるんだ。オレのせいじゃない」

「本当にゲスいな。それで? 今現在のガールフレンドの人数は?」

「七人。あぁ今一人減ったから六人か。ははは」

「そりゃキレるわ。馬鹿馬鹿しい」  


 オレは立ち上がって埃を払った。

 確かにコイツの言うとおり、オレはいつもこうやってガールフレンドと別れる。

 だって仕方ないじゃないか。オレには付き合うってことがいまいち分からないんだから。


 幼くして両親を事故で亡くし、親戚筋をたらい回しにされた挙句に五歳で施設に入ったオレには、愛というものが分からない。

 彼女ができれば分かるのか? そもそも彼女って何だ? 性欲と何が違う。さっぱり分からねぇ。


「そんなに怒るなよ、久我。……まさかお前、ひょっとして浜崎さんのこと……」


 次の瞬間、オレは顔面にパンチを受けて吹っ飛んだ。


「……痛ぇ」


 再び起き上がったとき、久我はいなかった。

 学生時代はそれでもキャンパス内ですれ違ったり見かけたりすることはあったが、結局それ以来、久我と話すことはなかった。

 社会人になってからは一度も会っていない。

 だから、結局あのパンチがオレにとって久我という男に関する最後の記憶になる。


 ふと、オレは一つ、ある事実を思い出した。

 アーバスで狭間の空間はざまのくうかんに置いてあった巨大ガチャを見たとき、オレの隣の四番モニターに久我の名前が入っていた。


 まじまじと観察しなかったのでいまいち自信はないが、ロートレックでモニターをチラ見したときは、特にリタイア用紙は貼られていなかったように思う。

 ということは、久我はまだ冒険を続けているのかもしれない。

 このまま進めば、オレはこっちの世界のどこかで久我に会うことがあるんだろうか……。


 そこでオレは、目の前で炎が揺れているのに気がついた。

 慌てて頭を振って、考えごとを追い出す。 

 いけねぇ、いけねぇ。焚き火の番をしていたはずが、つい物思ものおもいにふけっちまった。

 一応ユリーシャに結界は張ってもらってはいるものの、警戒するに越したことはないからな。


 大木を背に地面に座ったまま、オレは火に新たな枝をくべた。

 炎の揺れに合わせて、オレの傍で寝ている三人娘の影がゆらゆら揺れる。

 あの頃からオレは変わっていない。

 愛を知らないままだ。


 焚き火の周囲では、三人娘が寝息も立てずに深い眠りに落ちている。

 オレはこの子たちに期待していいのだろうか。


 高速道路の衝突事故に巻き込まれた両親がオレのすぐ目の前で、天をも焦がす激しい炎に包まれたときに、永遠に失ってしまったもの。

 厄介払いと施設にぶち込んで、オレを忘れ去った親戚たちに求めたもの。

 彼女たちはオレに……愛とやらを与えてくれるだろうか……。


 ◇◆◇◆◇


 エンドア大陸の北の果てに、シュバルツバーンと呼ばれた小国があった。

 北の大国ネクスフェリアより更に北に位置し、一年中雪で閉ざされている上に、林業と漁業以外に目立った産業もないという、寒さが厳しく、それでいて貧しい国だった。


 そのため、国が滅び、人も去った後、国境を接していたネクスフェリアもカルナックスも特にそのエリアを併合するでもなく、放置を決め込んだ。

 併合したところで何の旨みもなく、面倒が増えるだけとなればそんなものだ。


 オレたちはネクスフェリアから真っ直ぐ東へと向かい、ぶつかった街道をさぁこれから南下するぞというまさにそのとき、街道沿いの小さな村・トッテスで、このシュバルツバーン城の噂を聞いたのだ。

 曰く、シュバルツバーンの廃城に魔物が大量に巣食っているようだと。


「だって、その辺りはもう無人なんだろ? 誰が何の目的でそんなところ行ったんだよ」


 オレたちがこのトッテスという村の一軒しかない食堂で昼食を食っていると、後ろのテーブルで食事をしていた行商人たちが話す声が聞こえてきた。

 行商人たちは安全に旅を続けるために、こうやって同業の者たちと食堂や酒場で情報交換をするのが習いだ。

 オレもそれとなく耳を澄ます。


「何でもハピアス漁港所属の船らしい。それが、魚群を追って北海辺りまで足を伸ばしたら、岸壁に建つシュバルツバーン城の上を大量に魔物が飛んでいるところを見たってんだよ」

「海から見た? それ、鳥じゃないのか?」

「それが、背中から羽根を生やした鹿顔の魔物だったって言うんだよ」

「フェルエルか! あんな高位の魔物を大量に従えるってことは、まさかシュバルツバーン城に七霊帝でもいるってのか?」

「そこまでは分からん。とにかく襲われる前に慌てて引き返したってぇからさ」

「そっか……。助かったよ。んじゃあの辺りには近寄らんことにしよう」


 行商人たちが店を出るのを待って、オレはテーブルに地図を広げた。

 食後のお茶を飲んでいた三人娘が不思議そうな顔で地図を覗き込む。

 三人とも食事に夢中で、行商人たちの話は全く耳に入っていなかったようだ。


「シュバルツバーン? うー、わたし寒い所って苦手なんだよね」


 フィオナが露骨に嫌そうな顔をする。


「旦那さま、行くならその前に寒冷地用の服を整えないといけないよ。男性用ならともかく、女性用がこの村に売っているかなぁ」

「あってもダサい服になりそう。どうする、センセ」

「そこは我慢するしかないだろう。どうせカルナックスに行けば脱ぐんだし。だがまぁ何にせよ、確認が先だ」

「確認って?」


 三人娘がそろって首をかしげる。

 三人娘の視線が集中する中、胸元からネックレスを取り出したオレは、ガイコツ人形をチェーンから外して地図の上に横たえた。

 全長十センチ。丸カンで四肢が繋がっているだけの、蓄光のチープな人形だ。

 オレは、右手の人差し指でトントンと軽くテーブルを叩いた。


嫉妬帝しっとていイルデフォンゾ=ジェルミ。……おい、爺さん、ちょっと教えてくれ」

「お? 何じゃ、呼んだか?」


 オレの召喚に応じ、絶対自立するはずがないガイコツ人形がテーブルの上に平気で立ち上がって伸びをした。

 そう。これの中身はかつて嫉妬帝と呼ばれていた大魔族、イルデフォンゾの爺さんだ。


 ガイコツ人形が、まるでクレイアニメでも見ているように、微妙にコマが足りていないような変な動きで地図の上を歩き出した。

 三人娘がビクっと身体を震わせ、固唾かたずを飲んでその様子を見守る。


「ほうほう、この近辺の地図じゃな? んで? 目的地はどこじゃ?」

「ここ、シュバルツバーンに魔物が大量に集まっているっていう話を聞いたんだが、ここに七霊帝がいるなんて話、聞いたことあるかい? 爺さん」


 イルデフォンゾは本来敵で、まさにオレが倒した相手なのだが、どうにも憎めない。何でなんだろうな。


「んー、シュバルツバーン、シュバルツバーンと。はて、どうじゃったかのぅ……」


 ガイコツ人形は地図の上をテクテクと歩くと、シュバルツバーンの書かれた辺りで思い出したとばかりに手を叩いた。


「おぉ、そういえば聞いたことがあるぞ。いるとしたら傲慢帝ごうまんていシルヴェリオ=ヴァレンティじゃろう。何というか、キザったらしくて年上をうやまうということを知らん嫌な奴じゃったよ」 

「なるほど、そういうタイプか。能力は?」

「能力……。どうじゃったかのぅ。何せ奴に会ったのはワシがロートレックに引き篭もり始めた五百年前より更に前の話じゃったから……んーー、分からん。そもそも直接戦ったこともなかったからの。ま、会えば分かるじゃろ」

「そっか。まぁそれだけ分かれば充分だ。ありがとう、爺さん。またゆっくり寝てくれ」

「おぅ。おやすみ」


 それまでテーブルの上で平然と動いていたガイコツ人形が、電池切れでも起こしたかのようにいきなり動きを止めると、そのままカシャンとテーブルの上に倒れた。

 オレは三人娘の見守る中、ガイコツ人形をヒョイっと持ち上げると、ネックレスに再び装着した。


 「だそうだ。七霊帝がそこにいるってんなら行かないって選択肢はないからな。よし、飯も食い終わったことだし、早速寒冷地用の服を買いに行くぞ。多少ダサいデザインでも我慢だ」

「「「はーい」」」 


 こうして次の目的地が決まったオレたちは、村中を走り回って装備を整えるのであった。

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