「テッペイ兄ちゃん、テッペイ兄ちゃん。起きて。誰か来たよ?」
「んぁ?」
ちょうど寝入ったところで、オレはチビドラゴンのバルの声に起こされた。
まさにオレの真上――ベッドのヘッドボードを止まり木のようにして寝ていたはずのバルが、暗闇の中、黄色い目を
バルが小声で続ける。
「この臭いは獣人だね。でも敵意は感じられない。何だろ」
「お前、そんなことまで分かるのか! ……凄ぇな、番竜」
オレは隣で寝入っているフィオナを起こさぬよう、真っ暗な部屋の中、灯りも点けずにベッドから起き上がった。
コンコン。
バルの警告通り、微かにノック音がする。
深夜だからか、若干遠慮がちな音だ。
意を決して扉を開くと、廊下に立っていたのはメイド服を着た、まだ十歳くらいの幼い獣人の少女だった。
大きな両耳が垂れている。
犬型獣人だ。
「夜分遅く申し訳ありません、勇者さま。わたしはフヴァーラ伯爵家のメイドのシシアと申します。わたくしどもの主人が是非とも勇者さまとお会いしたいと申しておりまして。お時間よろしいでしょうか」
「フヴァーラ? 誰だっけ。宴席にいた人?」
オレは宴席にいたお歴々を思い返した。
立食式のパーティだったのだが、王族、貴族、大臣連中、高位騎士と、とにかく百人単位の人数だった上に、軽食をつまむ余裕すらなくひっきりなしに握手と挨拶をしていたので、どれがどれやらで、言われてもとんと思い出せない。
おそらくその中の誰かなのだろうが、はて、名前から正解に辿り着くのは難しそうだ。
「はい。会えばお分かりになるかと。主人は薔薇の広場でお待ちです。ご案内します。さぁ、どうぞ」
どうぞと言われても、こんな夜中だぞ?
さりとて身長一メートルにも満たない獣人メイド少女が百八十センチのオレを見上げながら一生懸命用件を告げる様子を見ていると、罠と切り捨てるのも忍びない。
内密で何か依頼でもあるのだろうか。
ザァァァァア、バサバサバサっ。
どうしたものかと困惑顔を浮かべたオレの左肩に、部屋の中からいきなりバルが飛んできて留まった。
「おぉ、ビックリした!」
「僕も行くよ、テッペイ兄ちゃん。なーんか妙な予感がするんだよ。いいだろ?」
オレは肩にバルを留まらせたまま、獣人メイドを見た。
メイドが軽く首をすくめる。
「わたしは特に主人からは何も聞いておりません。よろしいのではないでしょうか」
「まぁ……それなら。じゃ、案内頼むよ」
「ありがとうございます。どうぞこちらへ」
こうしてオレは深夜だというのに、人に会う羽目になってしまった。
と、その前に――。
ここはカルナックス城だ。
魔法の聖女用のマントと指輪を入手したオレたちは、街にリーサとユリーシャを残していることでもあるし、とっとと帰るつもりだったのだが、どうしてもと
普段のフィオナならそんな面倒臭いイベントは断固拒否しそうなものだが、『聖女さま、聖女さま』と祭り上げられている内に気分が良くなったのか、『じゃあちょっとだけ』と参加することとなり、挙句の果てには酒を飲み過ぎて
城の人に伝言を頼んだから街の宿屋に泊まっているリーサとユリーシャは心配していないと思うが、やれやれだよ。
◇◆◇◆◇
犬娘の案内で白レンガの敷かれた遊歩道を歩いて行くと、広大な芝生が続く一角に、色とりどりの薔薇の植えられた広場があった。
月明かりで見るしかないのが残念だ。
陽の下で見たらさぞかし綺麗だろう。
目的地に着くと同時に、犬娘が一礼してどこかへ去っていく。
それを見送ったオレが更に奥に進むと、月明かりが照らす中、そこに置かれた白亜のベンチに、フューシャピンクのロングドレスを着た貴婦人が座っていた。
見るからに若い。
歳の頃はフィオナたちと同じ、二十歳になるならずか。
髪を綺麗にアップした美女が物思いに
オレは思わず息を飲んだ。
だって、月に照らされたその姿ときたら、まるで一幅の絵画のような美しさなんだもんよ。
オレに気づいた美女の顔がほころんだ。
ドキっ! え? なんだこれ、なんだこれ。胸が苦しい!
同時に、美女の背景にブワっと薔薇の花が咲いた。
うわ、マジか!? 背景に花を咲かせるタイプの子なんて、三十年近く生きてきて初めて見た!
「あぁ! やっと再会できました、徹平さま!」
誰だったかまったく思い出せず立ち尽くすオレの胸に、美女が飛び込んできた。
だが、とんと思い出せない。こんな絶世の美女に会って忘れるなんてあり得ないんだが。
「ねね、知り合い?」
「いや、初めて会う人……」
オレは左肩の上に留まっているバルと、目を白黒させながら会話をした。
それに気づいた美女が、信じられないといった表情で眉根を寄せ、至近距離からオレを見つめる。
「まさか、
「……どちらさまで?」
「……ゴブリン退治のときに、と言えば思い出せますか? ステラ=フヴァーラです」
「あぁ! あの時の!!」
一気に思い出した。
ヴェルクドールを出た夜にゴブリンの巣をぶっ潰したのだが、その時にゴブリンの
あの時はゴブリンの巣の中で暗かったし、汗と埃にまみれていたし、それに何より鎧を着ていたからな。さっぱり分からなかったぜ。
「ラフタの町のお転婆姫か! はいはいはい、思い出した! うっわ、あの時の姫騎士さまかぁ。変われば変わるもんだなぁ! そっか。伯爵家のご令嬢って言ってたもんな。宴席にも呼ばれるか。なるほどなるほど。……え? で? 何の用?」
ドレス姿のステラが
そうして見ると、実に美しい。
「徹平さま、聖女は三人ともそろっておりますの?」
「え? あぁ、まぁ、はい。お蔭さまで」
「そうですか。まぁそうでしょうね。……ねぇ徹平さま。一つ相談なのですが、私を徹平さまの妻にしていただけませんでしょうか。あなたさまの傍にいさせてください。決して損な買い物ではございませんことよ?」
「……今、なんて?」
「私を妻として、徹平さまのお傍に置いていただけませんかと申しました」
言っている意味が分からない。
妻? 三人娘を差し置いて?
そりゃまぁこれだけの美女は出会おうったってなかなか出会えるものではないし、正直かなり好みにドンピシャなんだが、妻だと? 結婚? オレが? ウっソだろぉぉぉぉ?
「いやいやいやいや、ステラ……さん? オレにはすでに三聖女がいてですね……」
「それはもちろん存じております。ねぇ徹平さま? そろそろ先のことを考えてみませんこと?」
「先のこと?」
ステラがうなずく。
オレの教室で言うと、フィオナが
うん、このイメージが一番しっくり来るな。
「伝承によれば、徹平さまは魔王討伐後、国を
言われた通り、外国の王侯貴族たちとの交渉に臨む自分を想像してみるが、どの三人をとっても隣に立つイメージが湧かない。
それぞれに、魔法、癒し、剣の専門家ではあるのだろうが、王妃って感じじゃない。
結局三人が三人とも『夢はお嫁さん』ってタイプだから、無理矢理王妃なんかさせようものなら、病んで倒れそうな気がする。
それは困ったなぁ……。
ステラが『そら御覧なさい』とでも言いそうな表情をする。
「私は貴族の
「き、キミは何がしたいんだ? オレを使って政治でもしたいってのか?」
焦りまくるオレに対し、ステラがキョトンとした表情で答える。
「私は惚れた殿方に尽くしたいだけです。たまたまそれが勇者さまで、国興しが必要となっている。なら全力で支えようじゃないかと。それ以上でもそれ以下でもございません」
「惚れ!? いつ!!」
知らずオレの顔が赤くなる。
面と向かってそんなこと言われたのなんて初めてだぞ。しかもこんな美人に!
「徹平さまがゴブリンの巣で私たちを解放してくださったときに。あの瞬間に恋に落ちました。あのときに、私は徹平さまを一生懸けてお支えしようと思ったのです」
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい! こんなの逆プロポーズじゃないか!
しかも、こんな絶世の美女にだと?
頭がどうにかなっちまいそうだ!!
「か……」
「か?」
「勘弁してくれぇぇぇ!!」
「徹平さま!?」
オレはダッシュで逃げた。
いや、無理無理無理無理! こんな美人に熱烈な好意を向けられて、シラフでなんかいられるものか!
こんな正統派美人、オレには眩しすぎるんだよぉぉぉぉ!!
「バル、撤収だ! フィオナを急いで叩き起こして回収しろ! 街の宿屋で合流だ!」
「な、何だか分かんないけど、わ、分かったよ! 任せて!!」
オレはバルにフィオナの回収を頼むと、そのまま走って城門を飛び出した。
背中にかけられるステラの声が聞こえたような気もしたが、とりあえず無視だ。
これ以上、あの空間に居続けたらおかしくなりそうだもん。
ほらほらほらほら! 心臓がバックンバックン言ってる! まさかオレ、恋しているのか!?
オレはまるで青春真っ只中の十代に戻ったかのように顔を真っ赤にして走った。
こうしてリーサとユリーシャが待つ宿に辿りついたオレは、夜間にも関わらず二人を叩き起こすと、パルフェ二羽を
無理矢理パルフェに乗せられた三人娘が眠そうな顔をしつつも不信がって理由を聞いてきたが、オレは何も答えられなかった。
だって……ねぇ……。
そうしてオレたちの冒険は続く……。