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第74話 大空へ

 ピカピカに磨かれた茶色い木張りの床が、オレの顔を至近距離からクッキリ写している。

 年季の入った店――宿屋にも関わらず床がこれだけ磨かれているのは、ご主人夫妻が、毎日毎日、仕事に対してひたすら愚直に、一生懸命取り組んでいるという証拠だ。

 その姿勢は心底尊敬に値する。


 オレはそんな彼らに対し一切頭を上げられない。

 彼らの怒りが収まるまで、ただひたすら、こうして土下座をし続けるだけだ。

 そんなオレを前に、フロスト家の面々――父、母、娘が会話をしている。


「お父さん、もういいでしょ? いい加減許してあげてよ。わたしがいいって言ってるんだから」 

「わしらが戻ってきたときに、コイツは逃げていなかったんだぞ!? フィオナ、お前だってあのとき、散々荒れたじゃないか! 勇者だか何だか知らないが、娘を不幸にするヤツは許すわけにはいかないんだ!」

「お父さん……。でもね、フィオナ。あんたもあんたよ? 今はノボせているかもしれないけれど、結婚ってそんな簡単なモノじゃないんだから。大切な娘をちゃんと幸せにしてくれるか、親としてはお相手をしっかり見極める必要があるのよ?」 

「そうだけどぉ……」


 店主はしゃがみ込むと、オレの襟首をグイっとつかみ、自分の方を向かせた。

 近い近い近い近い!


 短く刈り込まれた髪の毛。こわい口ひげ。鋭い目。

 身長はオレより高く二メートル近くもあり、全身、プロレスラー並みに分厚ぶあつい筋肉に包まれている。

 初めて見たときは、『宿屋の親父じゃなくて重戦士だろう?』って真剣に疑っちまったくらいだ。


 ボクシンググローブかってくらいデカいその拳で殴られたら、一撃で奥歯が砕けるだろう。

 宿屋の主人になんでそんな筋肉が必要なのか、一度聞いてみたいところだ。


「おいあんた。勇者さんよ。次うちの娘を泣かしたら許さんぞ? 勇者だからって関係ねぇ。誓って、あんたを地の果てまででも追いつめ、ぶっ殺すからな?」

「はい。大切にします!」

「泣かしたらちょん切るわよ?」

「お母さん、やめて! せめて孫が生まれるまで待って」

「それもそうね。えーっと、何人生まれるまで待てばいいかしら」


 店主――フィオナの父親はそんな妻と娘のやり取りを見て軽くため息をつくと、オレをヒョイっと立たせて、汚れのついた膝の辺りを手で払ってくれた。

 そのままドカっと椅子に座ると、手をヒラヒラと振った。


「あぁ、もういい、もういい。あとは二人の問題だ。好きにするといい」

「すみません」


 奥方――フィオナの母親がオレの背中をバンと勢いよく叩く。


「だってさ。お婿さん、この子を頼んだわよ」

「頑張ります」


 オレはフィオナのご両親に深々と頭を下げると、フィオナをそこに残したまま宿屋を出て裏庭に回った。

 またしばらくの別れになるからフィオナにはそのための時間を与えてやらねばならない。

 厩舎きゅうしゃの前で準備を整えていたリーサとユリーシャが、オレに気づいて手を振ってくる。


「戻ってきた、戻ってきた。センセ、こっちこっち」

「パルフェの方も大丈夫だよ、旦那さま。いつでも行ける」


 厩舎を覗くと、フロスト家所有の馬数頭の他に、オレたち四人のパルフェも入っていた。

 愛鳥ずんだがオレの肩を軽くつつく。

 ずんだの頭を優しく撫でてやると、ずんだが気持ち良さそうに目を細める。


「ずんだ、他の子たちを頼んだぞ。そんなに時間はかからないと思うが、大人しく待っててくれ」

「テッペー、お待たせ。改めてパルフェのことも頼んできたよ!」

「おう、ありがとう」


 両親との別れを済ませたフィオナが合流する。

 オレは、厩舎の屋根に留まって羽根を休めていたバルに合図をした。


「バル、そろそろ頼む」

「まかせてよ!」


 バルはブツブツつぶやきながら庭の中央まで飛んで移動すると、急に大きくなった。

 頭の先から尻尾の先までで十メートルはある。

 カルナック城の屋上で初めて会ったときの大きさだ。

 唱えていたのは竜語魔法ドラゴンロアによるもののようだが、そもそもバルは大きい姿と小さい姿、どっちが本来の姿なのかね。


「いいよー。気をつけて乗ってねー!」

「悪いな、バル。手綱たづなと鞍を置かせてもらうな。苦しくないか?」

「大丈夫、苦しくないよー」


 オレたちはバルの背中に乗ると、首をグルリと一周する形に手綱をつけ、背中には毛布を厚めに敷いた。

 これから空の旅だ。一応、フィオナとユリーシャがダブルで防護魔法を張ってくれるらしいが、万が一振り落とされたり凍えたりするのは困る。


「よし、準備完了。バル、いいぞ!」

「はーい! んじゃ、いっくよーー!!」


 羽ばたきと共に、バルの身体が宙に浮く。

 あっという間に高空まで上がると、東に向かってゆっくり飛び始めた。


 オレは早速バルの上で地図を開いた。

 三人娘が地図を覗き込む。

 だが、大陸の外側についてはほとんど描かれていない。


 とそこで、オレの首から下がったガイコツ人形の目から赤い光が放たれ、カルナックスのほぼ真東の一点を照らした。


「この辺りに憤怒帝ふんぬてい・イーシュガルド=エヴリンが住む島がある。絶海の孤島じゃ。人間はおらん。七霊帝最強のヤツと戦うにはもってこいの場所じゃ。全力で戦え」


 ガイコツから嫉妬帝しっとていイルデフォンゾ=ジェルミの声がする。

 物知りだし、個人的にこの爺さんが気に入っているので好きにさせているが、オレにもどうにもこの爺さんの立ち位置が分からない。

 素直に聞いてみることにする。


「なぁ、爺さん。あんた、オレに倒されたとはいえ仮にも魔王直下の七霊帝の一人だったんだぞ? 魔族のトップだぞ? そうやってオレに情報を流すっていうのは、完全に利敵行為りてきこういじゃないのか?」


 だが、爺さんは何でもないとばかりに、あっさりと教えてくれた。


「七霊帝は魔王さまによって七つの大罪を埋め込まれるから魔王さま個人に逆らうことはできないが、だからと言って魔王さまにベッタリ従う必要があるものでもない。魔族は基本個人主義じゃし、魔族同士でも序列を競うために平気で殺し合うからの。それに何より今わしらは、お主に絶対服従状態じゃ」

「……は? 何で?」

「お主、わしらに勝って魔核デモンズコアを入手したじゃろ? その瞬間にわしらの中にお主への絶対服従の印が刻まれたのじゃ。魔核の所有者になるとはそういうことじゃ。ワシ以外は皆眠っておるが、身体を与えてやればお主専用の守護者として復活するぞ。覚えておくと良い」


 ……身体を与えると味方として復活する? どういうことだ?

 オレはバルの背中から周りの景色を見た。

 飛行機で飛ぶのは今までの人生で何度かあったが、ドラゴンに乗って飛ぶのはこれが初めてだ。


「旦那さま、寒くない? もう一枚着る?」

「あぁ、大丈夫だ。必要になったら言うよ。おい、バル? 疲れたらちゃんと言うんだぞ? 途中の小島とかで休んでいいんだからな。無理はするな」

「大丈夫ー。半日飛びっ放しでも問題ないよー。それに、こうして風を切って飛んでいるととっても気持ちがいいんだぁーー!」

「あぁ、そう……。んじゃまぁ……頼んだ」


 極度の高所恐怖症でなくてホント良かったぜ。

 じゃなきゃ、今頃卒倒しているところだ。

 それでも、ガラス一枚隔てることなくこの高さの空を飛ぶってのは、かなり心臓に悪いがな。


 こうしてオレは、三時間の空の旅の最中、ずっとドキドキしながら過ごすのだった。

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