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第二十四話 絶望

 何かが私の頬を触った気がして、私は意識がうっすらと戻ってきた。

 なんだ死んだかと思ったが、単なる気絶で済んでいたらしい。

 右胸を撃ち抜かれて、体が強くショックを受けたようだった。

 いまだに右胸はズキズキ痛むし、血がゆっくりとだが流れ出しているのは感じる。

 失敗したなと思う。

 油断というか、シュトラウスが本気を出せば簡単に蹂躙できると思いこんでいた。

 だから反応が遅れた。

 敵が侵入してきた瞬間に、すぐにプレグを呼び出せばよかったのだ。


 彼から告白されて、罠もたくさん仕掛けて、セリーヌは魔物を大量に捕まえてあった。

 気が抜けたというよりか、どこか呆けていたのかもしれない。

 危機感の欠如だ。

 ダメだダメだ。

 まだ目を開けていないが、外の状況はなんとなく分かる。

 音が一切しない。

 戦いの音は聞こえてこない。


 ただ一つだけ不思議な感覚がある。

 私の左の人差し指に、血の感触がある。

 おかしな話だ。私は右胸を押さえてはいない。

 いま私の左手は地面に接触している。

 いくら私の右胸から血が流れ出ているとしても、左手に届くとは思えない。

 一体何の感覚だ?


 周囲には血の匂いが充満していて、鉄っぽい臭いが鼻につく。

 こんなに流血したっけ?

 私一人でこんな血が流れるはず……。


 私は静かに目を開けた。


「……なに、これ? 嘘でしょ?」


 視界を覆う景色は、想像していたものとはまったく違っていた。

 見慣れた顔が一番近くにあった。

 それはもう近くに、それこそ彼以外見えないぐらい。

 彼の右手が私の左の頬を触っていて、その手は少しづつ温度を失いつつあった。


「嫌だ……嘘って言って」


 私は掠れた声で左手を動かす。

 触れていた血は私のものではなかった。

 私が触れていたのは、目の前で倒れているシュトラウスの血。

 おでこがくっつきそうなくらい近くにある彼の顔。

 目は開いていて、ゆっくりとだが確かに口を動かした。


「悪いな……大丈夫か?」


 こんな時に私の心配をしている場合か?

 私は上半身を逸らし、彼の全身を視界に納めようとした。

 目に見える範囲全てに、銀の刀剣が突き刺さり、銃弾で撃ち抜かれたような跡も数か所確認できた。


「なんで……アンタなら、こんなの当たらないでしょ」


 私は信じられなかった。

 魔王であるシュトラウスが、こんなただの人間たちの武器に殺されかけている状況が信じられなかった。

 彼が人間に負けるはず……。

 そこまで考えた時、重い足音が近づいてくるのが聞こえた。

 私はなんとか体を起こす。

 シュトラウスは私の隣に倒れていて、全身から血を流したまま横たわっている。

 このままだと彼は……。


「そいつがなんでこうなったか教えてやろうか魔女」


 私たちに近づいてきたのは三人の男だった。

 彼らの背後を見ると、連れてきた兵たちの大半が横たわっていて血を流していた。


「何が言いたいわけ?」


 私は痛みと怒りでふらつきそうになりながら、男を睨む。

 彼ら三人だけは怪我どころか、返り血や汚れ一つ付いていなかった。

 きっと部下たちが殺されていくのを、ただ後方で見ていただけの奴らだ。


「実際、こいつはよく戦っていたと思う。我々の大半が戦闘不能にまで追い込まれた。だがお前を狙った瞬間このざまだ」

「どういうこと?」

「分からないのか? 兵たちが馬鹿正直にこの吸血鬼を狙うもんだから、うしろから指示してやったんだ。すでに倒れているお前を狙って発砲しろってな」


 私は言葉の意味を理解して血の気が引いていった。

 そうかシュトラウスは私のせいで……。

 一人だったらこんな目に遭わなくて済んだのに、私がぼんやりしていたせいで。

 きっと兵たちは私が右胸を撃たれて倒れた時点で、標的から外していたのだ。

 正しい判断だと思う。

 戦場でまだ動き回る敵がいる内は、普通ならそちらに意識を向ける。

 しかしこいつらは違ったのだ。

 この三人は、後方で高みの見物を決め込んでいたから、倒れている私を狙うという悪行が浮かんだのだ。


「そしたらどうだ! あの異常な強さの吸血鬼が、すでに瀕死だと思っていたお前の前に立ち塞がって銃弾を弾き出したのだ!」


 いくらシュトラウスが強くても、全ての銃弾を弾き飛ばすのは不可能だった。

 見ていなくても容易に状況が脳裏に浮かぶ。

 躱せば良かったんだ。

 すでに瀕死で足手まといとなっている私なんて捨ておいて、自分だけでも躱しながら戦っていればきっと勝てただろう。

 なのに私なんかのために……。


「悪いなリーゼ」

「シュトラウス!」


 倒れていたシュトラウスが、吐血と共に言葉を吐き出した。

 私は咄嗟に彼の顔を両手で掴み、正面から彼の顔を見つめる。

 胸が張り裂けそうだ。

 現実と嫌な想像が、境界を越えて混ざりあったような独特な感覚。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!


「喋らないで!」

「悪いな、リーゼ。流石に捌き切れなかった」


 シュトラウスがゆっくりと私の頬に手を伸ばす。

 しかし伸ばした右手が私に触れることはなかった。

 発砲音と共に、シュトラウスの額に銃弾が撃ち込まれた。

 私はショックで固まる。

 信じられなかった。

 いまコイツ、瀕死のシュトラウスに向かって発砲した?


 撃たれたシュトラウスはそのまま地面に横たわり、頭から大量の血を流して動かなくなった。

 さっきまでの声がもう聞こえない。

 私に触れようとしてくれた手が動かない。


「シュトラウス!」


 私は彼の手を握る。

 必死になって彼の名を叫んだ。


「お願い死なないで! 言ったじゃない! 私を残して死なないって! この先ずっと一緒に……」

「ふん、見苦しい。稀代の魔女も、こんなものか」


 私の後頭部に冷たい鉄の感触がした。

 銃口が私の頭に突きつけられていた。


「さよならだ、魔女リーゼ・ヴァイオレット」

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