農家の男の家は、実に質素であった。木造の小さな家だ。どうも農家の男は、娘とここで二人暮らしであるらしい。
肝心の娘は、布団に寝かされていた。
こんな状態の娘を置いて、飲みに行くな。まあ、飲まないとやっていられなかったのかもしれないが。
さて、我の治癒魔法で治せると良いが……我は娘の額に手を当てる。ふむ、いけそうだな。そこまで難度の高い治癒魔法は必要ないようだ。
このくらい、教会の治癒魔法の使い手もさっさと治してやればよいものを。金を払えないものには治療を施してはいけないのだろうか?
「む、娘はなんとかなるか?」
「うむ、これならどうにかできそうだ」
我は額から魔力を流し込む。触れた部分が回復魔法で僅かに光る。
「うっんん。あっんん」
娘は体を震わせ、微かに声を上げる。しかし我は構わず回復魔法を続ける。しばらく続けると、娘がゆっくりと起き上がる。少し顔が赤いのが気になるが、病は治ったはずだ。
「どうだ体調は?」
「はい……とても体が軽くなりました。ありがとうございます」
娘はうるんだ瞳で我を見上げてくる。農家の父も大きな声をあげて喜ぶ。
「本当に、なんとお礼を言ったらいいか。ありがとうございます。この恩は一生わすれません!」
しかしこれではまだ根本的な解決には至っていない。
「確かに一時的には治したが、このままでは再び病にかかるだろう」
「そんな!? なぜ!? どうすればいいんだ!?」
「ちゃんとしたものを食わせ、しっかりと体力をつけさせるのだ。そうしなければまた病に倒れるであろう。体が弱っているから病にかかるのだ」
「ごめんな、ノノ。父ちゃんがふがいないばかりに。なかなかちゃんとしたものを食わせられなくて。最近は税も重くてなぁ。もっと働いて、ちゃんと食わせてやるからな」
「待て、お前も無理に働くのはやめておけ。お前も倒れてしまうぞ」
酒の飲みすぎもあるだろうが、この農家の男もあまり体調がよくなさそうだ。それに、かなり痩せている。あまりいい物を食べられていないのだろう。
「おれぁどうなっても構いません。娘さえ助かればいい。それに、まだまだ働けます。娘の治療費も必ず払わせていただきますから」
うーむ、いかんな。このままではこの男が過労死してしまうだろう。それにしても、農地を持っていて、それなりに一生懸命働いているように見えるのに豊かにならないとは。この町はずいぶんと重い税を取っていると見える。あるいは不況なのか?
「お父さん、もう無理しないで! 私が働くわ」
娘が父に縋り付き言った。
「ノノ、お前はなんの心配もしなくていい」
「ダメ! このままじゃお父さんが体を壊してしまう。私も働く。農業の知識なら、私にもある!」
「……ふむ、それならちょうどいい。我のところで働かぬか? 実は、近々農地を開拓する予定でな。農業の知識がある者を探しておるのだ」
こうして我は、農業の知識を持つ娘の協力を得る事に成功した。娘の名はノノカ。我はノノカを連れ、農地に適した場所を探すことに。町からノノカを連れ出し、我がダンジョン方面に歩き出す。
ダンジョン内で農業ができれば良いのだが、それは無理だろう。ダンジョン内には日光など届かぬし、暴れる魔族もおるからな。なので、ダンジョン周辺の土地で始めようと思う。ただ、あまりダンジョンと近いと、ダンジョン内の魔族と鉢合わせてしまうかもしれん。難しいところだ。
「あの……サタンさんはどちらに土地をお持ちなんですか? 農地を開拓するんですよね……?」
ノノカが不安げに我を見つめている。
農業を始めるには、土地を持っている必要がある。たが我は、当然土地など持っていない。ただまあ、別にそれは心配していない。誰のものでもない土地ならたくさんあるからだ。
我がダンジョン周辺の土地は、どこの国にも所属していない。何故か? 魔族が出没するからだ。そんな危険な土地を、どこの国も持ちたがらなかったのだ。我がダンジョン周辺は、国同士の緩衝地帯なのである。
「あの……? この先は危険ですよ。道を間違えていませんか?」
「いや、正しい。――何故なら我は、この先に住んでいるのだ」
「えっ?」
「我が名はサタン。魔族の王だ。この先のダンジョンで暮らしておる。……魔族に協力するのが嫌なら、今すぐ引き返すがいい」
「……大丈夫です。進みましょう」
「よいのか?」
「はい。むしろほっとしています。ああ、そうだったのかって。他人に無償で治癒魔法を使うような親切な人がいるわけない、絶対になにかあるって思ってました。人間を利用する為だったのですね。理由がある方が安心できます」
「む、そうか」
「それより先に進みましょう。道中は守ってくださるんですよね?」
「無論だ」
「楽しみだな、サタンさんが魔王ってことは、この先、誰のものでもない土地を好きなだけ開墾できるんですね、わくわくします。土地があったらやってみたかったことがいろいろあるんです」
このノノカという娘、強いな。