夜。
執務室でクライドは仕事をしていた。
隣国との貿易、外交、国の視察。
大量の資料を整理しなければならない。
クライドは一人無言で書類仕事をしていた。
コンコン。
ドアをノックする音がし、彼は書類に目を通しながら短く「入れ」とだけ告げる。
「失礼します」
コツとブーツの足音を鳴らして室内に入って来たのはヨルだった。
「陛下にお話があります。アリスの件です」
アリスの名を聞いてクライドは手を止め、ヨルの顔を見る。
「何だ?」
「アリスは陛下の婚約者ですよね。彼女に護衛騎士を付けるべきではないでしょうか?現に今も彼女に取り入り、利用しようとする貴族達が出て来ています」
「護衛騎士の件は今選んでいる最中だ。それに私の前ではいつもの口調で話せ。その調子で話されるとつまらん」
「分かった。ならそうさせてもらう。俺もこっちが気が楽だからな」
クライドにそう言われ、ヨルは丁寧な口調を止めて素で彼に接することにした。
「アイツの護衛騎士だが候補は決まっているのか?」
「一通りはな。しかしお前程の腕を持つ者はいない」
以前からクライドはアリスの護衛騎士の選抜をしていた。
彼女は王妃となる存在。
それなりに腕が立つ者を護衛騎士として選ばなければならない。
しかし騎士団の中にはヨル以上、または同格といった者は存在しない。
彼に近い者ならば騎士団長くらいだろう。
しかし、彼を彼女の護衛騎士に任命すれば騎士団としての指揮が上がらず、統一が取れないおそれがある。
団長以外の騎士達はまだ未熟なのだ。
ならばどうすべきか……。
「陛下。俺をアリスの護衛騎士にして欲しい」
ヨルの言葉にクライドは片眉をピクリと動かした。
「…………」
確かにヨルならば彼女の護衛騎士に適任だろう。
この城で最も腕が立ち、負け知らずの無双の騎士と呼ばれた男なのだから。
ヨルを護衛にするとアリスとの仲が発展してしまうのではないか…。
そんなことを考えてしまう。
今までこんなこと考えたこともなかったはずなのに……。
しかし奴の言葉はもっともだ。
ならば…。
「わかった…」
「へ?良いのか…?」
「自分で言っておいてなんて顔をしているんだ。お前は…」
「俺はアンタから反対されるかと…」
呆けた顔をするヨルに呆れた顔をするクライド。
クライドは気を取り直して真剣な表情で彼に言った。
「職務上で彼女に必要以上に近づかなければお前をアリスの護衛騎士が見つかるまでの間、彼女の仮の護衛騎士になることを認める」
「仮ってことは他所からアイツの騎士を選ぶつもりなのか?」
「騎士団にいないのならそうするしかないだろう。お前を見つけた時みたいに…」
冷静に言うクライドにヨルはため息をついた。
「そんなに上手くいくのかね…」
「やってみないと分からない」
クライドとヨルはスラム街で出会い、出会った当初に彼はヨルの力を見抜いて自分の従者にした。
それまで彼は王太子であり、彼に勝る騎士はいなかった。
王太子という立場から適当に騎士を付けていただけで、自分の命を狙う敵を一瞬で払い除ける力が彼にはあった。
ヨルが彼の従者になってからはヨルがクライドを護衛している。
それはクライド自身がヨルの実力を認めているという証でもあった。
「アイツの騎士をやれるんなら、その条件で引き受けるよ」
「彼女の正式な騎士が見つかれば戻ってもらうぞ」
「わかってるよ。それがアンタとの契約だからな」
ヨルは机の上に手を付き、クライドに真剣な表情で言った。
「だけど、それ以外ならアイツに近づいても良いってことだよな?」
それは彼なりの挑発とも取れる行動であり、宣戦布告の意味をしている。
ヨルにとってアリスは幼い頃から約束を交わした大切な幼なじみで護りたい存在だ。
それをクライドはあっさりと自分の婚約者にした挙句、周囲に知らしめた。
ヨルにとって面白くない訳では無い。
「好きにしろ」
クライドはそう短く答えた。
「そうさせてもらう」
ヨルはクライドに告げると執務室を出て行く。
あの時、アリスをすぐに迎えに行かなかったのは自分の過ちだ。
そのせいで大切な人をこの国の最高権力者の婚約者にされた。
だけどまだ『婚約者』だ。
まだやりようはいくらでもあるはず。
(絶対にアイツを渡さない…。アイツを護る為だけに俺は強さを手に入れたのだから…)
ヨルは誰もいない廊下を一人歩くのだった。