私は静かにクラリス様に告げる。
「いいえ。私は罰を与えたくはありません。私ならばこの件は不問に致します」
「……そういうこと……」
クラリス様は私の意図が気づき、ギリッと顔を歪ませた。
「ですのでクラリス様にこの場はお任せ致します」
私はにっこりと微笑んだ。
クラリス様は悔しそうな表情を浮かべたあと、カヤに向き直った。
「お兄様の婚約者様に謝罪をして下さい…」
「……えっ」
「彼女はお兄様の婚約者です。爵位もあなたより下の方よ。さっき私はあなたを庇ったけれど、あなたの無礼を見過ごそうとしていた私にも非はあります。だからあなたは自分の非を改めなければいけません…」
「クラリス様…」
クラリス様はカヤに淡々と告げる。
彼女は僅かに身体を小さく震わせていた。
カヤはクラリスの言葉を聞き、一瞬悔しそうな表情をしたあと私に頭を下げた。
「不躾なことを申してしまい、申し訳ありませんでした…」
「先程も申し上げましたとおり、私はこの件を大事にするつもりはございませんし、国王陛下に告げるつもりは一切無く、この場限りで留めておきたいと思っていますので…」
「…有難うございます」
これでひとまずはこの場は落ち着いただろう。
この場で私が不問にしたことでクライド様の耳に入ることはない。
仮に噂話で聞いとしても彼は興味を示さないかもしれない。
そもそも終わったことなのだから。
「アリス様。私からも申し訳ございませんでした…」
「いえ、大丈夫です…」
「それでは私は挨拶がありますので少しの間失礼致します」
そう言ってクラリスとカヤの二人はその場を後にした。
一人になった私は溜息をついた。
(はぁ…。少し疲れちゃった……)
クラリス様が何かを企んでいることは理解していたつもりだったが、まさか自分の取り巻きの令嬢を使って何かを仕掛けて来るとは……。
(ヨルが近くにいなくて良かったかも…。もしいたらすごい剣幕で怒っていたはず…)
昔母親に初めて貰ったプレゼントをミカに壊されて悲しんでいた私に幼いヨルは本気でミカを怒りに行こうとした。
ヨルが酷い目に合うかもと思って私は止めた。
そのくらい彼は情に厚い人だ。
私は会場の中でヨルを探す。
だけど彼の姿は何処にも見当たらない。
どこに行ったんだろう……。
ヨルのことだから会場の何処かにいると思うのだけど…。
「お嬢様。お飲み物は如何でしょうか?」
一人の給仕係の侍女が私に近づいてお盆の上に乗っていた一つのカクテルを私に差し出した。
黄色、青の二重の層になっていた美しいカクテルだ。
「ありがとう」
私はカクテルを受け取り、侍女にお礼を告げる。
そして会場の隅っこに移動した。
喉も乾いたし、これを飲んだらヨルを探そう。
ヨルを見つけ出したらもう帰っても良いだろう。
そう思い、私はカクテルを一口飲む。
オレンジの爽やかな甘酸っぱい香りと甘さが口に広がり、僅かな苦味。
(美味しい…)
初めて飲んだカクテルに私は率直な感想を抱く。
しかし、そのあと急激に視点がぐにゃりと歪み、グラスを落としてしまいガシャーンと音がした。
次第に意識が薄れていく。
「大丈夫か?」
倒れる私の身体をとさっと誰かが受け止め、私に声を掛けるが私は彼に返すことが出来ず、そのまま意識を手放した。
****
全く忌々しい!!
クラリスは苛立った表情で会場を見ていた。
今日アリスを呼んだのは以前の夜会で恥をかかされた礼をする為だ。
王女の自分を慕う取り巻きのカヤ達を利用し、アリスの過去を暴露して悪評を広めてやろうと思った。
フィールド家なんてクラリスには興味なんて一切なかった。
フィールド家の令嬢ミカは以前一度だけ自分に擦り寄ってきたことがあったが、その時はやんわりとかわした。
理由は自分に相応しくないから。
自分の取り巻き達は美しい者たちが多い。
それは外見、常に王女クラリスを立ててクラリスの為に動くのかを彼女は見ていた。
ミカは王女の友人という肩書きを欲していた。
外見は美しいが自分には必要ない。
そんな者はいらない。
カヤにアリスがフィールド家で侍女をしていた時の話をした時、これはすぐに広まると思った。
平民が王族に求婚されて王族の仲間入りをする話は稀にある。
しかし子を成しても正式な王位継承権として認められないことが発生する。
平民の血が混じっているからだ。
血に拘る家系、王族は混じり気を嫌う。
だがアリスは貴族の生まれだが貴族でありながら侍女のように扱われていた。
噂好きの貴族達の間で彼女は本当は平民ではないのかという噂が流れればそれで良いと思っていた。
いくらクライドが彼女を婚約者として扱っても周囲の貴族達はアリスに疑念を抱く。
中には反対する者も出るだろう。
クラリスの狙いは彼らを利用してアリスの婚約者の座を無くすことだった。
しかしアリスはカヤの言葉を一蹴した。
凛とした表情と気品を兼ね揃えて。
恥をかかせるどころか更に恥をかいてしまった。
あろうことかこの王女の自分があのような没落貴族の娘に頭を下げることになるなんて。
屈辱だ…。
(だけど、これから…)
クラリスはクスッと笑った。
忌々しいあの女はこれから地獄を見ることになるだろう。
仕掛けは終わった。
あとはあの女が落ちていくだけ。
(お兄様から捨てられる姿を見るの今から楽しみだわ…)
身体中がゾクゾクして愉悦に浸るのを感じる。
本来はここまですることはなかった。
だが……。
「あの女が悪いのよ……」
人のものを取るから…。
クラリスは人知れず小さく呟いた。