私は以前、彼に添い寝をしてもらったことを思い出す。
あの時はアンダーローズ侯爵に襲われ掛けたこともあってショックを受けた私を気遣い、私を落ち着かせるために添い寝をしてくれた。
決してやましい気持ちがあったわけではないと理解しているが、やはり緊張してしまう。
「どうした?はやく座れ」
「は、はい…」
クライド様に促されて私はソファに座る。
「失礼します」
目の前のテーブルに使用人の侍女が紅茶を置いた。上品な香りが漂う。
「下がれ」
「承知致しました」
クライド様に言われて侍女は部屋から出て行き、私は彼と二人きりになった。
暫しの沈黙のあと。
彼は私の顔を見て口を開いた。
「この前…お前が提案してくれたように私から他の者に対して挨拶をしてみたのだが…。何故か可笑しいんだ」
「可笑しいとは?」
真剣な顔で言うクライド様に私は疑問を口にする。
そんな私に彼は言葉を続けた。
「私が挨拶をしたら他の者は驚いたり、戸惑ったりして…中には嬉しそうな顔をする者さえいた。これは何なんだ?今までこのようなことはなかったはずだが…」
戸惑った表情で話すクライド様に私は優しい顔を向けて答えた。
「それは皆さん嬉しいのですよ。クライド様に声を掛けられて」
「嬉しい?そんなことがか?」
「はい。自分が仕える主君に声を掛けられて嬉しくない人なんていません。さっきだって他の侍女達が言っていましたよ。クライド様に声を掛けられたと。それは嬉しそうにされていました」
「そうか…」
クライド様はポツリと小さく呟いた。
「私は愛というものを知らない」
彼は一度言葉を切り、続けた。
「幼い頃から私は国王になる為に厳しく育てられた。母は地位に固執し、私を王位にする為だけの道具として扱い愛情は存在しなかった。それと同時に父も傲慢な母に愛想をつかせて他所で女遊びを繰り返す始末。だから私は幼い頃から人の感情が分からなかった。どんな風に人は喜ぶのか、悲しむのか。それさえも…」
「クライド様…」
「だから私は家臣達を力で抑える方法しか知らずにいた…」
彼にそのような過去があったなんて知らなかった。
私は幼い頃から妹と比べられて実の両親に虐待をされていた。
私も親の愛に飢えて育った。
だけどヨルと出会って私は人を大切に想う心を知った。
もし彼と出会うことがなければ私もクライド様のように全てを諦めていたのかもしれない。
「だけど、お前と出会って私は色んな感情を知ることが出来た。挨拶の件ですら初めて使用人や騎士の顔が見ることが出来たのかもしれん。お前のお陰だ」
優しく私を見つめながら言うクライド様の言葉に私は心から嬉しさを感じた。
「私は何もしていません。それはクライド様ご自身の力です。私もあなたの力になれるように頑張ります!」
張り切って言う私にクライド様はふっと柔らかな表情を私に向けた。
「期待している」
きっと彼はこれから変わっていける。
私は目の前の彼を見てそう思った。
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気に入らない。
不愉快極まりない。
クラリスは強い苛立ちを募らせていた。
最愛の兄が家臣達にも声を掛けるようになったと城中で噂になっていた。
誰も寄せ付けず、氷のように冷たい非道な国王。
それが自分が愛する兄だったのに。
彼が変わろうとしている。
あの没落貴族の女のせいで。
それがクラリスには許せなかった。
「許せない…。私の理想のお兄様を変えようとするなんて…。あの女何様のつもりよ!」
悔しさのあまりにクラリスは自分の爪を噛む。
アリスとクライドを別れさせる為にアリスを襲わせたがそれも失敗に終わり、さらにクライドに目をつけられてしまった。
これ以上クラリスが自らの手でアリスに危害を加えようとする兄は黙っていない。
どうすれば邪魔な女から兄を引きはがせるのか…。
幾ら考えを巡らせても思いつかない。
早く、早く あの二人の仲を引き裂かないと兄とあの女は結婚してしまう。
そうなれば兄は一生あの女のもの。
それだけは許せない。
その時、コンコンとドアをノックする音がした。
(誰よ!こんな時に…!!)
クラリスは苛立ち、無視を決め込もうかと考える。
しかし次の瞬間、彼女の考えが変わった。
「王女様。大臣です。王女様にお話があって参りました」
「入って下さい」