その場に静寂が満ちる。申し訳なさそうな顔をする彼を見て私はふっと柔らかい表情を浮かべた。「私はあなたの誤解を解きたいと思っていました。噂について私は周りからどれだけ酷いことを言われても耐えれる自信はありました。それだけなことを過去にされたことがありますので。だけど一つだけ我慢できないことがあります」私は彼の顔を見て静かに告げた。「私の大切な人を愚弄することです。それだけは耐えることは出来ません…」「…僕は…」「でも、今あなたは謝って下さいましたし、誤解も解けましたので、これで全部水に流しましょう。私はあなたのことは人として尊敬していますので」エリオット様は私の顔を見て一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな表情を向けて「わかった」と頷いた。私は彼に優しく微笑む。「急に来て悪かったね。僕はこれで失礼するよ。シル行くよ」「えっ!私はもう少しアリス様とお話がしたいですのに」「まだ病み上がりなんだ。ゆっくり休ませなければならないだろう。ほら行くよ」「あっ……」エリオット様はシル様を連れて部屋から出て行った。それを切っ掛けにクライド様も仕事があると告げてその場を後にし、カミラも新しく水桶を持って来ると言ってクライド様の後に続いた。その場には私とヨルの二人だけが残った。ヨルは何も言わずにじっと視線を向ける。もしかして…。何か言われるのかしら…。そう思い、私は思わず身構える。その直後、彼は私の頭を優しくぽんと撫でて心から安堵したような表情を浮かべた。「お前が無事で良かった」私は彼のその一言で彼がどれだけ自分を心配していたのか実感してしまった。「お前に無茶はするなって、何百回言っても無駄なことだと知っている。昔からお前を見てきたしな。だけどさ、俺のいないところでやるなよ」ヨルは私の肩に手をそっと触れて、顔を近づけて真剣な眼差しで私を見つめた。「何があっても俺が助けられないだろう」私は思わずドギマギしてしまう。彼はあまりにも真剣で。いつも私がしっている彼とは違い、男の人の顔をしていた。「で、でも…今までだって離れている期間は長かったわけじゃない…」気恥しさに思わず私は彼から視線を逸らす。「そうじゃねぇ」「!!」突然、唇を唇で塞がれてしまう。「んっ…」角度を変えて何度も深い口付けをされたあと、彼は私の唇を離した。「ヨル…」「眠っているお前を見た時、時間が止まったような気がしたんだ。もしお前が目覚めなかったら俺はこの世界で生きていく意味がない。全てを投げ打って、お前の後を追うかもしれない」「そんなこと…」ヨルは私の頬に手ですりっと触れて、今にも苦しそうな顔で言った。「それくらい俺は自分が思っていた以上にお前を必要としてる。俺の目の前からいなくなるな」それは独占欲よりも固執よりも、最も強い執着だ。それ程までにヨルは私のことを想ってくれている。彼の気持ちは痛いほど分かる。クライド様に出会う前の私がそうだったから。私は手を伸ばしてヨルを優しく抱きしめた。すぐに彼は私を抱きしめ返す。ヨルの腕の中で私は彼に対しての罪悪感を抱きながら呟くように「ごめんなさい…」と呟くように謝ったのだった。*****王宮の廊下をエリオットとシルの二人が歩いていた。「もう少しアリス様と一緒に居たかったのに…」不満そうにぼやくシルに対してエリオットは呆れた顔をした。「仕方ないだろう。彼女は目覚めたばかりなんだ。元気になってもらう為にも休ませる必要がある」エリオットの隣を歩くシルは彼の顔をチラッと見て、小さく笑った。それに対してエリオットは訝しむような視線を妹に向けた。「どうしたんだ?」「いえ、何も…」「言いたいことがあるのなら言ってくれ。いつも僕には話してくれただろう?」「分かりました。ではお言葉に甘えて」シルは兄であるエリオットの顔を見て楽しそうに言った。「お兄様はアリス様のことお好きなのでしょう?」妹の言葉にエリオットはぼっと顔を赤くした。「は?突然何を言ってるんだ!?」「そんな慌てなくても大丈夫です。お兄様ってすぐ顔に出るので分かりやすいですよね」「僕が彼女を…そんなわけないだろう。それに彼女はパシヴァール国王陛下の婚約者だ。これから同盟国になろうとしている国王の婚約者に惹かれてしまうなんて、どうかしている」「私はそうは思いません」
シルは一度言葉を切り、続けた。「人を好きになるのに最初とか最後なんてありません。その瞬間、その時に心が惹かれてしまった。それが全てなのです」シルは愛しそうな表情でそう言った。憂いに帯びた彼女のその表情を見る姿はエリオットにとっては初めてだった。それはまるで美しく、綺麗で恋をする女性の姿を見ているような錯覚に陥ってしまう光景だった。妹はまだ自分が護ってあげなければならない存在だと思っていたが、いつの間にかこんなにも魅力的な女性になっていたのか。「そうか…。この気持ちが…」エリオットは小さく呟く。この気持ちが妹の言う通りアリスに好意を抱いているとすれば今まで自分が行き場のない気持ちを抱いていたことに納得はする。国王陛下の婚約者という立場の彼女の隣に立つ護衛騎士が羨ましかった。彼女の優しさと愛情を彼は受け取っているように見えて。アリスには隙があった。それも国王陛下の間に他の男であるヨルという男が入る隙が。それが許せなかった。自分は隣国の王太子と言う立場であり、最も相手国の婚約者を奪う訳にはいかない。つまるところ彼はアリスに惹かれ、彼女に近づきたいと思っていた。それが叶わずあのようにアリスに当たってしまっていた。こんな気持ちに気づきたくなかった。いや、気づきたかったのかもしれない…。「かっこ悪いな。僕は…」エリオットは顔をくしゃと歪めて呟くように言う。そんな彼に妹はそっと優しく手を握った。「そんなことありません。私は昔も今もお兄様は素敵な人だと思っています。それに自分の気持ちに気づけたことだけでも良かったではありませんか?」「シル…」エリオットはふっと笑った。「そうだな。ときにシル。お前は姉を欲しいと思ったことはあるか?」「えっ…それはありますが…」シルはエリオットの言葉の意味が分からず怪訝な表情をし、すぐにある考えに思い至って慌てたように兄に言った。「お兄様!まさか…!」「焚き付けたのはお前だからな。知っているだろう?僕は欲しいものがあれば最善を尽くすことを」ニヤリと笑う兄を見てシルは諦めた。幼い頃から兄は自分の目標に対して一切妥協はせず、諦めない。手に入れるまで追い求め続けるしつこさだ。最近は大人しくなっていたのでつい油断した。もしも兄の望むように彼女が兄の妻になればシルにとって義姉になる。それはそれで嬉しいかもしれない。「相手が望まぬような強引な真似だけは絶対にしないで下さいね」少し呆れたように子供を窘めるような言い方をする妹にエリオットは軽く笑う。「分かってるよ。そうと決まればこれからどうするか楽しみだな」