4. 初仕事します
朝の柔らかな光が小さな窓から部屋に差し込んできた。見慣れない天井、固めのベッド。王宮の広々とした、羽根のように心地良い寝台と比べれば決して快適な目覚めとは言えない。
けれど、固い地面の上で夜を明かすことも覚悟していた私にとって、こうして屋根の下で眠れる場所があること自体が、どれほど有り難いことか。
私は、昨日突然フローレンス王宮の宮廷魔法士をクビになり、行くあてもなく彷徨っていたところを、『なんでも屋』を営んでいるという不思議な少女エイミーに拾われ、この山奥の農村ピースフルで住み込みで働くことになった。
新しい場所での初めての朝。私は身支度を整え、朝食の支度がされているらしいリビングへと向かった。香ばしいパンと、温かいスープの匂いが漂ってくる。この『なんでも屋』では、家事は皆で分担して行っているらしい。そのうち、私の番も回ってくるのだろう。まあ、最低限の家事くらいはできるから、特に心配はしてないけど。
それにしても……改めて考えてみると、こんな山奥の小さな農村に、果たしてお客様や依頼なんて来るのだろうか?そして、私はここで一体何ができるのだろう?魔法使いとしての知識や技術は、この村でどれほど役に立つというのだろう?不安だけが、私の心に鉛のように沈んでいくのを感じた。
そんな私の様子に気づいたのか、朝食のテーブルについていたエイミーがじっと私の顔を見て話しかけてきた。
「アイリーン、どしたの?そんな傷んだラディッシュみたいな顔して?」
傷んだラディッシュみたいな顔?それって一体どんな顔?腐りかけってこと?何それ怖いんだけど!思わず顔を引き攣らせてしまう。
それにこの子……いつもいつも私のことをラディッシュって言うけれど、もっと他にマシな例えがあるでしょうよ。傷んでるなんて、まるで私がダメになっているみたいじゃない!どんな顔よ!私が何も言い返さないのをいいことに、エイミーは言葉を続ける。
「あっ、分かった!嫌いな食べ物あるんでしょ~?ダメだよ、アイリーン。好き嫌いしちゃ?大きくなれないぞ?」
「違うわよ!子供か私は……」
思わず反論する。好き嫌いなんてしてないし、子供扱いしないでほしい。
……というか、どこ見て言ってるのよ。大きくなれないって。私は普通に、それなりに胸だってあるのに!
「じゃあ、どうしたのさ~?」
エイミーは、そんな私の内心の抗議など知る由もなく、テーブルの上に置いてあった焼き立てのパンを掴むと、大きな口を開けて放り込みながら喋り出した。
「ふぉんふぇふぃそうひゅったふぁい(それでなんで落ち込んでたの)?」
「ちゃんと飲み込んでから話しなさいよ……」
行儀が悪すぎる。本当にこの子大丈夫なんだろうか?昨日の怪力といい、この言動といい、あまりに常識からかけ離れている。
「それで、なんで落ち込んでるの?」
「別に落ち込んでたわけじゃないわ。ただ……この『なんでも屋』で、私に何ができるのかなって……少し不安になっただけ」
私は正直に自分の気持ちを話した。私の隣に座っていたレイダーさんとルーシーがその言葉を聞いて口を開いた。
「アイリーン。安心しろ。やることなんて探せばいくらでもあるさ。それにお前さんには、立派な魔法の才能があるんだろ?それを生かせる仕事を選んでこなせばいいんだ」
「そうよ。私たちは『なんでも屋』なんだから、やりたくないことは無理にやらなければいいわ。向いていないことや、誰かが得意なことは、どうせ他の誰かがやってくれるし。エイミーとかね?」
「もう、2人とも本当にパプリカみたいなこと言うよね!」
エイミーが、全く意味不明なことを言い出した。パプリカみたいなこと言うって?ラディッシュの次はパプリカか。私の頭は、彼女の奇妙な野菜の例えに全くついていけない。
意味は分からないけれど、レイダーさんとルーシーの言葉は私の心にストンと落ちてきた。そうだ。別に宮廷魔法士として決められた仕事をこなさなくてもいいのだ。ここでは私がやりたいこと、私にできることを選んでやればいい。その自由さが、私の心を少し軽くしてくれた。
意味の分からない野菜の例えを連発するエイミーは一旦放っておいて、私はレイダーさんとルーシーにもっと詳しく『なんでも屋』の仕事について聞くことにした。依頼は来たものの中から、やりたい人が手を挙げてこなすらしい。
基本的には、簡単な仕事が多いとのことだった。畑を荒らす小さな魔物の退治や、厄介な害獣を追い払う仕事などもあるという。その辺りなら魔法が使える私にも多少は役に立てそうな気がした。全く無力ではないのだと知って少しだけ希望が湧いてきた。朝食が終わるとルーシーが立ち上がった。
「さて、私はそろそろお店の方に行こうかしらね。あと、片付けお願いしてもいいかしら、ミリーナとロイド?」
「うん!やっておくね、ルーシーちゃん!」
「はい。いってらっしゃい」
ルーシーは、私たちに柔らかな笑顔を残して家を出ていった。彼女が行った先は、この家のすぐ隣にある建物だった。そこが『なんでも屋』のお店らしい。
ミリーナは食器類をまとめてキッチンへと向かい、ロイド君も他の皆に声をかけて、片付けを始めたようだった。そして、私も食後の片付けを手伝い始めた。こうして、私の『なんでも屋』としての初日が始まったのだ。
◇◇◇
さて、初仕事だ!と、片付けを終えた私は、お店の方へ向かった。何か大きな依頼があるのかもしれない、と少し張り切っていた。
しかし、いざ開店しているというお店に来てみると、そこにはお客さんの気配は全くなかった。私は言われるがまま、がらんとした店内の掃除をしたり、棚に並べられた僅かな商品を整理したりした。
この窓を拭くのはもう何度目だろうか……
ただただ、やることがこれしかなく、私の張り切りはあっという間にしぼんでいった。カウンターに目をやると、ルーシーが椅子に座ってうとうとしている。完全に寝落ち寸前だ。
……本当に大丈夫なのだろうか、この『看板娘』は。
まさか、このまま誰もお客さんが来ずに今日が終わるのだろうか?そんな退屈で少しだけ不安な考えが頭をよぎった、その時だった。
カランカランッ
お店の扉に付けられた小さなベルが、軽快な音を立てた。お客様だ!待ちに待った初めてのお客様だ!私の心臓が、期待で跳ね上がった。すぐにエントランスの方を見ると、そこには――
見たくない、あのオレンジ色の髪をした『野菜娘』が立っていた。
「なんだ……エイミーじゃない?どうしたの?」
「『いらっしゃいませ』でしょアイリーン?全くお客様への挨拶もできないの?困るよ!」
うっ……! 確かに、言われてみればその通りだ。サービス業としては全く失格な対応だ。私だって、最低限の礼儀作法くらいは知っている。でもよりにもよって、あなたにだけは言われたくない!私の顔を『傷んだラディッシュ』呼ばわりした、この無礼な『野菜娘』に!心の中で悪態をつきながらも、何も言い返せずにいると、椅子に座って半分寝ていたルーシーが、ゆるゆると目を覚まして尋ねた。
「ふわあ……何か用事なの、エイミー?」
「あっ!そうそう!一大事なんだよ!」
一大事?こんな時間だけがゆったりと流れているような、何もないのどかなこの村で、一体何が起こるというのだろう?私の顔には明確な疑問符が浮かんでいたに違いない。すると、エイミーは再び私の方を見てその小さな瞳を輝かせた。
「あっ、アイリーン!力を貸して!」
「え?私なの?」
「うん!今すぐ私と一緒に村の広場に来て!」
「ちょっと!痛いって!エイミー、あなた、いつも馬鹿力なのよ!」
私の抗議も聞かず、エイミーはぐいぐいと私の腕を引っ張り、お店のドアの方へと向かい始めた。腕が抜けるかと思うほどの力で引っ張られ、私は体勢を崩しながらも、どうにか彼女についていくしかなかった。
一体何が起こったというのだろう?全く……本当に、この子はいつも忙しない。嵐のように現れて、人を振り回すのが好きなのだろうか。私は混乱した頭で、エイミーに引っ張られるがまま村の広場へと連れて行かれた。