冷戦勃発。
カフェの一角の空気を冷やしながら、二人が向かい合っている。
俺はカフェオレを啜って「このお味噌汁美味しいなぁ」と頭を空っぽにしていた。
店員さんの迷惑そうな視線が痛い。ごめんなさいね。
「あなたは草壁雪花さんですよね?」
「私のことを知っているの」
「有名人ですから」
「ありがとう、逆瀬川美穂さん」
「おや。私のことを知っているんですか」
「有名人だから」
そういえばカフェオレとカフェラテの違いって何だろう。メニュー表のそれら商品は微妙に値段が違った。写真に違いは見られない。もちろん違いは確実にあるが、自分のような貧乏舌にとっては「きのこ」と「たけのこ」くらいの差だ。
「曜くんとは、どのような関係で」
「見てわからない? 放課後に一緒に遊ぶ程度の仲よ」
「そうですか。私のような『週末にデートする程度の関係』では、とても対抗できそうにないですね」
終末みたいな会話やめてくれねぇかなぁ。
他の席からクズを見るような目を向けられているのである。
一貫してカフェラテを啜って——カフェオレだっけ——徹底抗戦の意志を見せているが、それもいつまで持つか。
「あら、そう。私も週末にお出かけしたことがあるのよ」
「おやおやおや。そうなると曜くんが『クズ』ということになりますが」
「どうなのク——化野」
「そこで俺に振る? どう答えても救いようないじゃん」
キラーパス。
感覚的には起爆まで二秒くらいの時限爆弾を渡された気分。
うーん。
どっちも。
「曜くんがそんな浮気性とは知りませんでした」
「クズ」
「………………」
さっきまで怪獣大決戦をしていたと思ったら、今度は協力して俺を責めてくる。普段は敵対している奴が劇場版では一時的な味方になるようなアレだろうか。絵面的には明らかにこちらの方が正義だけど。
どうして自分は浮気の現場を押さえられた浮気男のごとき境遇に陥っているのだろう、と考えたら涙が止まらない。
相手が化け物だから、なおさら救いようがない。
この世界は間違っている。
「どうしてくれましょうか、この胸の痛み」
「乙女の純情を弄んだ罪は重いわよ」
「ひとまず私アイスが食べたいです」
「じゃあ私はコーヒーゼリーで」
「仲いいね君達」
何が乙女の純情だ。こちらは人間の尊厳が侵害されているぞ。
特段使い道もないので懐に余裕はある。
しかし化け物に奢るために使うのも癪。
いつか現れるかもしれないヒロインのために使いたかった。間違っても化け物じゃない。化け物はヒロインになれない。万有引力と同じくらい普遍的で絶対的な法則。
笑顔で注文を取りに来た店員さんに、彼女らの欲しがった商品を伝えて、俺はため息をついた。
とほほメーターが百たまりました。これよりハルマゲドンが発生します。
「それにしても化野、あんたやるわね」
「何が?」
「こんな可愛い子にまで粉かけてるなんて」
「あぁ……」
ジガバチなんだよね。
残念なことに昆虫に萌える性癖は備えていない。
なぜか美穂の複眼に謎の枠組みも付着しているし。
「眼鏡まで装備してる文学少女じゃない」
「いやぁ、恥ずかしいですよ」
あっ、それ眼鏡だったんだ。
複眼にもかかわらずサイズが人間用だったから、自ら視界を狭めるキャンペーンでもしているのかと思った。「今日はたまたま眼鏡をしたい気分だったんですよ」と相変わらず謎の枠組みにしか見えないそれを摘まみながら、美穂は照れを隠すように頬を掻いた。
ところで彼女は昆虫なのだが、ゆえに脚は三対ほど常備されている。一般的な腕としての働きをするのが一対と、一般的な足としての働きをするのが一対として、残りの一対は何をしているのかというと、実は何もしていない。
所在なさげにプラプラと腰のあたりから飛び出しているのだ。飛び出せ節足の脚。是非とも収納していただきたい。
俺はカフェオレ(またはカフェラテ)をぶっかけたら、悪霊退散の要領で二人を討伐できないかなぁ、と純真な子供のごとく頭を悩ませていた。
「化野」
「ん」
「私は諦めないから」
「何を?」
俺の命とか? 早急に諦めていただきたい。
ゾンビに狙われる心当たりはないんですが。
配送先間違ってますよ。多分住所は冥界あたりですね。土の下に還れ。
意味がまったく理解できなかったので曖昧な笑みを返しつつ、こちらも不敵そうな印象を覚える複眼の輝きを宿す、ジガバチ系文学少女こと美穂に顔を向ける。
「あ、もちろん私もですよ」
「だから何が?」
「秘密です」
「ああそう」
乙女には秘密が多いらしい。
化け物を「乙女」とカウントするかどうかは非常に議論が活発になることこの上ないだろうが、右に習え精神を限界まで鍛え上げている自分としては、気にしたら間違いなく嫌なことが起きる予感がするので黙殺することにした。
臭いものに蓋をする。化け物の隠し事からは顔を背ける。ついでに視線も背けたいところである。
カフェを出てゲームセンターを出ると、すでに夕日が赤くなっていた。
何かを話している雪花と美穂は数歩ほど先を歩いている。
なぜか仲良くなった様子の二人の背中を眺めながら、俺はわずかに軽くなった財布を思って、せつなさが爆発する涙を流したのであった。