購買の帰り。
最近出費が多いせいで軽くなった財布を想い、落涙を堪えながら廊下を歩いていると。
「おや、こら曜くん」
「こんにちは」
「奇遇やなぁ」
直立二足歩行をする塵系大和撫子こと須佐美さんが立っていた。
相変わらずの「塵」っぷりである。
風が吹いたらどっか行きそう。風前の灯火の親戚かな。
「昨日はどうも」
「やっぱし運命感じひん? 昨日と今日と」
「感じない」
何かよくわからないことを言っていたのでぶった切ってみた。結構冷たい反応を返したと思うのだが、彼女はころころと笑うばかり。心の広いタイプの化け物らしい。心の広い化け物ってなんだよ。
須佐美さんの眺めていた張り紙を見てみると【応援部員募集中】と書いてあった。どうやら応援部に入るかどうか迷っているようで、しきりに首を傾げている。現在が梅雨真っ盛りの六月であることを考えれば、新入生の入部としては遅い。
「応援部に入りたいの?」
「ああ、そうなんやけど……」
「けど?」
「緊張してもうて」
俺は堂々と屹立する塵に話しかけているのだから、多分それ以上に緊張していると思うのだが。化け物に気さくに話しかけられる人そうは居ないよ。居たとしたら退魔士の家系だよ。自分は違うけど。
「おかげさんでもう六月やわぁ」
「そう、難儀だね」
「難儀やわぁ」
それじゃあ、と去ろうとしたところ待ったをかけられた。
非常に嫌だが振り返る。
彼女はまるでお願いでもするように胸の前で両手を合わせ、こてんと可愛らしく——正常に認識していればの話——首を傾げた。
「一緒についてきてくれへん?」
「どこに」
「職員室」
「出禁食らってるんだよね」
「どないなことやらかしたん?」
生徒指導とかするとこやのに、出禁食らうて。
須佐美さんは本当に不思議そうな声。
単純に化け物と並んで歩きたくなかったがためについた嘘なんだけど、こうも簡単に騙されてしまうと罪悪感が湧いてくる。
これが雪花あたりならば「知らないわよそんなこと」と強制連行されたのだろうが、どうにも素直というか人がいいというか。
見た目は完全に人の道から外れているのだけれども、心の中は誰よりも人の道に則っているようだ。
「まぁ、ご一緒するよ」
「ほんま? おおきに」
ふふふ、と口元に笑みを含んだ様子の須佐美さんは俺の手を取る。
それなりに元気のいい犬に引きずられるがごとき心地で、前を行く彼女に置いて行かれないように廊下を歩いていく。
「………………」
そして何というか。
例のごとく須佐美さんは美少女なのであろうか、生徒諸君——特に男子から嫉妬の目を向けられていた。視線に威力を込めることができたら、もはや俺という存在はこの世界に存在しないだろう。代わりにレンコンの誕生。
彼女の手は不思議な感触だった。
ざらざらとしているようで、さらさら。
ひんやりとしているようで、ほんのりと温かい。
あるいはふわふわしているかもしれない。
粒の一つ一つがきめ細やかで繊細である。
およそ女子の手に対する感想ではない。
いくら言動が可愛らしくても化け物なんだよなぁ、と最近揺らぎ始めてきた感性に叱咤した。下手すると「最悪人間じゃなくてもいいか」と妥協しそうなのだ。あまりにも人間の異性と関係ができないから。一般的な男子高校生として化け物とラブコメするのは避けたいところ。
「ほら、うちって内気な美少女やん」
「もしかして鏡とか家に置いてない感じの家庭?」
「鏡を見ても美少女ってことしかわからへんで」
「そこは譲らないんだ」
冗談やわぁ、と振り返ってくる須佐美さん。
「そやけど曜くんはどう思う? うちのこと」と追撃。
断言すると美少女ではない。塵だから。
ところが真正面から「化け物みたいですね」と言ってしまうと、社会からオストラキスモスされてしまうので、ここは考えなければならない。
俺はしばらく天上を見上げた後、
「京ことばっていいよね」
「そら逃げと違う?」
こてんと彼女は首を傾げた。
だって声しか褒めるポイントないし。
自分は平均的な人間なので異性に対する褒め言葉など常備していない。いわんや化け物相手など。ゆえに
「まぁ、ちょいした『いけず』やさかいええんやけど」
須佐美さんは口元で噛み殺した笑みを隠すように顔の下半分を手で覆い――隠そうが隠すまいが俺にとっては変わらないが――、握っていた手の力を強くする。さらりとした感触が肌に突き刺さって、いよいよ人間ではないのだ、という理解もまた強くなった。
そうして職員室に到着する。
「おおきにな、付いてきてくれて」
「旅は道連れ世は情けだから」
「せやったら中まで一緒に行こか」
「家でお腹を空かせてる猫に餌をやらなくちゃ」
「まだ昼休みなんやけどなぁ」
ころころ。
もはや彼女の代名詞とも言える、くぐもった喉の音。
目を閉じれば絶世の美少女と時を共にしているようだ。
開いたらこの世の地獄が広がってるんですけどね。
「やっぱし曜くんと話してると楽しいわぁ」
「さいで」
「こら冗談とちゃうよ?」
「さいで」
いけずやなぁ、と彼女は頬を膨らませた(ような気がした)。
「ほな、また」
「じゃあね」
須佐美さんはプリーツスカートを翻すようにこちらに背を向けると、先程までのウジウジとした態度はどこへ行ったのか、堂々とした足取りで職員室へ歩いていく。朗朗と放たれた言葉は、たとえ扉一枚越しでも耳に心地よく聞こえた。
話好きであるのと人の前に出るのに向いているかには関係がないと思うが。
それでも、彼女には応援部という役が適しているだろうな、と。
自分の教室に帰る道中に俺は考えていたのであった。