目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

ジガバチと祭り、絵面はヤバい宗教の儀式

 暗闇に紛れて喧騒が聞こえてくる。心地の悪いものではない。梢の擦れる音と人々の息遣い、それに祭り囃子が合わさって夜の静寂を切り拓いていた。俺は久しぶりに訪れた神社に目を細め、やがて横に立っている存在に思い至って頭を掻く。



「お祭りですね」

「祭りだね」

「実は中学生の時には一回も遊びに来てなかったんですよ」

「へぇ」

「だからワクワクしています」



 今日も元気に昆虫色を全面に押し出している系女子――女子と表現できるかは不明。強いて言うならメス――逆瀬川さかせがわ美穂みほは、本日ばかりは普段の文学少女然とした雰囲気ではなく、まるで童女のごとく複眼を光らせていた。



 その興奮を表すように浴衣の襟がわずかに乱れている。さり気なく指摘。彼女は「これは失礼しました」と恥ずかし気に触角を動かし、小さく頭を下げた。



 この街の夏祭りは結構な規模を誇っている。起源こそ小さな神社であるが、今では大通りまで祭りの範囲は広がり、信号を止めて大々的におこなっているのだ。もともとの意味は限りなく薄れ、神への信仰心など遥か彼方にあるだろうが、こうして形骸化していても祭式が行われているのだから、神様はむしろ嬉しいのではないだろうか。



 しかし気分的な問題で始まりの地に足を運んでみたものの、やはり今となっては、祭りの中心地はこの神社ではなく大通り。寂れているとまでは言わないが、活気は少ない。



「向こうに行ってみますか?」

「そうしよう」



 美穂の提案に素直に乗っかり、慣れない下駄で歩きにくそうな彼女に手を貸しながら、俺達は若干と表現するに相応しい程度の山から、ゆったりと降りていくのであっった。



 からころと下駄のアスファルトに反射する音。

 かさかさと動く節足の音。

 そんなのが真横から聞こえてくるものだから、自分のテンションはいつもどおり低いものである。祭り特有の浮ついた空気にも、いささか馴染めない。



 もしも逆瀬川美穂が本当に美少女だったのなら、現在こうして祭りを一緒に回っているというシチュエーションに、心臓がドキドキ動悸をするのだろうか。一般的な女子に慣れていない男子高校生のごとく、顔を真っ赤にして。



「うーん」

「どうしたんですか?」

「癪だなと思って」

「何がですか?」



 彼女は一切の脈絡なく放たれた言葉に首を傾げた。それはそうだ。伝わらないように伝えたのだから、むしろ思考を読み取られてしまっていたら困る。俺は適当に手を振って、多少強引に足を進めた。先程のようなくだらないことも考えつつ、美穂と一緒に屋台を冷やかしていく。



「曜くんは明日も参加するんですか?」



 そうこうしていると美穂が口を開いた。

 文脈的に明日の祭りについてだろう。



「いやぁ、今日だって参加する気はなかったし」



 というか知らなかったし。

 俺は首を傾げながら投げられた質問に婉曲に答えた。



 この祭りは今日と明日との計二日間開かれる。ゆえに封鎖された大通りには数え切れないほどの屋台が並び、何だったら同じ物を売っている店が向かい合っているくらいだから、客を呼び込もうとバチバチに声が飛び交っていた。



 まるで羽虫の羽音のような繊細な声はそれらに掻き消され、上手く聞き取ることができない。美穂の口元――口元だろうか?――に耳を近づけて、俺は彼女が興味を持っている屋台を発見したことを報告された。



「見てください」

「ん」

「りんご飴ですよ」

「りんご飴だね」

「あの『夏祭り以外のときには一回も見たことがないサイズのりんご』を使用していることで有名な、あのりんご飴です」

「初めて知った情報」



 言われてみれば確かにあまり見ない。

 りんご狩りなどに行って、敷地の端っこに存在するくらいじゃないだろうか。

 もしかすると観賞用のやつを使っているのかも。



「あれはですね、姫りんごという種類ですね」

「へぇ」

「正直に言うとあまり美味しくないです」



 でも飴を全体に付けやすくて食べやすい、っていうメリットがあるので、基本的にりんご飴は姫りんごが使われるんですよ。



 そう言いながら美穂は屋台の方へ引かれていった。

 誘蛾灯に惹かれる昆虫のように。



「ふと思ったことを言ってもいいですか」

「どうぞ」

「このりんご飴あるじゃないですか」

「うん」



 彼女の視線の先にあるりんご飴。

 数分ほど並んで購入したもの。

 壁にかけられた提灯の光が、同じく赤い果実に――というよりも飴に――反射して妖しく光っている。



「赤いですよね」

「赤いね」

「見方によっては線香花火じゃないですか」

「視力ゼロなの?」

「確かに目は悪いですけど、そこまでじゃないです」



 そう言って彼女は眼鏡を持ち上げる動きをしてみせる。実際には装着していない。おそらくコンタクトレンズを付けているのだろう。昆虫サイズのコンタクトレンズが存在するかと言われたら、少し困るが。



「よく線香花火が長く残っていたの方の勝ち、みたいな勝負があるじゃないですか」

「この文脈で出されたら嫌な予感しかしないけど、まぁ」

「おもむろに勝負の舞台でりんご飴を出したら、ぎりぎり大丈夫なんじゃないかなと」

「駄目じゃないかな」



 勝負が成立するかどうかではなく、頭が。



 俺は急に訳のわからないことを言い出した美穂に半眼を向けた。彼女は「てへ」と見たことのあるような無いような、そんな微妙に腹の立つ表情を作った。昆虫のくせして器用なものだ。



「――と、まぁ。ここまでは布石です」

「何の?」

「怒涛の伏線回収をするので楽しみにしていてくださいね」

「だから何が?」



 こちらの質問には答えない。

 不気味な沈黙を保ったまま、腕を引かれる。

 無理矢理に連れ回される犬の気分だ。



 やがてたどり着いたのは河川敷。祭りの喧騒も遠く、川の流れと草木が擦れる音だけが響いている。月明かりが水面に反射して千々に分かれていた。こんな殺人事件を起こすのに絶好のシチュエーションに、一緒にいるのは化け物。もしかすると、という予想が首をもたげる。



「俺には妻子がいるんだ」

「突然どうしたんですか?」

「一応リスクを減らしておこうかな、と」

「何のですか?」

「殺害」

「殺害!?」



 美穂は大げさに驚いてみせた。

 触角が動きにつられて跳ねる。



「……曜くんが一体どんな勘違いをしているか皆目見当がつきませんが、私がここに来た理由はこちらです」



 はい、じゃん。



 どこか恥ずかしそうな声と共に差し出されたのは――。



「………………花火セット?」

「線香花火しか入っていませんけどね」



 それこそポケットにでも入りそうな、小さな袋。その中に数本ほど花火が入っている。控えめな中身とは裏腹に『線香花火六本セット』とデカデカと文字が踊っていた。



「曜くん、花火大会は明日ですよね」

「うん」

「私と一緒に、二人だけの花火大会を開きませんか?」



 時間を共にしている相手にさえ目を瞑れば、なるほど確かに幻想的な状況かもしれない。祭りの熱気は風に乗ってくるばかりで、あたりには自然の空気が立ち込めている。目の前には浴衣を纏った女子。



 やや婉曲な印象も抱くが、素直に言えばと発言したのもこちらである。たとえジガバチとはいえ否やはないのだけれども。



 それよりも、俺には非常に気になることがあった。



 それは。



「りんご飴のくだり下手すぎない?」

「それは言わないお約束です!」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?