自分の家にて、同級生がシャワーを浴びている。しかもその相手は美少女と名高い。絶海の孤島ではないが、ゲリラ豪雨に閉ざされた状況。もしかするとインモラルな場面に遭遇してしまうかもしれない。ないけど。
俺は適当に濡れた髪を拭きながら、疲れた体を椅子に下ろした。
「お兄ちゃん」
「ん」
「可愛い人だね」
「そうかな……」
とりあえず須佐美さんは風呂場に行ったので、妹の姿が視認される可能性は低くなった。ゆえに妹を物置から救出して――さすがにいつまでも閉じ込めておくのは気が引けたのだ――、俺は彼女と向き合う。
「隅に置けないなぁ」
「置いといていいよ」
「だって女の子を連れ込むなんて」
「余計に置いといていいよ」
連れ込んだのは女の子ではなく塵である。ゴミの類である。部屋の隅とか見たら普通に存在するだろう。
「いやぁ、意外だねー」
妹は不定形の闇の触手を興奮したように伸ばし、遊びたい盛りの子犬のように、てとてと俺の周囲を周り始めた。なんらかの宗教の儀式みたい。下手すると化け物だから本物かもしれない。やめてくれないかな。
「なにが」
「お兄ちゃんって自分からグイグイ行かないタイプだと思ってたから。まさかお家デートするなんて……やっぱり雨だったから都合がよかったの?」
「折檻」
不都合な事実を脚色でもって陳列してくる彼女を黙らせるため、いったいどこが口なのかは皆目見当がつかないが、おそらく「そこ」であろう位置に手を当てる。抗議するように荒ぶる触手。しかし襲ってくるわけでもない。俺は完全に無視をして、彼女が訳のわからないことを言うのをやめる気になるまで、延々と拘束していた。
「……ぷはっ」
明らかに人間的ではない姿をしている妹ではあるが、所作にはところどころ人間的な息遣いを感じる。はたして呼吸器官など存在するのか、という疑問が生じる容貌に反して、彼女は肩らしき部位を上下させた。
「暴力で解決するのはよくないよ!」
「ごめん、反射で」
「それにしては計画的な犯行じゃなかった? ずいぶんと入念に用意された動作に見えたけど」
「鋭いね。間違いだよ」
「どっち?」
俺は大雨の中を走り抜けるという苦行を行ったあとなので、正直な話、非常に疲れていた。それこそ頭が働かなくなるくらいに。ゆえに妹との会話も脳が死んだようなものとなり、二人の間になんとも言えない雰囲気が漂う。決してインモラルなものではない。
「……そろそろ須佐美さんが出る頃かな」
「あ、じゃあ私また隠れるね。必要ないけど」
「一つ質問してい?」
再び身を隠そうと――今度は時間があるので二階に行くようだ――扉をくぐる妹に、椅子に深く腰掛けた状態で、ぼんやりと口を開く。
「前にさ、クラスメイトに肉塊がいるっていう話をしたじゃん」
「うん」
「でも肉塊に見えてなかったみたいじゃん」
「私には見えないからね」
「逆はどうなの?」
眠気が襲ってくる。
まぶたが重い。
「つまり――そう。およそ人間として正常とされる生き方をしていない、というか人間として生まれていない存在は、他者からすると人間として映るのか」
その質問にしばらく考え込んだ妹は、ひらひらと触手を振った。
「大丈夫だよ。私の存在は認められない。たとえ見られたとしても、認識できない。ミルフィーユみたいに別々のところに住んでるから」
「へぇ」
まったくわからない。
「今はそうなってるの」
「ふぅん」
ついに眠気が限界に達して、俺のまぶたは強力な接着剤で固定されたように、やがて開かなくなった。付随して意識が遠くなる。椅子にかけられる体重が増す。ずるずると背中の位置がずれていく。
「おやすみ――お兄ちゃん」
それきり、音は聞こえなくなった。
「起きてぇ」
「……ん、んぅ」
ぼんやりとした視界をむりやり開くと、じんわりと血液の流れが楽になる。気がつくと机に突っ伏していたようだ。今まさにお風呂から上がりました、という様子の須佐美さんが立っている。
「……あれ、寝てた?」
「ばっちし」
「疲れてたのかな」
「そうやろうなぁ」
寝落ちするときの宿命として、寝落ちする前の記憶は残っていない。椅子に腰を下ろしたまでは覚えているのだが、その後の記憶は行方知らず。
妹は無事に姿を隠してくれただろうか。須佐美さんの状態から考えるに、おそらく化け物を視認してはいないだろう。さすがに悪夢の世界から飛び出してきたような闇の塊を見て、いっさい人に悟らせない女子高生がいるとは思えない。
塵だからシャワーなんて浴びた日には容積が減るかと予想していたが、意外にも須佐美さんは五体満足だった。風呂掃除をするときに排水口のつまりを確認してみよう。異常なほどにゴミが溜まっているかもしれない。
「かんにんえ、家主はんより先に頂いてもうて」
「客人を濡れ鼠のまま放置するのもね……」
俺は椅子から立ち上がり背筋を伸ばす。
急に血行がよくなったせいだろうか、立ち眩みがした。
ふらりとしたところを須佐美さんに支えられる。
「ごめん」
「ええわぁ」
彼女の手――まぁ……手か――は、いつもよりもしっとりとしていた。お風呂上がりなのだから当然なのだが、塵系の化け物として跳梁跋扈している須佐美さんから、まさか水分の含有量を感じることになるとは。なにか変な感じがする。