件のクレープ屋は雰囲気を重視しているのか、コンテナの中には光が設置されておらず、入口から差し込む自然光のみで賄っていた。営業時間は十時から十九時。冬が深まってきた時分ならともかく、現在ならば十分に明るいだろう。
始業式なので――開始早々テストを行ったとはいえ、さすがに通常の日よりも放課は早い――それなりの時間に自由になった俺達は、比較的空いている時間帯に訪れることができたようだった。
「いつもはもっと混んでるんですよ。学校帰りに『寄りたいな〜』って思ってたんですけど、人がいっぱい居て諦めてたんです。でも今日は放課後になってすぐに来たので空いてますね」
とは菜々花の言だ。
シャインマスカットクレープという結構なお値段のするものを触手で掴みながら、彼女はちょっとした公園のベンチに座り、感嘆するようにため息を付く。
「美味しそうです……」
「あっ」
「初手から行きます?」
俺はそれを横目で見ながらクレープを食べようとしたのだが、中身が多かったのか自分の持ち方が悪かったのか、あるいは両方か。重力に引かれた輪切りのバナナが情けなく落ちた。付随してクリームも制服につく。
「まったくもうドジっ子ですね……」
言葉の割にはなぜか嬉しそうな菜々花は、まるで自身の女子力を誇示するようにウェットティッシュを取り出して、こちらに手渡してきた。「もしもアレなら私がやってあげますよ?」という提案を添えて。普通に断った。
「頑固なんですから」
「頑固どうこうじゃなくない?」
「善意は素直に受け取るものですよ」
「受け取っていい善意と悪い善意があるんだよね」
今回は後者のほうだ。
彼女から受け取ったウェットティッシュに礼を伝えつつ、制服に付着したクリームを拭き取る。普段から肉塊が纏う謎の液体の被害にさらされているこいつだが、謎の液体――粘液と言ってもいいあれは、不思議なことに揮発性が高いのか気がつくと消滅していた。しかしクリームは違う。粘り強い。
若干白いあとが残る制服にげんなりとした俺は、けれども隣でずいぶんと美味しそうにクレープを食べる菜々花を眺めて、まぁいいかという気持ちになった。
「……なんですか?」
「なんでも」
人間でいうところの鼻頭にクリームが付いていることを指摘しようと思ったが、高校生、それも女子高生にもなってそんな子供じみたことをするのは、誰であっても恥と感じるだろう。たとえ肉塊でも。
ゆえに気を利かせて――放っておいたらどんな反応をするのか見てみたかったという気持ちもある――彼女の質問に首を横に振り、その後は失敗もせずクレープを食べることに成功した。
最後のひとくちを口に放り込んだところ、菜々花が触手を打ち合わせる。
「そうです、化野さん」
「ん」
「写真を撮りましょう」
せっかくですからね、と言いながら取り出されたスマホ。こちらの視点からすると肉塊の中から急に科学の代表例が出てきたのだから、油断していると正気が削れそうになる。
しかし慣れた。
もはや慣れてしまった。
そもそも彼女の捕食シーンがアレだし。肉塊に「ぐぱぁ」と切れ目が入って食物をいれるのだ。およそ正常な感覚を持っている人間が直視できるようなものではないだろう。
俺は特殊な訓練により、正常な感覚を持ちながら激しいクトゥルフ耐性によって目覚めた、
「はい、チーズ」
この掛け声が英語圏の慣例から来ているというのは知られていることだが、それを外国産の合いびき肉……もう少し柔らかい表現をするとクォーターである菜々花がやると、腑に落ちたような謎の納得を得る。
「ふふっ、うまく撮れました――へぁっ!?」
「どうした急に」
「は、は、は、鼻先にクリームが!!」
「付いてるね」
「どうして早く言ってくれなかったんですか!?」
化野さんに恥ずかしいところを見られてしまいました! と触手で顔を覆って俯いた菜々花。内側を覗き込むという意味ではもっと恥ずかしいところを目の当たりにしているので、そんなに落ち込むことではない。
「あれだよ、お可愛いよ」
「馬鹿にしてますよね!?」
「してないしてない」
「目を合わせてくださいよぉ!!」
目とか存在しないし困る。
合わせてくれと言われても。
どこなの?
「うぅ……もうお嫁に行けません……化野さんに貰ってもらうしか」
「宛なんていくらでもあるでしょ」
「あると思います?」
「思う」
だって他人からしたら美少女である。俺には肉塊として認められているので可能性はないが、一般的金髪美少女だったら可能性は大いにある。
「私だって誰でもいいわけじゃないんですよ?」
鈴を鳴らしたような声で菜々花は首を傾げた。首というか肉塊の先端を。赤黒い見た目とは裏腹に精神性はそこら辺の人間よりもよほどいい。たしかに見た目に目を瞑れば優良物件なものの、ルッキズムを持っていない俺でさえ、少々遠慮したい見た目だ。
「運命の出会いがあるといいね」
だから俺は――冗談だろうが――彼女の発言に気がついていないふりをして、クレープの包み紙を握りつぶしたのであった。