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雨ときどき雷鳴すなわちゾンビ

 始業式からも一週間ほどが経過し、夏休みの残滓がかなり薄まってきた頃。そわそわとした違和感ではなく純粋な怠惰が蔓延っている教室に、ここにだけ氷河期が訪れていた。



「………………」

「………………」

「………………」



 原因は草壁くさかべ雪花ゆなだ。

 なにも言わずに教室の後ろに佇んでいる。

 腕を組んで無言で立っているゾンビ。

 圧力がすごい。



 隣の席の草壁菜々花――つまりは彼女の姉に、どうしてあんな状態になっているのだと横目で疑問を伝えた。やはりこちらも無言で首を振られる。肉塊に振れる首は存在しないが。



「あれは、時々あるんです」

「というと」

「正体不明の現象です」



 科学全盛のこの時代に解明できないことがあったとは。

 まぁ普通に肉塊とかゾンビとかいるしな。

 それくらいあるか。



「ちなみに害はあるの」

「害は……うーん」

「微妙な反応だね」

「半々というところです」



 菜々花は化け物のくせして結構わかりやすい動きで悩みつつ、今までの雪花の無言佇み事件について語りだした。



「ほとんどは害がありません……路傍に転がっている石のようなものです。無視とまでは行かなくても、普通に対応していれば問題ありません。しかしごくごく稀に恐ろしいことが起こるのです」



 ごくり、と唾を飲み込む肉塊。



「考えうる限り最悪のケースでいうと――そう、消失」

「消失……?」

「私が楽しみにしていた〝ふわふわプリンのとろーりモッツァレラチーズ増し増しクリーム宇治金時あんみつ〟が食べられてしまうとか」

「キメラを食す趣味があるの?」

「ないですけど」



 彼女は一体なにを言っているんだ、みたいな目でこちらを見てくる。もちろん目というのは比喩表現であるものの、そんな視線を向けたいのは俺のほうだ。間違いなく各々のよさを打ち消し合う組み合わせのプリン。キメラ以外に表現する方法があるだろうか。いやない。



「……いつまでも私を無視してるんじゃないわよ!」



 なんて菜々花と雑談をしていたところ、これまで沈黙を保っていた雪花が吠えた。子犬とかそんな生易しくて可愛らしいものではない。いわば龍だ。情け容赦なく人を食らうタイプの龍である。ゾンビドラゴン。



「あ、おはよう」

「さっきからずっと居たんだけど!?」

「そうだっけ?」



 無視していた事実が発覚したら冥土の土産を貰いそうなので、俺はさり気なく誤魔化そうとする。しかし普通に追及された。頼みの綱の菜々花は妹には弱いので使い物にならない。



 なんだかピリピリとしているため、適当に言葉を放り投げることにした。



「どしたん? 話聞こうか?」

「あら聞いてくれるの? とあるクズ男に無視されて心が傷ついてるって話なんだけど……」

「うーん、あとでいい?」

「駄目」



 ぐい、と胸元が掴まれて雪花の顔が近づいてくる。本来ならば吸い込まれそうな、とかそこら辺の美辞麗句を並べ立てるべき場面であるが、この場合は相手が相手なので一切そういうのはなかった。強いて言うなら腐り落ちそうな、程度だろうか。



「ねぇ」

「ん」

「私たち海行ったじゃない」

「うん」

「あのあとから連絡ないんだけど」



 ふーむ、そうだっただろうか。 

 思い返してみる。

 ゾンビに連絡したか? 

 してるわけがない。

 自分から化け物と関わろうとするはずがなかった。



「そういえば」

「普通ああいうのって、家に帰ってからも感想とかを話して、なんだかんだ頻繁に連絡するようになるものじゃないの?」

「そういうものなの?」

「少なくとも漫画だとそうだったわ」



 情報源漫画かよ。



「あー、だからピリピリしてたんですねぇ」



 菜々花が肉塊の割にふわふわとした雰囲気を醸し出して――肉塊に「ふわふわ」なんて表現を纏わせたらカビしか思いつかないが――、触手を胸の前で合わせる。自分には被害が来なさそうということで、ずいぶんと余裕綽々だ。



「お姉ちゃん」

「なに?」

「私知ってるわよ」

「なにを?」

「クレープ」

「んんっ! ごほっ、んんん!!」



 気管にゴキブリが入り込んできた人のような咳払いをして、菜々花はかぶりを振った。相手の武器の範囲外にいると思って油断していたら飛ぶ斬撃を食らった敵みたいだ。



「釈明を」

「介錯ならしてあげるけど」

「……あ、そういえば先生に呼ばれてるんだった」



 いっけなーい、とほざいて彼女は消え去った。華麗な去り際であった。飛ぶ鳥跡を濁さず、とは今目の前で繰り広げられた攻防であろう、と俺は深く頷く。跡を濁さない代わりに空気を淀ませていくのはやめてくれねぇかな。



「化野」

「ん」

「贖罪したい?」

「うーん」



 断った場合のことを考えると、やはり雪花は動く死体である。人をパクパクする系の化け物なのである。贖罪しないなら食材になってねとか言われてもおかしくない。その場合は素材の味を生かした貪り方をされるだろう。



「ちなみにさ」



 俺は肩に感じる彼女の手のぬくもり――なのだろうか――と力の強さを感じつつ、腕を組んで首を傾げた。



「なにかするの?」

「遊びに行きましょう」

「どこへ」

「ふふ、いいところ」



 墓の下か?



 とは言えなかった。

 言ったら殺されるかもしれないし。

 美味しく頂かれてしまう。



 俺は大人しく恭順の意を全身で示して、予鈴に騒がしさが遠くなる教室の声をさらに遠くに聞き、数分前とは対照的に浮足立って教室を出ていく草壁雪花を眺めるのであった。別に天に召されそうとかいう他意はない。

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