長い耐久時間――腐乱死体を横に添えて待つというのは地獄のような耐久にあたるだろう――を駆け抜けること三十分、俺達はようやく目的の絶叫系アトラクションに乗ることができた。
絶叫系の王道といえばジェットコースター。あるいは変わり種か王道か議論が必要なお化け屋敷。海賊船を模したブランコであるバイキングなんてものもあるかもしれない。しかし目の前のは王道中の王道だ。
「ドキドキするわ」
「うん」
「化野も私にドキドキする?」
「ときどきね」
死への恐怖的な意味で。
さすがに数ヶ月も一緒に過ごして、何度も遊びに行って、いまだに本気で恐れるほど繊細な神経はしていないが。人間は慣れる生き物。どんなに見た目が化け物であろうとも慣れるものだ。美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる……の親戚みたいなものだろう。
ジェットコースターの席は残念ながら最後席で、もちろん加速などのことを考えれば後ろのほうが怖いのだが、景色を楽しみたい気持ちもあった俺は残念に思った。横で安全バーを握りしめている雪花はまったくそんなことなさそうだけど。
「私ね」
「ん」
「あんまり乗ったことないのよ」
「ジェットコースターに?」
「えぇ」
なにせお姉ちゃんが怖いの苦手でね。
と彼女は肩を竦める。
肉塊にも怖いものがあるのか。
「だから化野と来てよかったわ」
「それは結構でございます」
「また来ましょう」
「一考の余地はあるね」
「
はてさて。ゾンビだし。好き好んでお出かけしたいと思うタイプの見た目ではないだろう。ネクロフィリア気味ならともかく俺は一般的な男子高校生である。間違っても恋人にしたい感じではないし、友達でギリギリというところだ。
「気が向いたら誘って」
「言質は取ったわ」
「発言ミスったかな」
「これ以上ないくらい正確な発言だったわよ」
「間違ったかぁ」
かたかた……と音を発しながら動き出すジェットコースターに、頭を抱えたくても安全バーに固定されているせいで動けない純朴な少年と、彼の少々考えなしの発言を利用しようとする悪いゾンビが一体。
頭を抱えたくても安全バーに固定されているせいで動けない純朴な少年であるところの俺は、清々しい青空を見上げてため息をついた。
「あら、落下が近づいて憂鬱になってきたのかしら? 大丈夫? 手でも握ってあげましょうか」
「遠慮しとく」
「素直じゃないんだから」
こちらの全身全霊の拒否の言葉を華麗にスルーして、雪花は右手を握ってくる。ゾンビ特有のなんとも言えない体温。腐りかけの――あるいはすでに腐ってしまっている感触。
「安心した?」
「恐怖が倍増した」
「じゃあ両手で握ってあげましょう」
「恐怖は累乗なんだよ」
ついにジェットコースターが頂点に達したにもかかわらず、彼女は一切の躊躇なしに冗談を放り投げてきた。固定されているから両手で握るのなんて不可能だが、いやもしかすると死体だから体の損傷を無視して動けるのかもしれないけど、一応素直に内心を吐露する。
一瞬の浮遊感。
一瞬にして静寂に包まれる。
内臓がひっくり返った。
響き渡る嬌声じみた悲鳴。
「きゃあああああああああああああああああ!!!!」
楽しいわね化野!!
と雪花は満面の笑みを向けてくる。
俺は現在も固く結ばれている右手を見下ろして、続いてゾンビのくせして〝満面の笑み〟だとわかる表情を浮かべている彼女の顔に視線を移して、思わず苦笑とわずかな笑い声を漏らした。
「…………そうだね」
「え、なに!? 聞こえなかった!!」
小さく囁いた声は他のお客さんや、主として雪花の声に掻き消されてしまったようで聞き返される。しかし小っ恥ずかしいことを何度も言うものではない。精神が摩耗してしまうし、振り返ってみれば黒歴史のようなものだ。
だから俺は適当に「なんでもない」と呟いて、純粋にジェットコースターを楽しむことにした。
「きゃあああああああああああ!!!!!」
けれども、まぁ。
一つ気になることがあるとしたら。
「……………………」
お隣に座ってるゾンビさん、重力とか空気抵抗のせいで爆発しないよね。いくら腐りかけの死体だからって「バーン」っていかれたら困る。なにが困るって服が汚れるし、なにより生き返れるのか不明。
イモータル系女子の草壁雪花であるが、実際に死なないのかどうかは不明なのである。案外あっけなく逝ってしまうかもしれない。
そんな不安に苛まれて、俺は心の底からジェットコースターを楽しむことができなかった。
恨むぞ草壁雪花。
ちなみに爆発はしなかった。
よかった。
◇
「楽しかったわ」
遊園地は小さい頃に来たっきりで、大きくなってからは記憶がない。ゆえに飽きてしまうことを懸念していたのだが、案外大丈夫だった。それどころか思いの外楽しんでしまって気がついたら夕方だ。
変な形のサングラスを指先で摘んだ雪花はゲートへ向かって歩いていく。
「ね、化野」
「ん」
「また来ましょう」
「……ん」
今度のお誘いには冗談の色が混じっていなかったので、こちらも茶化さずに首を縦に振った。彼女は意外なものを見たように目を丸くすると、くしゃりと音がしそうな笑みを浮かべる。
「なぁに、ついにデレ期?」
「非常に頭にくる形容だ。発言を撤回する」
「冗談よ冗談。許して」
「仕方がない」
遊園地のゲートを出て人通りの少ない方へ向かっていく。帰り道は途中まで一緒だ。黄昏の憂いを帯びた空気の中、遊び疲れた二人が歩いていけば、それは当然会話も少なくなるわけで。
しかし気まずい空間だったかというと、そうでもない。
「じゃあね」
「ん」
ひらひらと手を振りながらの別れに言葉は少なかった。お互いに振り向きもせず、後ろ髪を引かれる思いもない。
――まぁ、明日も会うしな。
なんて考えがあったからかもしれない。
知らんけど。