俺は図書委員であるからして、新学期になって仕事をすることになった。もちろん相方は狂気の化け物系女子、逆瀬川美穂さんである。ちなみにジガバチである。
今日も元気に――と言うには少々ダウナー気味ではあるが、世間一般的に見たら十分元気と表現できる程度の気力でもって、彼女はカウンターに座っていた。
「曜くん」
「ん」
「暇じゃないですか」
美穂の言う通り図書室内は閑散としている。人影など片手で事足りるどころか鳥類にすら可能で、それも図書委員として働いている二人と、奥の部屋で本の整理らしき仕事をしている司書の先生のものだけだ。つまり誰もいない。
本来の司書の仕事であれば先生が現在行なっている本の整理や、はたまた施設内の清掃、貸出状況の確認などがあるのだろうが、そこは学校のお遊びじみた委員会である。担当するのは貸出くらい。
ゆえに俺達は限りなく暇な時間を過ごしていた。文学少女である美穂がプライドをかなぐり捨てて机に突っ伏すくらいには。ジガバチな彼女にプライドなんて上等なものがあるのかは知らないが。化け物的な自尊心だったらあるかもしれない。臆病な自尊心と尊大な羞恥心。
「曜くん」
「ん」
「ゲームをしましょう」
「古今東西魑魅魍魎ゲームはやらないぞ」
「どうしてわかったんですか」
もしかしてエスパーだったりするんですか? と若干引いたような視線を向けてくる。昆虫特有の複眼で。器用なものだ。
さすがに姉妹でもなんでもない美穂が同じ発想に至るとは――ゲームの内容があまりにも抜けているので――思えないため、おそらく彼女はどこかしらから内容を聞いてきたのだろう。最も可能性が高いのは草壁雪花か。雪花とは以前ゲームセンターで遭遇してしまったが、そのときは戦争でもおっ始めるのではと思うほど険悪なムードだった。
「その目、わかりますよ」
「なにが」
「疑っているんですね」
まるで自分のことを名探偵だと思い込んでいるように、美穂はシュバッシュバッと己の口から効果音をあげて、終いには戦隊ものじみたポーズまでやってみせる。
「実は!」
「実は?」
「あの草壁雪花さんと仲良くなったんです……」
『実は』のところは彼女らしからぬ声量であったが、『あの草壁雪花さんと仲良くなったんです……』のところは驚くほど小さかった。例えるなら羽音のような。見た目が完全に昆虫な逆瀬川美穂が行うと非常に他の意味を類推させるので、できる限り控えてほしい。口には出さないけれども。
「驚天動地だね」
「私も犬猿の仲だと思っていました」
「明日は槍でも降るんじゃない?」
「仲良くなったのは結構前なので、そうなるとここ数ヶ月は天気が槍のはずですね」
美穂は真面目くさった表情で触角を動かす。
ジガバチのくせして表情豊かなのだ。
普通の昆虫はロボットじみた顔をしているが。
「どういうきっかけで?」
「よ――いや、秘密です」
「よ?」
「そんなこと言ってません」
彼女はついに自分の表情が豊かすぎることに気がついたか、思考を読み取られないようにとでも言うように、先ほどとは意味が異なる理由で机に突っ伏した。なにかを隠すがごとく触角が迷走している。
しかし俺は知っていた。こういうときに質問をしてもやぶ蛇にしかならないことを。大体原因は草壁姉妹だ。特に妹のほう。常に周囲を冷やす雰囲気を漂わせており――物理的に――、大抵こちらに攻撃を仕掛けてくる。
化野くんは過去の失敗から学ぶ愚者なのだ。賢者は歴史から学ぶそうであるが、化け物と付き合ってきた先人は見当たらなかったので、残念ながら賢者にはなれそうにない。
「暇だね」
だから俺は会話を断ち切る。
興味のないふりをして椅子に座った。
正面にはいまだに突っ伏したジガバチ。
なんとなく突いてみた。
「うびゃっ!?」
「なにその声」
「急に突かれたら誰でもそうなりますよ!?」
触角の中間あたりを狙って指で突いてみたのだが、どうにも美穂には評判が悪かったようだ。悪かったというか、どちらかというと羞恥心? それを感じる。理由は不明であるけれども。解明するには専門家が必要だろうな。怪異の専門家。
「あはは」
「軽い笑い声ですね」
「ウケる?」
「ウケませんよ」
はぁ……と彼女はため息をついた。
「一体いつから曜くんはプレイボーイになってしまったのでしょう。純情な乙女の頭を突くような悪戯坊主ではなかったはずなんですが。私はそんな子に育てた覚えはありませんよ」
「育てられた覚えがありませんよ」
なんだかテンションもおかしいですし。熱でもあるんじゃないですか? と美穂は心配をのぞかせながら机を指先で叩く。昆虫の指と表現すると不思議な感じであるが、まぁ昆虫の指だ。実在するのだから仕方がない。世界がそうなっている。
「熱なんてないよ」
「あるような反応ですね」
「酔ってないよ」
「途端に怪しくなりましたね」
じゃあ少女漫画的体温測定法を使いますねと囁いて近づいてくるジガバチの顔。複眼における個眼の一つ一つに自分の顔が映っていた。特殊な色に染まった己の表情を見ていると、どうにも違和感を覚えて……。
「――曜くん!?」
気がつくと、俺は地面に倒れ込んでいた。