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体調回復なれども種族の壁高し

 体調回復。

 視界良好。

 天気晴朗ナレドモ波高シ。



「……なんですか?」

「雨が降ってるなって」

「快晴ですよ?」



 本日も歩く正気破壊兵器こと草壁菜々花が、鈴を鳴らしたように可愛らしい声で首を傾げた。当然のことながら肉塊には人間でいうところの首なんて部位は存在しないので、直立したブロック肉である彼女の、空に向かって細くなっていく部分のことを「首」だと形容しているのだ。



 首の専門家といっても過言ではない轆轤ろくろ首さんとかに聞かれたらはっ倒されるかもしれない適当さであるが、そんな化け物はこの世界に存在しないし、存在させない心意気で行くつもりなので、まったく問題ない。



「いやぁ、それにしても化野さん」

「ん?」

「体調がよくなってよかったですね」

「うん」



 倒れるほどの体調不良など数えるほど――あるいは経験したことがなかったかもしれない。少なくとも記憶には残っていない。

 やはりそんな厳しい戦いには体が慣れていなかったのか、ベッドから起き上がるには三日を要した。三日も、と見るべきか、三日しか、と見るべきか。いずれにせよ現在は完治している。



 学校は平日しかないから週末を跨いで、久しぶりの学校に俺は登校していた。



 いつも通り肩にかけていた鞄を机の横に引っ掛けて、ある程度の勉強道具を取り出したら椅子に座る。もはや無意識のうちに肉塊を視界から遠ざけて。なにも考えなくとも可能になってしまった動作。おそらく普通の人間なら一生使わないであろう。



 すると菜々花はなにかを思いついたように触手を打ち合わせ――肉塊は不思議な柔らかさと謎の液体を纏っているため、「べちゃり」と表現したくない音が聞こえた――、期待を込めた視線……らしきものを向けてくる。



「化野さん」

「ん」

「化野さんはしばらく休んでいたので、あの話・・・……知らないですよね?」

「なにそれ」



 意味ありげに潜められた声。

 声だけはいいせいで耳がゾワゾワする。

 癪に障るなぁ。



「ふふふ……今日は何月でしょうか」

「九月」

「正解です」



 小学生でも即答できるような問題を提示して、彼女はさも難問を解決した数学者を褒め称えるように、ぱちぱちと拍手をした。触手で。



「そうです、九月なんですよ」

「だから?」

「学生という条件に九月って言ったら、もう答えは一つしかないじゃないですか!」



 椅子をひっくり返すような勢いで――立ち上がる前に周りの迷惑になることを悟ったか、若干恥ずかしがりながら勢いを殺し、静かに立ち上がる菜々花。



「文化祭」

「ほぉ」

「文化祭ですよ化野さん!」



 がしりと肩を触手で掴まれる。顔と言うには少々グロテスクが過ぎる光景が近づいてくる。いつかの夢のことを思い出してしまって、自己嫌悪と羞恥心が湧いてきた。あと教室から向けられる視線も痛い。



「離れて」

「あ、これは失礼……気を取り直して、文化祭なんですよ。あの文化祭です。学生のうちに体験するイベントの中でもトップクラスに楽しくて、修学旅行など一度しか経験できないものを除けば、おそらく最も楽しいイベント」



 空咳を入れて菜々花は離れる。

 滔々と流れていく話。



「力説するね」

「楽しみですから」

「まぁそうか」



 学生ならな。俺は隣に常に化け物がいるせいで、強制的に学校生活が薄暗いものとなり、文化祭といった本来楽しいはずのイベントでさえ、一歩引いた立場から見ざるを得なくなっている。



 客観的に見たら美少女と名高い人物と交友するのと、俺の現在のデバフ。メリットとデメリットを考えたらどちらが勝っているのだろう。圧倒的にデメリットかな。たしかに彼女らと交友するのは楽しいが、それ以上に気疲れがすごい。



 運営には可及的速やかに自分の視界をナーフしてもらいたいものであるが、非常に残念なことに強化されることはあれど、弱化する方向性は見えていない。つまりは俺の明るい学校生活は闇のなかだ。



「それでなんですけど」

「うん」

「このクラスの出し物はですね」



 じゃかじゃかじゃかじゃか……じゃん。



 文字にするといささか間抜け感が強調される、ドラムロールじみたものを口ずさみながら、菜々花は触手を天高く突き上げた。



「メイド喫茶――ッ!」

「冥土喫茶?」

「――は、さすがにストップが入りまして」



 なぜか一発ジャブを入れてから彼女は続ける。



「普通にたこ焼きですね」

「普通だな」

「普通ですね」



 まぁ普通が一番ですよ、と普通からは最もかけ離れた見た目である肉塊は笑った。



 いそいそと座り直した彼女は天井を見上げる。朝の喧騒が満ちた教室の天井を。八時半を指し示す時計の存在感が小さいのは、おそらく面倒くさがって誰も電気を付けていないからなのだろう。影が天井に薄くかかっていた。



「……化野さん」



 静かに、見方によっては重厚感さえある口の開き方で、菜々花はゆったりとこちらに視線を向けてくる。化け物にそんな目を向けられると、一般的な男子高校生である俺は唾を飲み込まざるを得ない。



「……なに」

「一つ、お願いがあるんです」



 お願い……か。

 怖い。

 肉塊にお願いされる場面を想像してみてほしい。滅茶苦茶怖くないだろうか。少なくとも俺は怖い。現在進行中でだいぶ恐怖している。



「なにを」

「たこ焼きを……作ってはくれませんか」



 は?

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