文芸部の展示内容は至ってシンプルであり、部誌を図書室に並べて、あとはクイズだとかを壁に貼り付けていただけだった。文化祭においては各団体ごとに大きな有孔ボードが配られ、それに俳句だとかを貼り付けていく。
文芸部の部長の提案だというクイズの答えを眺めながら、俺は意外にも人が来るんだなと思っていた。逆瀬川美穂は来場者にクイズの説明をし、紙を手渡す。その紙は解答用紙だ。図書室を一周してすべての問題に答え、全五問中三問正解したら景品の飴玉を渡す手はずになっている。
問題といっても俺ですら解けるような簡単なものなので、ほとんどの人は景品を受け取っていたが。
「結構人が来るんだね」
「結構人が来るんですね。私もびっくりです」
「部長さんから話は聞いてなかったの」
「展示の管理とかを任されただけなので……」
美穂は苦笑するように触角を揺らすと、また新たに図書室へ入ってきた人に声をかけに行った。自分は飴玉を渡す係なので椅子に座ったまま。横の机にはすでに回答済みの紙がうず高く積まれている。
それからもしばらく活動し、十二時となった。
いくら文化祭が忙しいとはいえお昼の時間には休憩が貰えるようで、実行委員をやっているらしい文芸部の部長さんが「ごめんね逆瀬川さん。お礼といってはなんだけどジュースを買って、きた……から……?」などとこちらに歩いてくる。
「え、ちょ、誰?」
がし。
かなりの強さで肩を掴まれた。
部長さんのお目々はぐるぐるしている。
催眠術にでもかかったのだろうか。
「私がお手伝いを頼んだ曜く――化野さんです」
「お手伝い……男の子……」
これが青春か……と呟いて彼女はさらさらと塵になってしまった。あまりに悲しい光景に目を背けざるを得ない。丸眼鏡に三つ編みという今時珍しい見た目をしていたが、さらに珍しい生態をしているようだ。
しかし美穂は慣れたようにため息をつくとこちらを見やり、
「曜君」
「え、うん」
「ジュースを頂きましょう」
と促してきた。
部長さんを放置して。
「あれ大丈夫なの?」
「よくあることです」
「よくあるんだ……」
部長さんが持ってきてくれた缶ジュースは合計五本あり、本来であれば美穂一人で活動していたことを考えると、いささか過剰に思えた。やはりそれだけ申し訳無さだとか感謝の気持を抱いていたのだろう。
美穂に買ってきたものを自分が頂くのもな、と躊躇していると「曜君も手伝ってくれたんですから権利があるはずですよ」と彼女はこちらを安心させるがごとく首を傾げる。
「じゃあこれを」
「はいどうぞ」
結露を纏った缶ジュースはいかにも夏を凝縮したような感じで、しばらく水分を取っていなかったということもあって、思わず喉を鳴らしてしまった。はしたない。
部長さんが復活するのには五分程度の時間を要し、その蘇りし様はキリストだとかそういう類の、あまりに神聖過ぎる雰囲気に満ち溢れていた。
「じゃあ申し訳ないんだけど……」
「はい、頑張ります」
「そこの男の子も」
無事に人間性を獲得した部長さんは冷静に立ち上がると、床に転がっていたために乱れた髪を指で整えながら、丸眼鏡のつるを摘んで光らせる。
「頑張ります」
俺は新しく図書室を訪れた人達に景品を渡す手を止めて、彼女に真っ直ぐな視線を向けた。
それから数時間ほどを文芸部の展示の手伝いに費やし、ついに文化祭は終了の時間と相成った。来場者は十六時までに校内を出ていくスケジュールである。もちろん生徒は掃除だとか明日へ向けての準備があるので、一時間ほど拘束された後に放課後となる。
「曜君、今日は本当にありがとうございました」
「こっちも結構楽しかったから」
実は手伝いの時間をこれほど取るつもりはなかった。しかし意外にも来場者への対応が楽しかったので、ここまで長引いたのだ。むしろ感謝を伝えたいくらいである。美穂はこそばゆそうに触角を揺らして、
「えへへ、私も楽しかったです……」
「やっぱり? いきいきしてたもんね」
破顔して――昆虫といえば無機質な姿形が印象的であるが、ジガバチな彼女も例に漏れずそうであった。けれどもこうして笑顔を浮かべているさまを見ると、そこらの昆虫と同じような感慨は抱けない――胸の前で脚を合わせる美穂に、俺のほうまで恥ずかしくなってきてしまった。思わず目をそらす。
「明日も作業あるの?」
「いえ、明日は他の部員の方が自由に動けるそうなので、本日限りで営業終了です」
文化祭においては様々なイベントが開催されていた。例えばミスコンだとか、イベントステージで踊りの披露だとか、歌自慢大会だとか。この学校の名物といえばミスコンだともっぱらの噂なので観覧したかったのだが、決勝戦は明日にあるので許容した。
各々の教室戻るように放送が入り、それに従って俺達は図書室を出る。
「曜君」
「ん」
「明日はご暇ですか?」
「うーん」
用事があるか、ないかでいえば後者だ。
シフトは今日で終了した。
「ないかな」
「では一緒に回りませんか?」
「うーん」
昆虫と一緒に文化祭。
いつも横には外骨格。
手の届くところにジガバチがいる。
割と最悪じゃないか?
しかし一人で文化祭を回ると考えたら悲惨な未来しか見えなかったため、美穂のありがたい提案に乗っかると、彼女は非常に嬉しそうにちんまりと袖を摘んできた。目の前に複眼が来た。慣れてきたとはいえゾワゾワした。