須佐美陽子さんを筆頭とした応援の披露は、薄暗い体育館のステージで行われた。カーテンを締め切り電気を切り、しかし舞台の上だけは煌々と照らし出されている。その中に堂々と歩き出した彼女。俺は須佐美さんの化け物らしい見た目にもかかわらず、思わず「かっこいい」と思ってしまった。悔しい。
現在は披露も終わり彼女と話している。とは言ってもまず会話を切り出したのは逆瀬川美穂であり、やはり交友関係は深かったらしい。
「かっこよかったですよ」
「あ、そう? おおきに」
「本当に。曜君とか感動して泣いてましたよ」
「嘘をつくんじゃない嘘を」
俺はあまりに聴き逃がせない言葉が聞こえてきたものだから、静観しようと思っていた――化け物同士のたちの悪いハロウィンみたいな対峙に介入したくなかったから――にもかかわらず、反射的に口を開いてしまっていた。
「本当ですよ」
「嬉しいなぁ」
「嘘だからね」
美穂の適当な言葉に、これまた適当な須佐美さんによる喜びの言葉。
なんだか二人してこちらをいじめようとでも思っているのではないだろうか。そんなふうに邪推してしまうほど、彼女らの連携は見事だった。
まったく褒められたものではないけれども。
「曜君」
「ん」
暗がりに紛れて認識はしづらくなっているが、いまだに健在の昆虫感。〝感〟と表現するには昆虫色が強すぎる感は否めない。目を瞑って聴覚だけに頼ればまるで美少女。しかし目を開けば悪夢の始まりだ。しかして俺の普通の青春は荼毘に付される。
「これからのイベントも見てきますか?」
「そうだね……」
頭の中でパンフレットを開く。
注目するのはイベント情報。
この文化祭においては「野外ステージ」と「体育館」と「校舎」と「屋台通り」に大きくエリアが分かれ、そのうちの野外ステージと体育館でイベントが開かれる。野外ステージではミスコンやらボディビルやらが開催されるため、強い日差しに晒されることを考慮しても、例年盛況らしい。
そして現在いる体育館ステージでは野外では行いづらいもの――例えばバンドやら、歌自慢大会やら、代わり種でいえばヲタ芸などが披露される。
「俺はどこでも……というか、もともと美穂に合わせるつもりだったし」
「うーん、私も困ってるんですよねぇ」
どこも面白そうで。
美穂は言葉通りに困っていた。
思考にふけるように複眼に光が宿る。
それを無言で眺めていた須佐美さんは、どこか誤魔化すような雰囲気を醸し出しながらも、たしかに強い意志を感じさせる口調でこちらに話しかけてきた。
「……なぁなぁ、曜君」
「なぁに」
「不公平や思わへん?」
「なにが」
大事なところが省かれた文章に首を傾げる。
彼女は一体なにを言いたいのだろうか。
「いやほら、あれやわぁ」
「あれ?」
「……名前」
「はぁ?」
名前が不公平?
文字数的な意味だろうか。
それとも字面の格好良さ……。
「……いけず。わかっとるくせに」
「ごめん、本当にわからない」
俺が本心から不思議そうに首を傾げていると理解したのか、須佐美さんは絶句したように一歩二歩よろめくと、横合いで状況を静観していた美穂が「わかります。わかりますよその気持ち。この鈍感野郎どうしてくれようか、とか思っちゃいますよね」と彼女もまた意味のわからないことを言った。
「ですから陽子。自分から行くしかないんです」
「そ、そやけど……乙女心的なやつが……」
「曜君にそんなのを期待するだけ無駄です」
「おい」
待ったをかけようとしたが、もはや殺意の域にまで達した『お前は黙っていろ』という意思の込められた視線によって、俺の正当な主張は行き場を失う。
やがて覚悟を決めたような須佐美さんは、一度二度……それどころか四度も五度も深呼吸をして――、
「曜君」
「ん」
「うちのこと、名前で呼んでくれへん?」
思いがけぬ要求が切り出された。
瞬間、頭の中を駆け巡る困惑。
化け物だから呪い的な――。
もしかするとドッキリ――。
あるいは単純に好意を――。
「い、いやちゃうで? ただお友達としても関係深なってきた思うし、いつまでも名字にさん付けなんて他人行儀やし、それに美穂だけ……ちゅうか菜々花やらも名前で呼んでるのに、うちだけそないな呼び方なんは寂しいなぁって」
一息で須佐美さんは説明を付け加える。
なぜか美穂は額を押さえていた。
そういうことなら否やはないし、俺も彼女とはそれなりに一緒に遊んできたし、いつまでも名字呼びというのは冷たいと思っていたのだ。であるから丁度よい機会。
しばしの逡巡の末、そっと息を吐く。
「――
「………………これ、予想以上に照れるなぁ」
「言わないで。こっちもだから」
慣れてしまえばどうってことないのに、こうやって面と向かって真剣な雰囲気で名前を呼ぶと、それこそ顔を覆ってしまいたくなるほどの羞恥心に襲われてしまった。体育館には電気がほとんど付いていないから、薄暗い空間も相まって「そういう」ムードみたいだし。
「……やはりこれはNTR……? しかしなんでしょう、この不思議な胸のときめきは…………鋭い痛みが走っているはずなのに、甘く痺れるような感覚……」
隣では美穂がぶつぶつと呟いていたが、心臓の鼓動がバクバクとうるさいせいで、ぜんぜん耳には入ってこなかった。
そうして須佐美さん――陽子は、照れたように胸の前で手を合わせ、
「ふふふ……ほな、これからよろしゅう? 曜君」
零れそうなほど満面の笑みを浮かべたのだった。