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とある村での出会い

 とある村があった。

 山間の寒村だ。

 とは言っても、この現代日本において飢饉で人が死ぬような場所は存在していない。そこへたどり着くまでの道のりが長くて、外界との接触が少ないことの比喩表現である。



 村の名前は鳥辺野とりべのという。

 特定の地域を指す名称ではない。

 ただ、自然発生的に名付けられた、ごくごく一般的な名前だ。



 そんな寒村に一人の少年がいた。特段印象に残る見た目をしているわけでも、奇特な言動をしているわけでも、強く記憶に焼き付くような才覚があるわけでもない。どこにでも遍在へんざいしていそうな少年。



「曜、もう起きなさい」

「ん……はぁい」



 彼――化野曜は薄っぺらい布団に寝転がりながら、母親に掛け布団を引き剥がされた。瞬間まぶた越しに差し込む日差しに顔をしかめる。曜はいそいそと離れ離れになった掛け布団を引き寄せて、再び眠りの世界に……、



「曜!」

「っはぁい!」



 落ちることはなかった。

 今にも爆発しそうな母親の声に飛び起きる。



「……眠ぅ」



 すでに朝食の準備を終わらせた母親が、「早く来ないとご飯冷めちゃうからね」と部屋を出ていくのを眺めながら、曜はいまだ重たい双眸をこすって、静かに着替えを始めた。













「じゃあ、申し訳ないんですけど……」

「いやいや初孫の世話なんて、あたしみたいな老人には、むしろ頼み込みたいくらいだよ」



 言葉通りの心苦しさに口の端を歪めながら、ぴっちりとしたスーツに身を包んだ曜の母親が、せめてもの感謝を伝えるように大きく腰を折った。彼女に相対する祖母――つまりは曜にとっての祖母であり、母親にとっての義母――は頬に手を添えて笑みを浮かべる。



「曜」

「ん」

「迷惑かけちゃ駄目だからね」

「わかってるよ」

「……本当かしら」



 今日の朝のことを思い出して、母親は首を傾げる。

 しかし曜はまったく気にしていないようだ。

 将来は大物になるか、はたまた。



「ふふふ、あたしのことは気にせず行っといで」

「すみませんお義母さん……」



 もう一度腰を折って、母親は車に乗り込んだ。



 この村には珍しいチューニングされたマフラーによって、特徴的な音が響きながら去っていく。曜はそれを「ぼーっ」と眺めていた。



「曜」

「なぁに」



 横に立っていた祖母に話しかけられ、彼は子供らしい大きな瞳を向ける。



「体調がよくなるまでお母さんと離れ離れだけど……」

「大丈夫だよ、おばあちゃん」

「本当かねぇ……」



 心配そうな声だ。

 小学校低学年の男子に向けるには当然のものだが。

 しかし曜の表情にかげりはない。



「僕ね、楽しみにしてたんだ」

「楽しみ……?」

「ずっと都会ばっかでさ、息が詰まりそうで」

「また大人かぶれしたこと言って」



 一体どこで覚えてくるのかしら、と祖母は苦笑して、やや乱暴に曜の頭をなでた。本人はそれなりに大人のつもりなのか、彼は「やめてよ!」と抵抗する。もちろん祖母は聞くはずもなく続ける。



「ここは空気が綺麗だからねぇ、きっとよくなるよ」



 心配が一滴落ちた笑みを口元にたたえて。

 祖母は優しさに目を細めた。



     ◇



 いくら体調が悪くなることがあったとしても、子供を学校に通わせるのは親の義務である。当然のことながら曜も例を漏れず、鳥辺野村に唯一ある学校に通うことになった。人見知りをしない彼は早々に学友に受け入れられたようだ。



「あっちー!」

「ん、なに」



 常に膝小僧に絆創膏を貼っているような少年。

 これぞ腕白わんぱく、と思わせるような少年が、曜の机に思い切り手のひらを叩きつけた。

 ちなみに「あっちー」とは化野曜のあだ名である。

 自己紹介をして一番最初に言われたのが『じゃあ、あだ名は〝あっちー〟ね!』だったのだから子供の懐の広さがわかるというものだ。



「今日は風邪で来てないんだけどさ、実はちょっと前に転校してきたやつら・・・がいるんだぜ。あっちーみたいに」

「へぇ?」

「だから紹介がてらお見舞い行こう!」

「いいよ」



 少年――伊勢屋いせや太郎たろうは快活に笑って、教室に入ってきた先生に叱られた。

 もうすぐ授業が始まるぞ、さっさと座れと。



 いくら山間の村であっても都会の学校と教育の内容が大きく違う、ということはないらしく、授業がすべて終わった頃には曜の肩は重くなっていた。まだ日は高いが彼の表情は暗い。もはやこの疲れで病気になってしまいそうだ。



「あっちー!」

「わかってるよタロー」



 どうにも太郎は学校の人気者らしく、あまり人数は在籍していないが、たしかに存在している生徒達に次々と声をかけられていた。それを丁寧に一つ一つ断りながら、太郎は曜の肩を叩く。



「へへへ、お前びっくりするぜ」

「なんで?」

「けけけ、着いてからのお楽しみさ」



 なんだそりゃ。

 曜は若干の痛みが残る肩を竦めた。

 太郎は力加減が下手だ。



 子供の足では移動に結構な時間が必要で、目的地に辿りついたのは十五分ほど経った頃だった。

 小さな鳥辺野村で移動にそれだけかかるというのは、目的地が偏僻へんぺきな場所に位置することを意味している。

 鳥辺野村自体が辺鄙へんぴな場所に位置しているというのには目をつぶって。



「おじゃましまーす!!」

「ちょ、おい」



 太郎はノックもなしに扉を開ける。

 田舎においては鍵をしていないことが多い。

 ゆえに軽々と開いた扉に、さすがの曜も体をビクつかせる。

 まったく太郎は気にしていなかったが。



「大丈夫だよ、ここの子とは友達だから」

「子供じゃなくて親が問題なんだよ」

「お父さんお母さんとも友達だぞ!」

「……そいつぁすげぇや」



 曜は諦めた。

 諦めたように苦笑した。

 もうここまで来たらどうにでもなれだ。



 そしてしばらくの沈黙の後に、廊下の奥から歩いてきた小さな影が――一度も見たことがないくらいに目を引く金髪が揺れる影が、わずかな困惑とともに息を漏らした。



「……タロー君?」

「おうよ」

「その子は?」

「今日転校してきたやつ! なっちゃん・・・・・と同じ!」

「そうですか……」



 彼女はほんのりと頬を赤く染めて、笑う。



「はじめまして、私は草壁くさかべ菜々花ななかです」



 ――これが、化野曜と草壁菜々花の出会いだった。

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