草壁家へ訪問したのも二週間は前のことになるだろうか。すっかり快方した様子の菜々花、ならびに雪花は元気そうに外を走り回っている。それを教室の中から眺めながら、曜はため息をついた。
「それで僕が風邪気味になってたら世話ないよね」
「あっちー今日も遊べねぇの?」
「うーん、まだ完全には……」
「つまんねー」
机に肘をついて憂いの表情を浮かべる曜。
横から机に顎を置いて、じたばたと手足を暴れさせる太郎。
「草壁姉妹と遊んでくればいいじゃん」
「そうは言うけどな」
「うん」
「俺らとあいつら、全然違うだろ?」
「……それは、人種的な意味で?」
「性別だよっ!」
ばばん、と机が叩かれる。
曜の双眸に理解の光が宿った。
ついでに「へたれが」という嘆息も。
「ちょっと前まで気にせず遊んでただろ」
「それは……そうだけど!」
「タローらしくないよ、ウジウジしてるの」
男子三日会わざれば刮目して見よ。
太郎はここ数日間の間に、多少なりとも女子との距離感を理解してしまったのか、草壁姉妹――ひいては女子達と以前のように話せなくなってしまった。
「好き勝手言いやがって」
「タローと一緒に遊べないってさ、他の子からも不満を言われてるんだよ」
「一緒には……遊んでるだろ?」
「男子とはね」
「くっ!」
太郎は口ごもる。
自覚していたからだ。自分に対して「遊びたいよう」と語るがごとくに向けられる視線を。あと自分のことを馬鹿にしてそうな曜の視線にも。
「そ……そうは言うけどよ」
「ん?」
「あっちーだって、なっちゃんと一緒に遊ばねぇじゃん」
「んごっほ、んん」
咳が出た。
曜は喉の奥が痒くなって、思い切り掻きむしりたい気分になった。
「……タロー」
「……なんだよ」
「……この勝負は引き分けってことでいいかな」
「……おう」
意気地無しが二人、ここに誕生した。
「……とりあえず外行こうか」
「……うん」
「……まぁ僕はあんまり動けないけど」
「……それでいいよ」
二人の背中には小学生にしてはずいぶんと情けない哀愁が、まるで死地にでも赴くような悲哀が、地縛霊のごとく付着している。しかし校庭で鉄棒に興じる草壁姉妹のもとへたどり着いたとき、彼らは奮起した。もはや遅いというのに、まるで動揺や羞恥心など感じていないかのように。
「なっちゃん!」
「あ、タロー君」
それと化野君も。
菜々花は木漏れ日のような笑みを浮かべる。
「久しぶりですね、タロー君から話しかけてくれるなんて」
「あー、いや、ちょっとな……」
男同士のあれやこれがあったんだよな、と言わんばかりにウインクを曜に向ける太郎。まったく様になっていない。犬や猫のほうが上手くできるのではないか、というレベルの出来だ。
けれども弱みを握り合っている関係として――そしてなにより友達であるから、曜は下手なフォローをする。
「そうそう。特別な話があったんだよね」
「えぇー羨ましいです」
「でもこれは男同士のあれだから」
「そうそう。あれあれ」
非常にふんわりとした会話。
曖昧模糊として漠然とした発言だったが、さすがに小学校低学年相手であれば通用するようで――話す方も同年代というのには目を向けずに――、菜々花は首を傾げながら「残念ですけど仕方がないですね」と鉄棒から飛び降りた。
ぱんぱんと手を打ち合わせる彼女の後ろから、菜々花にそっくりな少女が一人、心細そうに体を揺らしながら出てくる。
「――お兄ちゃん!」
「ぐぇ」
雪花は曜の姿を認めると、すっかり〝そう〟することが当然かというように、彼の胴体に抱きついた。
猫のように金髪を腹に擦り付ける。
いくら小学生とはいっても、それなりの力はある。曜は若干の体調不良のせいもあって、ほんのちょっぴり気分が悪くなった。
もちろん雪花のせいではない。
「あのね、雪花ちゃん」
「んぅ? なぁに」
「可愛らしく上目遣いをしても駄目だよ。僕は雪花ちゃんのお兄ちゃんじゃないからね」
曜は雪花から「お兄ちゃん」と呼ばれるようになっていた。
二週間前のお宅訪問からだ。
菜々花の前でいい格好を見せようとした曜が、彼女の妹である雪花相手に優しく接していたら、そんな態度に慣れていなかったのか雪花は懐いてしまったのだ。それも相当に。お兄ちゃんと呼ぶくらいには。
「お兄ちゃんだよ」
「違うよ」
「違くないもん!」
否定の言葉を拒否するように、いやいやと頭をなおさら押し付ける雪花。突き刺さった頭頂部がちょうど胃のあたりにジャストフィットしている。さきほど給食を食べた曜にとっては絶望的な攻撃だった。
「……?」
なにせ――本人は自覚していなくとも――好意を持っている少女が目の前にいるのだ。ここで嘔吐などしようものなら、曜のあだ名は少なくとも小学生のうちは「嘔吐マン」だとかセンスの壊滅的なものとなり、明るい未来はない。
ゆえに彼は耐えるしかなかった。
耐えて雪花の頭を撫でるしか。
そんな態度がますます彼女の好意を高めていくのに彼が気付くには、曜の年齢は幼すぎた。
「やっぱりお兄ちゃんだね!」
「だからお兄ちゃん違う」
「えへへっ!」
もはや恒例となった光景。
そこに同じく恒例となったため息が響いた。
太郎と菜々花の視線は非常に生暖かい。