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とある村の雨宿り

 山の天気は変わりやすい。

 よく言われることではあるが、だからといって常に対策ができるわけではない。

 それどころか、山間に生活しているのであれば、むしろ急激に変化する天気に慣れ親しんでしまい、対策を怠ることすらあるだろう。



 鳥辺野村に来てから数ヶ月が経過し、早く落ちる太陽や恐るべき速度で機嫌を崩す空にも、曜はかなり慣れてきていた。

 慣れてきてはいても、すなわち問題ないということにはならないけれども。



「……雨強いね」

「梅雨ですからね」

「誰か傘を持ってきてくれそうな人って」

「いないでしょうねぇ」



 プレハブの小屋をむりやりバス停の待合所にしたような――実際そうなのだろう――空間で雨宿りをしながら、曜と菜々花は不安そうに空を見上げていた。灰色の空は水を吐き出すのをやめようとしない。小学生ゆえにスマートフォンなどは持っておらず、天気予報もわからない。この雨がいつ終わるか想像もつかないための不安だった。




「ちょっと遊ぶくらいのつもりだったのに」

「不幸ですね」

「この村にはテレビとかないもんね」

「あったとしても予報とか関係なさそうですけど」



 菜々花は長い金色の髪の先を指に絡めながら、申し訳無さそうに口の端を歪める。引っ越してきて間もない曜に対しての、そこそこ長く生活している者特有の申し訳無さだ。特に彼女がなにかをしたわけでもなければ、なにかができるわけでもないが。



 比喩表現的に「寒村」と表せてしまう鳥辺野村は、まるで外界からの接触を絶たれているかのように、例えば天気予報などの普通は存在するものがない。より詳細に言うと基準とされる都市があまりにも遠いため、そこの天気と違うことが多いのだ。



「……本当に雨強いですね」

「ちょっとの雨だったら走っていけるけど」

「これは……下手すると怪我をするかもしれません」

「視界も悪いしね」



 困ったように眉を下げる菜々花。

 辟易とした表情を浮かべる曜。

 二人に共通するのは今にもため息をつきそうなこと。



 バスの待合室なのだから時刻表くらいは壁に貼ってある。しかしメモ帳に使えそうなほど空白が目立っていた。それに加えて何年前のものかわからないほど色褪せたポスターがひっそりと。

 総括すると小学生が暇をつぶせそうなものは存在しなかった。



「化野君」

「ん」

「よくよく考えてみると珍しくないですか」

「なにが」



 不思議そうに首を傾げた曜を指差して、菜々花は続けて自身も指差す。



「メンバーですよ」

「メンバー?」

「はい。この二人が二人っきりになるのって、珍しいどころか初めてじゃないですかね。そう思うと恥ずかしくなってきました」



 雨に振られていたところを慌てて走ってきた二人。

 すなわち服は水に透けており、薄い肌の色が布越しに見える。

 小学生ながら紳士的な振る舞いを心がける曜は、非常に重たい引力を放つ菜々花から意識して目を逸らしていた。



 そんな状態に菜々花が発言する。

 二人きりなんて恥ずかしいですね……と。

 曜からすれば嫌がらせのようなものだった。

 鼓動をさらにうるさくさせてどうするつもりなのかと。

 殺すつもりか、と。



 かなり理不尽な文句である。



「……そう、だね」

「やっぱり化野君も緊張しますか」

「する」

「あはは……私もです」



 微妙な沈黙が二人の間に落ちる。

 思わず身じろぎしたくなる沈黙。

 内股をこすり合わせた菜々花は、しかしなにかを思いついたのか「はっ!」と勢いよく立ち上がった。

 隣に座っていた曜は瞠目する。



「化野君!」

「……なに」

「思いついてしまいました」

「なにを」

「暇をつぶし――かつ肌寒さを解消する方法をです!」



 濡れているのだから当然、若干の肌寒さを感じていた。

 それよりも曜にとっては目のやりどころに困っていたのだが。早急になにかを着てほしいと願っていたが、都合よく待合室に衣服が置いてあるはずもないので、黙って雨のカーテンが支配する外の景色を眺めていた。



「どうするの」

「抱き合いましょう」

「は?」

「ほら、雪山で遭難した人がよくするそうじゃないですか。人肌で温めあって、寝そうになったら『寝たら死ぬぞ!』って」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ」



 多分、おそらく、きっと絶対に違う。

 曜は確信していた。

 けれども菜々花の表情は自信に満ち溢れている。



「思い立ったが吉日、鉄は早いうちに打てです! さぁさぁ!」

「まぁまぁ慌てるんじゃない」



 気になっている異性が腕を広げて近づいてくるものだから、曜の心臓はいよいよ許容範囲を超え、大気圏に突入しそうになっていた。このままではビックバンが発生してしまうだろう。あるいは、その前にロッシュ限界に至って崩壊してしまうかもしれない。



 ――暴走機関車かな?

 と思ってしまう勢いで、彼女は迫る。

 なかなかに曜は抵抗していたが、子供のうちは男子よりも女子のほうが成長が早いということもあって、やがて力負けしてしまう。



 接近する体。

 密着する肌。

 消滅する間。



 間もなく曜の意識が落ちるのも当然だと思われるところで、思いもよらぬ助けが訪れた。天の助けと表現してもいいかもしれない。



「――あ」

「……雨、やみましたね」



 ぽたぽた、と。

 先程までの勢いはどこへやら、空は存分に雨を吐き出すのをやめた。

 拍子抜けしたような空気が二人の間に流れる。



「はい、離れて離れて」

「あぅ」



 まるで動揺していないかのごとく振る舞って、曜は菜々花の鼻先を指で押し、ほとんどゼロになっていた距離を強制的に復活させた。なぜか残念そうにしている菜々花の表情には目もくれない。



 雪花ちゃんにはもっと落ち着けを持てと言っていたけれども、本当は自分が持ったほうがいいのではないだろうか。というより〝そっち〟の知識について勉強したほうがいいんじゃないだろうか。

 と曜はため息をつく。



「菜々花」

「はい?」

「帰ろうか」

「はい!」



 雨は上がった。

 道はアスファルトではない。

 水分を多く含んだ泥道を、二人はゆく。



「菜々花」

「はい?」

「……ああいうのは、やめといたほうがいいと思うよ」

「〝ああいうの〟とは?」

「……そうだねぇ」



 曜はしばらく逡巡して、



「…………断りもなく引っ付くのとか」

「わかりました! これからは了承を得ますね!」

「そういうことじゃないんだなぁ」

「じゃあ化野君だけにしますね!」

「そういうことでもないんだなぁ」



 やっぱり暴走機関車だ。

 鳥辺野村の暴走機関車だ、と。

 曜は心のなかでそっとこぼした。

 若干口から漏れていたが。

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