もともと曜が鳥辺野村を訪れたのは療養のためであったが、彼の体の弱さは依然として残っていた。
「ったく、気をつけろよ?」
「ごほっごほっ……ごめん」
「あっちーがいなくて暇だったんだから」
薄っぺらい布団に寝る曜。
その横に太郎が座っていた。
太郎は「これでいいのか……?」と慣れなさそうに粥の入った皿を運んできて、曜に手渡す。粥は曜の祖母――直子が作ったものだ。
「ありがと……熱っ」
「だから気をつけろと」
そんなんじゃモテねぇぞ、と太郎は他意がありそうな視線を向ける。まるでからかうような。曜は彼の言いたいことを読み取ってしまって、咳の代わりにため息をつくことにした。
「ドジなやつは女の子にモテないらしいぜ」
「……別にいいよ」
「本当に? なっちゃんにも?」
「菜々花は関係ないだろ」
「あるでしょー」
太郎は悪戯気な笑みを浮かべる。
最近そればかりだ。
曜は辟易としていた。
「あっちーはさ」
「うん」
「『なっちゃん』と『ゆーちゃん』どっちが好きなん?」
「ごほっごほっ」
咳き込む。
何度も咳き込む。
くだらない質問を吹き飛ばすように。
しかし太郎には引くつもりがないようで、やたらとキラキラした双眸を曜に見せつけていた。もちろん彼自身はクールな振る舞いをしているつもりだろうが、内心の下世話な興味がまったく隠せていない。
「そんなんじゃないよ」
「えぇ? 本当か?」
「僕は嘘をついたことがないのが自慢なんだ」
「嘘じゃん」
正直に白状したほうが身のためだぜー、と明らかにからかいが混じっている言葉と一緒に、太郎の肘が曜の頬に突き刺さる。
風邪を引いているのだから、正直近づいてほしくない。けれども太郎はそんな事を気にしないのだろう。きっと「だって、あっちーが淋しい思いをすることになるだろ?」と距離を空けないのだ。
確認も取っていないのに胸に去来した不思議な確信に、たしかな友情を感じてかすかな笑みを浮かべた曜。
彼のそんな様子になにかを感じ取ったのか、太郎はなおさら引っ付いた。
早く答えを聞かせろと。まるで焦っているかのように。
「タロー、どうしたの」
「……なにが」
「いつもと様子が違うよ」
大人の視点からすれば彼らの付き合いはそれほど長いものではないが、彼らにとってみれば、ずっと一緒に遊んできたような友情が存在した。ゆえに曜は太郎の振る舞いのおかしさに気がつく。通常の彼であれば、ここまでしつこくない。
思えばおかしかったのだ。
曜は風邪を引いている。
だからといって、わざわざ看病を買って出るなど。
太郎の性格を考えれば捨て置くことこそないだろうが、保護者である直子が在宅であるのだから、あえて小学生が粥を持ってきたりする必要などない。
「……全然おかしくないぜ?」
「おかしいね。アンパンマンを見てはしゃがない幼児くらいおかしい」
「おかしすぎるだろ」
俺、そんなにか?
と自分の顔をペタペタと触る太郎。
彼はしばらく誤魔化しの笑みを浮かべていたが、やがて曜が引かないとわかったか、ため息をつきながら体育座りをした。
まるで、自身をなにかから守るように。
「あっちー」
「ん」
「すごく、すごく変な質問するぜ?」
「どうぞ」
その後も太郎は逡巡したようだが、ついに言葉を切り出した。
致命的な言葉を。
「――もし、俺の余命が半年だって言ったら、どうする?」
曜はぼんやりと空を見上げていた。
縁側に座りながらお茶をすする。
白い湯気が静かに空へと伸びていった。
それを不満げに眺める雪花は、ついに我慢ができなくなったようで、思い切り頬を膨らませながら曜の胸の中に飛び込んでいった。
「お兄ちゃん!」
「ぐぉ」
小さなうめき声。
奇襲に慌てた彼は、しかし湯呑みをしっかりと持っている。
ひとえに雪花にお茶をかけないようにするためであった。
胴に腕を回して曜の鼻先に上目遣いを向ける雪花は、彼との距離が近づいたことで――近づいたというかゼロになったというか――わずかに不満が解消されたのか、頬の膨らみが小さくなっている。
けれども現在も残っているであろう燻りが、彼女にその疑問を口に出させた。
「お兄ちゃん」
「……ん」
「最近なにを悩んでるの?」
雪花の言葉に初めて気付いたとでも言うが如く、曜は目をパチパチとする。先程まで影を見せていた気配はない。一瞬の変わり身に、むしろ雪花は心配が募ったようだ。なおさら抱きつく力を強くした。
「悩んでたかな」
「悩んでたよ。自分で気づいてなかったの?」
「……少なくとも雪花ちゃんに気取られるとは」
「えへへ、実は私鋭いほうなんだよ」
平時に聞けばまず信じない発言ではあったが、実際に読み取られてしまっている以上、誤魔化すように茶化しても効果がない。
曜は苦笑しながら雪花の頭を撫でると、彼女を安心させるために嘘をついた。
「どうもね、体調がすぐれなくて」
「……お兄ちゃん体弱いもんね」
「うん」
彼が鳥辺野村に来た理由は広まっている。
ゆえに雪花は疑うことなく曜の言葉を信じた。
あるいは疑うということを知らないのかもしれない。
「じゃあお兄ちゃんの体調がよくなるようにお
雪花は己の両親の振る舞いを思い出して、曜の体調を回復させる手段を提案する。曜はそれを聞いて苦笑を深くすると、ますます優しげに彼女の髪をすくようになった。雪花の耳先がほんのりと赤くなる。
「ありがとう、雪花ちゃん」
「ふふふ!」
傍から見たら文字通り「兄」と「妹」じみた会話だった。同い年にもかかわらず。菜々花と雪花は同じ日に生まれた双子であるが、しかし、それにしては彼女の末っ子らしさというか、年下らしさというのが溢れているように思える。
そのためか、いつの間にか曜は雪花の「お兄ちゃん」という言葉に対して否定することがなくなっていた。否定する度に彼女が悲しそうな顔をしていたからかもしれない。
表面上の彼の表情が和らいだことによって、雪花は双眸を明るくすると、
「明日からは学校来られる!? タロー君とか寂しそうにしてたよ!」
「……そう、だね。タローも待ってるんだ」
「うん! 口では強がってるんだけど、明らかに元気がないの。でもお兄ちゃんのお見舞いに行こうって言うと、遠慮して帰っちゃうんだ。変なの」
雪花は満面の笑みを浮かべた。
つられて曜も口元に笑みを浮かべる。
「……明日から、学校に行くよ」
「ほんと!? やったーお姉ちゃんも喜ぶよ!!」
と破顔して、雪花は縁側においてあった鞄を背負って走り出していった。まもなく日が暮れる。現在は雨など考えられもしない天気であるが、山の向こうに怪しい雲が見える。もしかすると一雨来るのかもしれない。