「ちょっと聞いてくれよー」
「なに?」
「昨日家に帰るまで石蹴ってたんだけどさ」
「うん」
「犬に当てちゃってさ……」
「あぁ…………」
「でもよく見たらインターネットウミウシの置物だったんだよね」
「なるほど……なるほど?」
理解できなかった。
曜は馬鹿を見る目を太郎に向ける。
「本当だぞ?」
「タローが嘘をつくとは思ってないけど」
しかしインターネットウミウシと犬を間違えるだろうか。仮に間違えるとしたら極度の乱視を患っているか、はたまたサイケデリックなファッションセンスを持っている犬を見慣れているかのどちらかである。
本日の授業も終わり、小学生達が心の底から待ち望む放課後。現在はすっかり生徒らは帰宅するか、校庭で遊んでいるかしており、教室の中には二人しかいなかった。
ぼんやりと校庭を――より具体的に説明するのであれば、そこで遊んでいる草壁菜々花を――眺めている曜に、太郎が話しかけた。
「あっちー」
「ん」
「俺の余命のことなんだけど――」
「わかってるよ」
曜は太郎の言葉の先を封じる。
指で押さえられた唇を半開きにしながら、太郎はキョトンとしていた。
「草壁さん達を見たらわかる。タローが自分のことを言ってないのが。だって草壁さん達は素直だからね。もしもタローの余命のことを知っていたら、とてもじゃないけど普段通りの振る舞いなんてできない」
そうだろ? と曜の視線。
太郎は肩を竦める。
「探偵みたい」
「僕程度が探偵になれたら、誰だって探偵になれるだろうね」
静かな教室に二人だけの話し声が響いて、やがて帰り準備が整って小さくなった。扉を開閉する音の後に、教室内には音がしなくなる。
二人は草壁姉妹と遊ぶ約束をしていた。ゆえにランドセルを緩くぶら下げて、並んで歩いていく。菜々花がこちらの存在に気付くと同時に雪花が走り寄ってきた。その前に太郎は、
「なんで余命のことを話さないのか、聞かないんだな」
「聞いてほしい?」
「いんや」
照れくさそうに笑った。
「お兄ちゃーん!」
そこに飛び込んでくる雪花。
やはり子供とはいえ小学生である。それなりの勢いで飛び込んできたものだから、曜は潰れたカエルのようなうめき声をあげ、しかし彼女のことをしっかりと抱きとめていた。
「ひゅー」と太郎がうそぶく。
「……雪花ちゃん」
「なぁに?」
「勢いよく抱きついてくるのはやめようね、って何度か言ってるはずだけど」
「だって久しぶりに会ったから」
「朝からずっと会っているよね?」
「朝は朝、夕方は夕方だよ!」
彼女は一切の邪気のこもっていない双眸をうるませた。さすがに悪意のない女子を責めるほど鬼ではない曜は、苦笑しながらも嘆息する。嘆息しつつ頭を撫でる。どうやら、すっかり癖になってしまったようだ。
「今日はなにをする?」
「えっと……」
曜は太郎のほうへ疑問を投げかける。
いつもは太郎がこの場を仕切っているのだ。
彼はしばらく首を傾げると、
「――よし! かくれんぼ!」
指を一本立てた。
わぁい、と雪花がはしゃいで指を掴む。
恥ずかしそうに菜々花も続いた。ちんまりと。
そうやって始まったかくれんぼは、じゃんけんの結果太郎が鬼をすることになった。菜々花は早々に見つかり――彼女はなんと鬼がスタートする場所として設定されていた木の後ろに隠れていた。いわく「灯台下暗しというので……」らしい――今は曜と雪花が残っている。
「えへへ、お兄ちゃん」
「なに」
「ドキドキしない?」
「それは隠れているというシチュエーションに対して? 雪花が引っ付いてきていることに対して?」
「どっちも!」
雪花は曜に引っ付いていた。
蝉の季節にはまだ早いというのに、木に張り付く蝉のごとく。
今日の気温は若干高い。ゆえに曜は額に汗を滲ませている。
「ここ二人が入るには狭くない?」
「むしろ距離が近くなっていい感じっ」
「じゃあ僕は出ていくから……」
二人は校庭の隅にある土管の中に入っていた。土管は三つもあるのに、わざわざ一つのものに。当然、曜が最初に入っていて、隠れ場所を探していた雪花が後から入ってきたのだ。彼は止めたが聞かなかった。
「駄目だよ。今外に出たら見つかっちゃうよ」
「鬼に見つかるのと雪花ちゃんのお父さんに見つかるのとだったら、前者のほうがダメージが少なそうだから」
どちらも鬼であるのには変わりない。
曜は以前草壁家に遊びに行ったときのことを思い出した。
そのときも雪花は普段通り引っ付いていた。
「お兄ちゃんお兄ちゃん」と可愛らしく。
すわ浮気かと腰を上げた草壁ママに、貴様に娘はやらんと無言で腕を組む草壁パパ。堂々とした振る舞いだったが草壁ママに耳を引っ張られながらのものだったため、どうにも威厳に欠けた。
それでも小学生からしてみれば怖いもので――草壁パパの顔は他の家族とは異なり何人か人を殺していそうな人相だったため――曜は少しトラウマになっていたのだ。
「お兄ちゃん」
「ん」
「私、遊園地に行ってみたいっ」
「話が急に変わったね……」
どうにも話をこのまま続けていると曜が脱出してしまうと思ったのか、雪花は話を転換して腕を抱きしめる力を強くする。全力で抵抗すれば逃れられるだろうが、特に本気でそうする必要も見つけられない。曜は諦めて腰を下ろした。