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とある村のあぜ道で

 曜が鳥辺野村を訪れてから時間がかなり経ち、蝉の声がうるさくなってきた頃。いつも通り非常に元気な雪花が家に飛び込んできて、今日は夏祭りだよ、と彼の手を取り連れ出した。



 時刻は十八時。

 あたりは暗い。

 山の夜は早いのだ。



「お兄ちゃん」

「ん」

「どう思う?」

「えっと……」



 あぜ道を歩きながら回る雪花。

 危ないぞと曜が注意をして、彼女の見た目に意識を移す。



 雪花はその金髪には少々違和感を抱く組み合わせである浴衣を着て、今にも褒めてもらいたそうに目を輝かせていた。周囲が暗いこともあって双眸の輝きが異様に映えて見える。曜は吸い込まれそうな錯覚を覚えて、しかし途中で意識を取り戻した。



「てい」

「あぅ」



 この調子では何度言っても聞かなそうだったので、彼は軽くチョップをした。痛みはないだろうが急に攻撃されたことで涙目になった雪花は、素足に草が触れるのも構わずしゃがみ込む。



「急になにするのっ」

「細い道で暴れない。田んぼに落ちるよ?」

「私は大丈夫だから――」



 ぐらり、と。

 つま先を立たせていた彼女はバランスを崩す。

 すっかり水の張られている田んぼに落ちてしまえば、現在着ている綺麗な浴衣は見るも無惨な姿になってしまうだろう。



「ぐっ……!」



 慌てて曜は手を伸ばした。

 勢いよく雪花の体を抱きとめて、あぜ道に転がる。



「……お、お兄ちゃん」

「……だから言わんこっちゃない」



 恐怖に瞳をうるませる彼女は、やがて無事に助けられたのだと理解するやいなや、安心感の源である曜を加減なく抱きしめた。思い切り抱きしめた。焦りに汗ばんだうなじから、ふわりと花のような匂いが漂ってくる。曜は顔を赤くするがバレないように口を引き締めた。



「雪花ちゃん」

「……ん」

「すごい似合ってるから、せっかく可愛いのを汚さないようにね」

「……うん」



 慎重に手を離す。

 しっかりと自分の足で地面を踏みしめた雪花は、しかし、どこかぼんやりと曜を眺めていた。まるで熱に浮かされたように。



「……雪花ちゃん?」

「あぃ」

「雪花ちゃん?」



 これは大事だ。本当に風邪でもあるのかもしれない、と彼は眉をひそめて雪花の額に手を当てた。ますます熱くなる体。やはり風邪を引いているのだろうと頷く曜。



「やっぱり今日はやめておこうか」

「なんでっ!?」

「だって雪花ちゃん体調悪そうだし」

「悪くないよ!」

「いや、でも……」

「悪くないの!」



 むりやりに言葉尻を捕らえて文句を封殺すると、まもなく聞こえてきた祭り囃子に照準を合わせ歩き出した二人。若干一名は己の意思というよりも引っ張られているだけであるが。引きずられていると表現してもいい。



「お兄ちゃん」

「ん」

「今後はもっと気を使わなくちゃ駄目だよ」

「なにが?」

「そういうとこ!」



 ぷりぷりと頬を膨らませた雪花は足早に走り出して、注意したばかりのことを繰り返す彼女に曜は頭痛を深める。しかし彼の口元には笑みが浮かんでいた。仕方がない、という諦めに近い――けれどもどこか温かみのある笑みだ。



 小学生の足といえども小さい鳥辺野村である。しばらく走れば問題なく神社に到着した。二人は静かに胸を上下させ、曜は初めて見るこの村の祭りに普段のませた振る舞いを忘れる。一方で雪花は何度か見ている景色ではあるが、一緒にいる人が違うと感じも違うのか、と少し大人っぽい気付きを得ていた。



「お兄ちゃん」

「ん」



 いまだに疲れから上がった息を落ち着けていると、満面の笑みを浮かべた彼女が振り返ってきた。



「やっぱり、私お兄ちゃんのことが――」



     ◇



 ――長い夢を見ていた気がする。



 俺は肌寒さに震えながら布団から脱出して、しかし布団の優しい温かさに誘われて再び眠ろうと、掛け布団に手を伸ばした。



「お兄ちゃん朝だよ!」

「冬の寂しさを吹き飛ばすような勢い」

「私の心は年中夏真っ盛りだからね!!」



 そこに化け物が現れた。

 不定形の闇系妹だ。

 間違っても起き抜けに見たいものではない。



「いくら妹とはいえ、ノックもなしに入ってくるのは……」

「――そうだね! 妹だからね!! その気になれば壁とかも関係なく侵入できるのに、わざわざ扉から入る心意気に感謝してほしいな」



 ほざきよる。



 俺は思い切り双眸を細めて、とはいえ眠気が吹き飛んだのもたしかなので、嘆息しつつベッドから這い出た。妹はまるで躾けられた犬のように扉の前で立っている。いや、あまりにも化け物な見た目的に「立っている」という表現が適当であるか判断が難しいところであるが。



「さぁお兄ちゃん遊園地行こう!」

「……今日は天気が悪いから」

「快晴だよ?」



 ほら、と妹はカーテンを開ける。

 実に清々しい空模様だった。

 反対に俺の心模様は曇天である。



「長期休みになったら行こうねって言ってたでしょ。私は忘れないよ。ずっと前からの約束だったんだから」



 彼女はずいぶんと恨めしげな口調で、謎の触覚らしきもので壁を叩いていた。そういえば以前遊園地に行こうとなったとき、雨で中止になったのだったか。すっかり忘れていたが、妹からすれば大事な約束だったらしい。



 さすがに罪悪感が刺激され、俺は着替えることにした。



「だからさ」

「なに?」

「出ていってくれない?」

「私は気にしないよ」

「俺が気にするんだよ」



 どうやら着替え中も居座るつもりだった様子の妹に、呆れ混じりの言葉を向ける。彼女は堂々と「気にしない」宣言をしてくれたが、別に相手がどうであれ自分が意識してしまうのだから、一切の関係がない。



 ぶーたれながらも無事に出ていった妹に、思わず安堵のため息をついて、やがて数週間前のことを思い出した。



「まさか辛いものを食べすぎて意識を失うとは」



 雪花と一緒にラーメンを食べに行ったときのこと。

 あまりに辛いせいで彼女がギブアップし、男を見せるために代わったはいいものの、どうやら意識を失ってしまったそうなのだ。記憶が残っていないから曖昧であるが。



 そのせいで雪花には泣いて謝られるし――泣き顔のゾンビは怖かった――目を覚ましたときに妹が全力で引っ付いてくるし、とにかく散々だった。当分は辛いものは遠慮しておきたいところだ。



 着替え終わったため部屋を出る。

 もはや秋の気配がない空気。

 朝露に霜が交じるこの季節。



 今日から冬休みが始まるのだ。

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