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遊園地までの道中

 いくら俺のセンスがないとはいっても、この季節に雪花に選んでもらった服を着ているようでは、別の意味で残念なことになるのは火を見るより明らかである。ゆえに適当に引っ掴んだものの上にコートを着る。地味めな色合いのものだ。きっとそこまで悪くはない。



 白い息を吐きながら玄関を出たところ、今日も今日とて化け物化け物しい見た目で鎮座する物体がこちらを覗いていた。深淵を覗くとき、また深淵もこちらを覗いているのだ。問題は俺は特に覗いていないこと。勝手に向こうが覗いてくるのだ。理不尽極まりない。



「おまたせ」

「ふふっ、今来たとこだよ」

「出発地点が同じなんだよ」



 まるで待ち合わせをしていたかのような言い草。

 しかし家が同じなのだ。その言葉は成立しない。

 妹は不定形の体をうにょうにょとさせて、意味ありげに触手を伸ばしてくる。



「せっかくだからさ」

「ん」

「手を繋いでいこう」

「どこまで」

「駅まで」



 少し考える。

 駅までおよそ十分程度。

 掴むのは闇の触手。

 もしかすると呪われるかもしれない。



 溺れる者は藁をも掴むというが、現在自分は別に溺れてもいないので、是非固辞したいところである。けれどもキラキラとした――彼女に目は付いていないが――視線を感じて断りづらい。



 ゆえに俺は莞爾かんじとして、



「やだ」

「えぇっ!?」

「傍から見たら空中に向かって手を伸ばしてる危険なやつじゃん。少なくともあと二年くらいはこの街に住むんだから、ご近所さんからの風評を悪くしたくない」

「化野さん家の兄妹は熱々で有名なのに……」

「捏造をするな捏造を」



 モラルもへったくれもない。



「……でもなんだかんだ言って最後にはしてくれるところが好きだよ」

「たしかに隙ではあるんだよなぁ」



 改善していこう。



 これ以上化け物共に近寄られると本格的に命の危険を感じそうなので、彼女らの要求には毅然とした態度で「ノー」を突きつけていくことにした。妹の触手を握りつつ、駅までの短い道のりを歩く。



「今日はちょっと遠くまで行くんだよね」

「せっかくだからな」

「楽しみだなぁ、怖いって有名なんでしょ?」

「……どうだろう」



 横を見てみた。

 化け物。

 想像してみる。

 恐怖のアトラクション。

 圧倒的に前者のほうが怖くないか?



「あ、今こう思ったでしょ」

「なんて?」

「〝やっぱコイツ可愛いじゃん……〟」

「なんて??」



 そろそろ耳を交換したほうがよさそうだ。間違っても正常な鼓膜をしていたら聞こえてこないであろう発言が飛び込んできた。思わず崖にでも飛び込んでしまいそう。仮に俺がそんなことを言うような日が来たら、その次の日はアルマゲドンである。



 気心の知れた仲で雑談をしていれば時間はあっという間に過ぎていくもので、気が付いたら駅に到着していた。闇系妹は他人の目に見えないということを利用しているようで心が痛いのだが、一人分の切符を購入して電車に乗る。



「駆け落ち列車みたいだね」

「抜かせ」

「あっデリカシーない!!」



 耳元で叫ぶのはやめてほしいものだ。

 俺は顔をしかめて耳をふさぐ。

 妹は文句ありげに肩を突いてきた。



 結構早い時間に乗り込んだというのもあり、無事に席を手に入れた俺達は――妹は座るところがないので浮いていた――のんびりと車窓からの光景を楽しむ。若干一名はどうにも、うるさかったけれど。



「見て富士山!」

「あー、富士山だね」

「富士山だよ、すごい」

「富士山だからね」



 おそらく、外にあまり出ないために富士山を始めて見たのだろう。語彙力が死んだ状態で窓にへばりつく彼女。こちらは眠たい上反応するのが面倒くさかったので、適当に言葉を返す。



 しかしそれにも気付かないのか、妹はしきりに感嘆のため息をついていた。



「……山、だね」

「…………」

「久しぶりに見たよ……」

「…………」

「ほら見てお兄ちゃん……お兄ちゃん?」



 電車の定期的な揺れが心地良い。

 外は寒いが車内は温かい。

 人も少なくて空気が淀んでいない。



 以上の条件が揃えば人が眠りに落ちるのは自然の摂理であり、かくいう俺も普通に眠りに入っていた。ゆさゆさと揺られているようだが気にしない。耳元で下手くそなASMRを始められたが気にしない。お兄ちゃんは私のことが好き……とか一切あり得ない言霊を流し込まれ始めたが気にし――いやさすがに気にするわ。



「おい」

「わひゃあっ!?」

「人を洗脳しようとするんじゃない」

「真実は人を傷つけるからね、優しく気付かせてあげようと思って。安心していいよ。しばらく続けてたから効果はそろそろ出てくるはず」

「こわぁ」



 妹が普通に洗脳しようとしてきた件。

 さすがに悪霊か。悪霊退散。

 塩とか持ってくればよかった。



 俺は全力で距離を取りつつ、しかし距離を詰めようとしてくる彼女の額を――額なのだろうか――押す。時間が経つにつれて乗客が多くなってきたから、もうあまり動けない。袋の鼠。



「冗談だよ」

「よかった」

「……半分はね」

「おい」

「冗談だよ」



 どこまでが嘘で、どこからが本当なのか。

 あるいはすべてが嘘なのか。

 はたまた、すべてが本当なのか。



 一切の感情を読み取らせないまま、妹は不敵な雰囲気を醸し出して笑うのだった。怪しげに真っ黒な触手が揺れる。ひときわ大きな電車の揺れが俺達を襲って、彼女がバランスを崩し倒れ込んできた。浮いているのにバランスを崩すとかあるんだ、と思って俺は気が抜けてしまった。

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