世界が終わったのかと思った。
俺はいまだに激しく動悸する心臓を押さえながら、しかし面白かったジェットコースターのことを想起する。じりじりと上がっていく坂。しばしの平穏の後に、圧倒的な速度で落下する。内臓が浮き気分も高揚した。
「お、お兄ちゃん……」
「ん」
「死ぬかと思ったよ……」
グロッキー状態な妹が肩に捕まってくる。
「いや一度死んでるんだけどさ」と追加の言葉。
彼女は先程気絶していた。
ジェットコースターに乗りながら、ぶらぶらと揺れる触手を邪魔に思いつつも、決して離さないように胸の中に抱きしめていていたのだ。
「絶叫系駄目なの?」
「乗ったことない」
「初めてが日本で一番のかぁ」
それはもう無謀というものじゃないだろうか。
この遊園地に来たいと言ったのは妹だ。
頑張って遠征したというのに、こんな状態では……。
「もう帰る?」
「帰らない」
「でも――」
「帰らないの」
お兄ちゃんにも申し訳ないし、私も負けたみたいで悔しいから。と彼女は化け物らしさを存分に発揮するムーブでもって、自身のやる気の程を表明した。負けたみたいで、というか実際に負けていたと思うのだが、兄として言わないでおくのが優しさである。
「それに、ほら」
「ん?」
「最初に一番のを体験しておいたら、後は楽なものばかりだから」
「そうかな……そうかも……」
自信満々な様子。
俺は思わず納得してしまった。
「お兄ちゃん、じゃあ次はなにに乗ろうか」
「ええっと」
ジェットコースターの近くにあった撮影スポットらしきところに座って休憩を挟むと、どうやら完全に回復した様子の妹が立ち上がる。
バックからガイドマップを取り出し、適当に――あまり怖くなさそうな――ところを探して彼女に伝えた。
「これとか」
「……落下するのが売りなんだね」
「どうも九十度を超えているらしいね」
「私こんなに殺意に満ちた遊園地が世界に存在したなんて知らなかったよ」
比較的怖くなさそうなところを選んだのだが、要素だけを抜き出して聞くと非常に怖そうである。普通に絶叫系でないアトラクションもあったのだけれども、それを指差そうとした瞬間に妹から無言の抗議を受けたので、渋々時点で怖くなさそうなところにしたのだ。それに待ち時間も短い。
「お兄ちゃん」
「ん」
「私の勇姿、見ててね」
「隣で見てるよ」
覚悟を決めたようだ。
妹は全身の触手を緊張させる。
俺は肩を竦めながら、彼女を連れて歩き出したのであった。
「……なんというか、あれだね」
「期待外れ?」
「そういうわけじゃないんだけど、その」
妹は口ごもった。
どうにも言いづらいことのようだ。
けれども理解できる。
俺もおそらく同じことを考えていた。
「あのジェットコースターってすごかったんだね」
「最初に体験すると、後のが色褪せるくらいすごかったらしい」
「たしかに九十度を超える落下は、レールが見えないくらいで本当に恐ろしかったんだけど……また死ぬかと思ったんだけど……」
でもやっぱり、ね。
と妹は嘆息した。
後悔しているのだろうか。
「楽しかった?」
「楽しかった!」
しかし彼女は断言する。
一切の躊躇がない。
きっと恐怖よりも面白さが勝ったのだろう。
そういう意味では最初にあれに乗ったのはよかったのかもしれなかった。
「次はなに乗る――って」
「あ、あはは……」
ガイドブックを取り出したとき、どこからともなく可愛らしい「くー」という音が聞こえてくる。アトラクションの乗客の声であれば可愛らしさの欠片もない「きぇあああああああああああああ」みたいなものだから、おそらく違うであろう。であれば答えは一つだ。
恥ずかしそうに人間でいうところの腹部を、真っ黒な触手で押さえる妹。腕時計を確認すると十二時を回っていた。
意外にも俺は興奮していたのだろう。空腹はあまり感じなかったのだが、こうして時間を認識すると不思議なことにお腹が空いてきた。誤魔化すように腕代わりの触手を振るう妹を連れて食事が取れる場所まで移動する。
「混んでるね」
「まぁ時間が時間だし」
「……もしかしてお兄ちゃん、私の分まで注文してくれるつもりだった?」
「さすがに二人で来て一人だけ食べるというのも」
ある種の拷問ではないだろうか。
遊園地に来るくらい仲の人を前にして、たった一人で食事をするという。
いくら彼女が他の人には見えないとはいえ、一人きりで二人分を注文するのが不自然とはいえ、俺はすべてを無視して注文するつもりだった。
「えへへ……ありがと」
しばらく列に並ぶと俺達の番がやってくる。
券売機でなにを買うか悩んで――、
「これすごいよ」
「なんで量が増えてるのに値段が安くなるんだ?」
「ラーメンって不思議なんだね」
「多分ここだけだと思うけど」
量が二倍くらいになっているくせに値段がむしろ安くなるという摩訶不思議なラーメンを注文して、妹はカタカナが並ぶパスタを頼んだ。堂々と幽霊的なあれと食事をする勇気もないので、二階へ移動して一番隅の席に座る。
「お兄ちゃん」
「ん」
「ごめんね」
「なにが」
「迷惑かけてると思うから」
昼食を終えて外に出て。
遅れてついてきた妹がおずおずと声を上げる。
俺は片眉をあげて尋ねた。
「今更気付いたの」
「そこは嘘でも『そんなことないよ』って言うところじゃないかなぁ!」
「冗談冗談」
化野ジョーク。
一層落ち込んでしまった彼女に反省して、俺は肩――だろうか――を叩く。
「全然気にしてないよ」
「でも……」
「もう慣れた」
「慣れ…………」
「それにね、本当に楽しいんだ」
胸を広げる。
澄んだ空気が肺に入ってくる。
「高校に入ってから、見た目はちょっとあれだけど……いやかなりあれだけど、付き合っていて面白い人と関わるようになって」
妹を覗き込んだ。
彼女は首を傾げている。
「普通じゃないのも、まぁ、そんなに悪くないんじゃないかなと」
今ではそう思ってるんだ。
と不器用に笑って伝えた。