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絶望的な脱出ゲーム

 さすがにものを食べた直後に絶叫系アトラクションに乗るのは無謀が過ぎるので、俺達は落ち着いて挑戦できるところに並んでいた。薄暗い室内で、ときどき出てくる挑戦者に観客が沸く。



「これが脱出ゲーム……」

「あのステージクリアできるの?」

「私は自信ないけど」



 というかあれ見てよ。

 妹が大きな画面を指差す。

 指差す――いや触手を向ける。



「今までのクリア者数?」

「分母すごいよ」

「分子がゼロだね」

「つまりクリアしたことある人がいないってことかな」

「絶望的すぎる……」



 脱出ゲームなんて結局参加者を楽しませるためのものなのだから、いくら難関を名乗っていてもクリアできるようになっている。しかし今挑もうとしているこれは根本から領域が違うらしく、累計挑戦者は三十万を超えて四十万近くになっているというのに、いまだに誰も踏破したことがないようだ。



「場所間違えたかな」

「少なくともクリアはできないだろうね」

「だってあのステージに出てくる人、何回か見てるもん」



 そう言って妹は列のそばに設置されたステージに視線をやる。



「あ、またあの人」

「相当やり込んでるんだろうね」

「ガチ勢だ。本気でクリアしようとしてる」



 遊園地には往々にして存在するものであるが、お金を払うことで待ち時間を減らせるシステムが、もちろんこの場所にもある。たしか千五百円くらいか。一般的な高校生である俺は使用できない。



 けれども絶望的な脱出ゲームの、初めての踏破者にならんと挑む人がいた。時間とお金とを賭けて挑むその姿。



「歓声すごいね」

「きっと皆暇なんでしょ。待ち時間長いから」



 並んでいる人達は、併設されているステージ――この脱出ゲームには全部で五つあり、四つ目からは挑戦している姿が、並んでいる人に見られる仕組みになっている――にようようと歩いてきた男性に腕を振っていた。



 彼も慣れたように振り返す。



「どうしよう、お兄ちゃん」

「なにが」

「私も腕を振られちゃうかも」

「ないでしょ」

「今から返しを考えていたほうがいいかな」

「もしもなにか反応があったら、それは悲鳴か塩を投げつけられるかのどっちかだから大丈夫」



 他の人には見えない系の化け物である。仮に彼女の姿が白日のもとに晒されたとしたら、次の瞬間に発生するのは地獄絵図。



「妙齢の乙女に向かってその言い草はなにさ」

「妙齢でもなければ、乙女でもない」

「もーっ年齢だけで言ったらほとんど同じなのにぃ!!」



 妹は地団駄を踏んだ。

 絶望的な光景だぁ。

 明日は世界の終末かな?

















「お兄ちゃん」

「ん」

「線を踏まないようにしなきゃいけないみたいだけど……」

「うん」

「私、浮いてれば無敵じゃないかな!」

「まぁそうだろうね」



「お兄ちゃん」

「ん」

「あのだるまの目が光ってるうちは動いちゃいけないみたいだけど……」

「うん」

「私に反応しないから無敵じゃないかな!」

「まぁそうだろうね」



「お兄ちゃん」

「ん」

「この漢字辞典を使わなくちゃいけないみたいだけど……」

「うん」

「私できないからお兄ちゃんに任せるね」

「まぁそうなるだろうね」



 結局脱出ゲームはステージ三まで行って終了となった。敗因は漢字辞典の扱いに慣れていなかったこと。しかし制限時間的に、非常に熟達していても駄目だったような……もしかするとページ数まで暗記していなければクリアできないのかもしれない。



「いやぁ楽しかったね」

「本当に楽しかった??」

「うん!」



 それはもう反応しない自動ドアの前で跳びはねるがごとき楽しみじゃないのだろうか。まぁ妹が楽しかったと言うのだから、別に構わないのだが。



 どうもアトラクションの設定的に俺達は死んでしまったようだが、不意に某ゾンビの顔が脳裏をよぎって頭を振った。嫌だよ遊園地に来て、帰りは気付いたら化け物になってるなんて。



 建物を出ると意外に時間が経過していたようだ。すっかりあたりは夕方の気配を孕み始め、遊びに来ている人の姿も数を減らしている。待ち時間的にも、もう新しいアトラクションに乗ることはできないだろう。



「そろそろ帰るよ」

「ちぇーっ、あれ乗りたかなったなぁ」

「あれ?」



 妹が触手で差したのはジェットコースターのようなもの。



「あれ濡れるやつじゃないの」

「そうだよ?」

「今の季節知ってる?」

「冬だね」

「死ぬでしょ」

「もう死んでるんだなこれが!!」

「俺はまだ生きていたいから今度ね」



 油断も隙もない。

 そもそも着替えなど持ってきていないのだ。

 合羽はあるらしいが、きっと意味をなさないだろう。



「お兄ちゃん」

「ん」

「今日は楽しかった!」

「さようで」



 遊園地のゲートを潜り、振り返った。



「また来たい?」

「うん」

「じゃあ来ようか」

「うん!」



 初めて兄らしいことをしたせいだろうか。

 俺の心は少々穏やかになっていた。

 今だったらなんでもできそうだ。



「お兄ちゃん」

「ん」

「私ご飯食べたいなぁ」

「いいよ」

「やったぁ。じゃあ駅近くのラーメン屋さんでいい?」

「駅近く……」



 想起する。

 赤いラーメン。

 汗だくのゾンビ。

 あちゃあグロ画像か。



「駄目」

「ええーっ」

「ラーメンはしばらくいいや……」

「私は食べてないよ」

「俺がね……」



 ちょっとお腹いっぱい。

 そう言うと彼女は頬――らしき場所――を膨らませた。

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