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図書館ではお静かにとは言うが、隣に化け物がいたら無理である

「奇遇ですね」

「そうだね」

「まさか冬休みに、曜君と図書館で会うとは思いませんでした」



 いや、連絡すれば会えるんですけどね。連絡もなしに偶然――運命的に出会うのが大事なんですよ。

 と逆瀬川美穂は笑った。



 静かな図書室に本をめくる音だけが響いている。

 人々は皆寡黙にページに目を落としていた。

 俺の隣には化け物。ジガバチである。



「曜君は一体どのようなご用向きで」

「ちょっと本でも借りようかと」

「まぁそうでしょうね」

「それ以外の用事で図書館に足を運ぶ人はあまりいないんじゃないかな」



 彼女は肩を竦めた。

 わかりきった質問をしてしまったからだろう。



「この後は暇ですか?」

「暇と言ったら暇だけど、忙しいと言ったら忙しい」

「つまり」

「用件によるね」

「ははぁ発言に気をつけねば」



 しばらく美穂は口元に手を添えて、なにかを考えているようだった。



「曜君」

「ん」

「カフェに行きましょう」



 ずいぶんとシンプルな誘いの言葉である。相手が美少女ならばいざ知らず、普通に直視するのも遠慮したい化け物なので、全力でお断りしたいところ。



 しかし彼女の複眼には爛々と輝く期待の色が宿っていて、押しに弱い系男子であるところの俺は、首を横に振るのが非常に難しかった。



「ほら、俺はさ」

「はい」

「カフェとか似合う男じゃないから」

「たしかに曜君は、天地がひっくり返っても、カフェに常在しているようなお洒落さんではないですけど……」



 美穂は嘆息した。



「そこまでの謙遜はしてないよ?」

「たしかにセンスが壊滅的ですけど……」

「おっと許されない領域まで手を出したね。等価交換の準備は大丈夫か?」



 軽く両腕を構える。

 右手で天を差し。

 左手で地を差し。

 天上天下唯我独尊。

 仏のありがたいお言葉だ。

 魔の者よ去り給え。



「中二病でもぶり返したんですか?」

「そんな、まるで俺が元中二病患者みたいな」



 急に脇から生まれた人のようなことをしたせいだろうか、わずかに複眼から温度をなくした美穂が、首を傾げて問いかけてきた。冬休みという非常に開放的な空気に犯されていた俺は、遅まきながら良識を取り戻し、さり気なく構えを解く。



 しかし短絡的な行動による羞恥心はなかなか去ってくれるものではなく、化け物よりも先に去ってほしいものであった。



 いつまでも美穂の居た堪れない視線に晒されていると寿命が縮んでしまいそうだったので、



「カフェに行かない? 奢るよ」

「え、曜君から誘ってくるなんて明日は雨でも降るんですか。それとも熱でもあるんですか。実は昔から看病に憧れてたんですよね。入刀します」

「ないない。熱とかないから。あと仮に熱があったとしても、それでメスを入れたら多分犯罪だよ。出頭してくれ」



 しかも相手はジガバチの見た目をしている。

 それで手術などされた日には悪夢だ。

 夢を見ているのか現実なのか判断つかない。

 どちらにせよ絶命するのは間違いないだろう。



 この話を続けていると自分が不利になることは明白。ゆえに少々強引に話を切ってカフェを目指す。彼女の手を取って。



「ねぇ」

「はい」

「カフェどこ?」

「自信満々に歩いていくものですから、てっきり場所くらい把握しているものかと」



 旅行とかに行くときは事前調査をしっかりしておいてくださいね? 絶対に迷子になりますから。新婚旅行などでやらかしたら最悪ですよ。

 と彼女は冷たく言った。



「俺は素直なことで有名だから。できないことは、きちんと不可能であると伝えるのが大事なんだよ。多分」

「だからといって、堂々とした足取りに反して目的地がわからないなんてのは、ちょっとダサすぎるんじゃないですかね」



 なんか火力高いな。

 近代化改修でもしたのだろうか。

 そのまま倉庫で埃でも被っていればいいのに。



 まったくしょうがない人ですね、とでも言い出しそうな雰囲気を全身から発し始めた美穂は、こちらの腹立たしい気持ちに気づいたうえで完全に無視し、先程は俺から握った手をむしろ強く握りしめてきた。



「ふふ、傍から見たらカップルみたいですよね」

「虫取り少年と鹵獲ろかく物の間違いじゃないの」

「そんな私が兵器みたいな」

「平気な顔して異性の手を握りしめるのは、兵器で相違ないと思うが」



 たちの悪いことに化け物である。

 魔性の女と呼ばれる類の振る舞いだけれども、見た目が純度百パーセントの化け物をしてしまっているため、魔性というよりも化生けしょうだった。

 間違っても化生の者ではない。



 女の足駄あしだにて作れる笛には秋の鹿寄るとは言うものの、ジガバチの色香に惑わされる人間が存在するはずがないので――もしも存在するとしたら、それは人間ではなく昆虫だろう――、俺は一切の動揺がなかった。



 どうやら美穂はそれに不満のようで、



「ちょっと」

「なに」

「私が手を握ってるんですよ」

「うん」

「少しくらい照れてくれてもいいんじゃないですかね。それくらいしてもバチは当たりませんよ」



 バチは当たらないかもしれない。

 しかし心の中の自分が責めるのだ。

 化け物に欲情するのか? と。

 非常に屈辱的なのである。



「私って、そんなに魅力ないですかね……」



 美穂は若干悲しそうに、そっと自分の姿を見下ろした。

 魅力がないかという質問には首を振らざるを得ない。

 もちろん縦に。



 けれども直接それを本人に言い放ってしまうのは、あまりに常識がないというか、紳士を標榜する俺にとっては苦しい選択肢だった。



 ゆえに優しいほほえみを浮かべ、同じくガラス細工に触れるような力加減で彼女の肩を叩く。



「カフェどこ?」

「誤魔化すの下手すぎませんか!?」

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